聖書通読

使8:21 不完全である以上,心が「完全にまっすぐ」ということはあり得ない。少しでもまっすぐになるように,絶えず祈り,聖書を読み,悔い改め,調整し続けるしかない。「自分はまっすぐだ」と思い込むと,歪む。

使7:39 「行動」においては正しいことをしていても,「心」は反対方向に向かっている場合がある。この状態に自分ではきづけないことがある。日々神に心を注ぎ出し,精錬してもらう必要がある。

使5:4 神よりも人の目を気にして行動するなら,動機は不純になる。ひたすら神の目を気にして行動すれば,動機は純化されていく。

使4:8 神はいつでも力を与え,ふさわしく語れるように助けることができるが,ペテロはこの少し前の場面においては,言葉でイエスを否認した。神から力をいただけるよう,自分の心や動機を整備する点で,自分の分を果たす必要がある。

使3:19 神は許した罪を再び持ち出したりはされないが,わたしたちのほうが同じ罪を何度も何度も繰り返してしまう。それでも「悔い改めるように」と神は促している。本気で悔い改めよう。「本気」じゃないと無意味だ。

使2:26 ダビデの心が楽しくなったのは,神を絶えず自分の目の前に置いたから。目の前にある喜びは幸福ではなく,すべての良いものの源である神に目を向け感謝したときに生じるのが,真の幸福。

ヨハ19:11 「権威(authority)」という言葉は,「最初に始める,作り出す,もしくは存在させる者」を意味する「創始者(author)」という言葉と関連がある。人間が「命の権威者」になれないことは明白。

ヨハ18:22 当時,手の甲で右の頬をたたくことは「身体的な殴打すべての中で最も侮辱的なもの」だったらしい。イエスは左の頬をも向け,喜んで個人的な侮辱に耐えるよう教えた。神と人の救いに焦点を合わせ,自分を捨てないと…

ヨハ17:9 神様は「ご自分のもの」を大切にあつかわれる。贖いさえも与えてくださったのだから。すべては「神様のもの」だ。これがちゃんと分かっていれば,人にもやさしくできるはずだ。

ヨハ16:24 イエスは「求める」ように勧めた。「喜びが満ちるため」に。これは,「自分の思い通りになった」という喜びというより,神が顧みてくださっているという「安心感」に近いものかもしれいない。そっちのほうが貴い。