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没個性より、没感性が恐ろしい。

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個性:ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティー。(三省堂 スーパー大辞林3.0より)
感性:物事に感じる能力。感受性。感覚。「心に深く感じること」の意で江戸期の浮世草子に既に載っている語。「哲学語彙」(1881年)sensibilityの訳語として広まる。(三省堂 スーパー大辞林3.0より)

よく日本人は没個性的ということは盛んに言われる。本当にそうなのだろうか?
このことについてこれらの語彙をまず読んでから、考えたい。

個性的になれ!という強要

まず個性は意味は上の通り「その人固有の特性」なのだから、親や他人から言われなくとも「個性は生まれた時からある」のである。無論、後天的なものではない。
「あなたは没個性的だ」という批判を受けるならば、それは批判した方があなたの「個性」を感じていないか、見えていないのである。だから個性的でない人はいない。超当たり前だが、DNA配列から顔の形から生育過程まで同じの人がいないから、そもそも「個性的になれ!」という言葉は単なる強要だし、余計なお世話なのである。
ここで「感性」の話に移る。

感性は特別な才能か?

「感性」という言葉は「個性」ほど頻繁に使わない言葉かもしれないが、感性は人間には備わっているものだという共通認識はあると思う。
しかし一方で、「感性」は天性のものであり、才能や天才的な感覚と繋がっているという認識が強いように思う。
もっと言えば「感性」は元から授かるものであり、感性の鋭い・鈍い人間がいるという認識が強くあるように思う。

私の考えは、感性にも優劣はなく、単に感じる方向が違うだけである。
特有の感性を売りにしている芸術家・アーティストは自分の感じていることを表現したいという気持ちをダイレクトに出しているだけである。それを触れた他人が評価するかしないか、この世に知られるか否か、だけであると私は思う。そこでの他者評価はそれほど重要ではない。
むしろ感性とそれに基づく表現に優劣はないのだから、自己表現や自己の感性の解放こそが最も重要なのだと私は思っている。
大切なのは自分自身がなにに敏感になっているか、なにに対して正直に向き合っているかなのだ。

感性を矯める現場を見て

日本だけなのかわからないが、やたらに個性を伸ばす教育、感性を伸ばす教育、と叫ばれている。

個性は伸ばさなくても元から備わっているものなので、伸ばす必要はない。

では感性はどうか。

ここから私の体験を書くことになる。場合によっては批判的に読めてしまうことがあるかもしれないが、これは個別の問題ではなく、一般化して読んでほしい。

私は数ヶ月前まで、あるアマチュア音楽サークルに属していた。
30年近く前から参加していたが、途中私の体調不良もあり、途切れ途切れで辞めたり参加したりを繰り返していた。
最近私もなんとか体調が上向きになり、あらためて音楽活動を始めようと今年初めにこの古巣のサークルに戻って始めた。しかし、ここで大きなギャップに苦しむ事になる。

音楽=自己表現活動=楽しい が成り立たない違和感

最初の違和感はメンバー全体のある無関心さを感じたことから始まる。これは私が以前いた時には感じられなかった「違和感」である。
確かに練習に参加する人数は比べて増えたように思う。意欲的な人が増えたのかもしれないと思っていた。
しかし、肝心の音楽の練習中に指導者の言っていることが不明だったり、指示している楽譜のページ数が不明瞭な時も、メンバーそれぞれが混乱しているにも関わらず、その場ですぐに尋ねようとしないことがよくあった
また、自ら感じたことを発言し表現しようという意欲も薄いのではないかとも感じたこともある。自分の感じているものを踏まえてどう音楽で表現するかということが「楽しい」ことのはずなのに、ちっとも楽しそうじゃない。

これは一体どういうことなのだろうか?

色々なことを尋ねているうちに次第に自分なりにその核心に気づいた。それは

音楽を「感じる」ところから出発していない

ということだった。

ここで私が音楽をどう捉えるかということも書いておこう。

ジャンルの差はあれど、音楽は自己表現活動であると私は思う。
自己表現は基本的には強要されるものではなく、自分がこう表現したい!と感じことをそのままするもので、それを強制されるならば、それは「自分を殺される」ことに等しいと私は考えている。
特に趣味で音楽をやるのに自分の感じている表現を殺されてしまっていては私はたまらない。

私のいた音楽サークルはクラシック音楽系ということもあるのだろう。技術的なことに極めて厳しかった。
まず、音程やリズムは楽譜を忠実に再現することを要求される。それを逸脱することは厳しく指導・矯正される。
もちろん声、音の出し方も逸脱すれば矯正される対象になる。

ただ、それは特別でなことではない。クラシック音楽を嗜む場としてはごく日常としてある風景である。ピアノや声楽、ヴァイオリンと言った個別のレッスンを受けたことがある人ならばそれはわかるであろう。

しかし、そこには大きな陥穽ががある。

それは音楽が自己の感性から始まっていないということである。
そうではなく、まずは、正しいメソッドに基づき、正しい音程、正確なリズムを刻むことが先なのである。
それができてからの「音楽表現」「自己表現」だという考え方である。

これでは明らかに私の感じている音楽とは真逆の在り方である
(そもそも自分の感性うんぬん以前に、「正しい」音程やリズムって本当にあるのだろうか?という疑問も私は持っているがそれはここでは置いておく。)

自分が感じる前に「正しさ」を提示される「違和感」

この違和感はおそらく音楽一般ではなくクラシック(をベースにした)音楽分野の偏った性質であると思う。
しかしそれは音楽教育や音楽マーケット含めて共通することかもしれない。

楽譜再現を第一とする考えかた

まずは楽譜通りに演奏できなければダメ、というものである。
楽譜に関する捉え方は原典主義でも原理主義でも時によっては構わない時もあると思う。
しかし楽譜ありきの音楽の世界は西洋音楽中心でしかなく、他の文化の音楽は全く異なる。
日本の近代化と共に導入された今の西洋音楽(クラシック音楽)中心の音楽教育が、実は非常に偏ったものだということに意外と気づいていない人が多いようである。
参考文献として以下が詳しい。


極端になってくると

「楽譜通りに演奏できないくせに音楽表現や自己表現などもってのほか」 

という言説がまかり通るようになる。

私はこれに非常に違和感がある。

しかし、この楽譜ありきか、自己表現ありきかという議論はすでにあちこちでなされていることで、結論は出ていないし、無理に出さなくてもいい。


しかし、自分自身がそこに違和感があれば去ったほうがいいと私は思っているし、現に私はその違和感によってサークルを辞めた。

没感性の問題の深さ

私はあえて「没感性」と表現したが、言い換えれば「感性の自殺」「感性の他殺」と言ってもいいかもしれない。これはかなり過激な言葉だから、大々的に使うかどうかは難しいところだ。
しかし、音楽表現に「正しさ」を求めることで自分や他人の「こう表現したい」というものを抑制・矯正してはいないだろうか。「没感性」とはそういう状態をいうのである。

しかもこの音楽に「正しさ」を求めている状態に違和を唱える人は驚くほど少ない。
指導者の言われた通りの音程やリズムの「正確な」演奏を行い、それでよしとする。
あるいは、音程やリズムを正確に取ることで終わってしまうことで物足りなさを感じながら、それを流していく。
あるいは指導者の要求に応えられなかった「劣った演奏者」として自分を評価していく。

果たしてそれが音楽なのか、楽しく創造的なことなのか。それは「感性」の問題にたどり着くのではなかろうか
何も奇抜なことをせよ、と言うわけではない。
ただ、外部の正しさを無批判に受け入れ続けることによって、自分の感性を鈍らせていくことは非常に怖いことだと思うのである。

おかしいことにおかしいと言わない。
いいことにいいとも言わない。
楽しいもツマラナイも言わない。

楽しいことであるはずの趣味の世界で、これら感じたことを素直に表現できなければ、現実の社会で感じたことなど素直に表現できるはずがない。

ということは趣味の世界で感性を殺してしまっていては、社会の中で自分の感性は表現されるべくもないということになる。
想像してみてほしい。自分基準で何かおかしい!と言えないと世の中はどうなるのだろうか?




救いようもないことを書いたかもしれない。

しかし、シンプルに言えば趣味は他人評価ではなく、自分が心から楽しいことをやったほうがいいよ、ということである。趣味からして自分の感性を殺していては勿体無いのではないか。
また、他人から提示された楽しさが、必ずしも自分にとっても楽しいとは限らないと思う。

没個性なんか気にせず、没感性に気付こう。

他人に合わせることも大切だが、まずは自分が感じていることを表現する。それが基本だ。

というわけで、私はひとりを基本に音楽活動をしていくことにした。
孤独に音楽するのではなく、あくまで、ひとりが人間の最小単位である以上、音楽も最小単位はひとりである。
自分自身の感性に忠実であろうという姿勢がそうなったまでである。

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