漣の果てに

漣の果てに。 第20話(了)



澎湃たる波浪もいつしか収まり凪が来る。然あれども、爪痕はそこかしこに残り、あるいは日常を違うものにしていく。

「退屈」が再び俺の人生の主役を狙ってひやうと矢を放つも、俺は浮きぬ沈みぬ揺られける半透明の抜け殻。

何度かは会社に行った。もちろん、仕事は手につかない。父親が亡くなったということで、最初は同情もあったが、回復する様子を見せない俺に周囲は苛立ち、非難の目を向けるようになる。

「杉森

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漣の果てに。 第19話



俺は見上げたまま目を閉じ、呼吸を整える。
汗が引き、唇の渇きを感じる。

「いい眺めだなぁ。ほら、圭司来てみろ。ドイツを思い出すじゃないか。ガスもほとんどないし、こんなに遠くまで見渡せることなんて滅多にないぞー」

空の何処からか、のんきな声が聞こえる。目を開き、首と顎の角度をやや鋭角に戻し、親父の方を向く。セミプロのお父様も肩が上下し、やや息が切れている。それもそのはず、かなり速いペースで登

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漣の果てに。 第18話



「人生に頂上はない」
よく聞く言葉だが、俺はそうは思わない。誰の人生にも頂、頂点がある。そこに向かって暗中模索、紆余曲折を経ながらも登り続けるのが人生だ。

長き道になる。間違うことも、見失うこともあるだろう。一歩を踏み出すのがつらくて億劫になることもあるだろう。時には歩みを弱めてもいい。時には足を休めてもいい。そしてそんな時は、上ばかりを見る必要はない。足元を、確かな足元を踏みしめていく。

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漣の果てに。 第17話



朝は来る。
七十億分の一の男が苦悩を抱えていたとしても、違わず朝はやって来る。

神奈川の屋根、丹沢山。
一ヶ月前親父に山登りを提案したら、丹沢山を指定してきた。何でもこの山は俺と登るために、今まで一度も登らずに残しておいたらしい。

親父との待ち合わせは朝6時20分。人影も見当たらない始発直後の日吉駅から小田急線渋沢駅まで向かう。早朝の渋沢駅前は人影もほとんどなく、ロータリーは閑散としている

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漣の果てに。 第16話



十日が経った。
ここというどこかに、まだ、俺はいる。

頬はこけ、目の下にはいつも以上の隈ができた。心が侵されると身体は蝕まれる。雫には病院に行けと言われているが、診断は不要だし不能だ。

土曜18時。いつもならJリーグを見ながらコーヒーでも飲んでいる時間だ。だが、この一週間まったくと言っていいほど仕事が手につかない。

少しでも消化しようと持ち帰ってきたノートPCを開き、企画書ファイルをクリ

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漣の果てに。 第15話



「なんで? なぜ、私なんですか? 父は何をしたのですか?」

気持ちが昂ぶり、声は裏返る。

「お父様がやったことは他の人もやっていることです。ただ今回は相手が悪かった。ご愁傷様です」

おい、勝手に殺すな! その相手は誰なんだ! 
声高に叫ぼうと思ったが、すぐに渋く低い声で妨げられる。

「依頼人の方は明かすわけにはいきません」

こいつ、心が読めるのか?

「守秘義務です。そして、なぜあな

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漣の果てに。 第14話



落ち着け、俺。落ち着くんだ、俺。
何度だって落ち着きを失いかねないが、今のこの状況を何とか整理しろ。できるだろ?

この男たちは"誰か"に頼まれて俺を脅迫している。雫に害が及ぶことは、ない。脅迫の内容は、俺に親父を殺せ、というもの。親父を殺さないと俺の命も、ない。そして、親父の死は日本を救う。親父を殺せば俺は生き残れる。脅迫グループの雰囲気は、さほど怖くはない。業界の人、という感じもしない。脅

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漣の果てに。 第13話



社長に内線で呼ばれたので、社長室に向かう。靴紐がほどけていることに気づき、しゃがんで結びなおす。リーガルの黒いストレートチップには、埃と汚れが付着していた。紐はなかなか上手く結べなかったが、短く息を吐き落ち着いて蝶々結びにきつく締める。

ノックをして少し大げさな装飾の入ったマホガニーのドアを開ける。

大開口の窓からは夏の到来を全力でアピールするかのごとく強い日差しが差し込む。空調のおかげで

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漣の果てに。 第12話



「おはようございます」

社長室の前で白尾副社長とすれ違う。
副社長は手を挙げただけで通り過ぎ、目が合うことはなかった。

ウール素材の細身のスーツに暖色系のネクタイ。ノンフレームの眼鏡が良く似合う。相変わらずアオキとコナカのお得意様で、先日ズボンのサイズを一回り大きくした俺とはずいぶんと違う。一張羅のアルマーニのスーツに袖を通したのはもう何年前のことだろう。

海外経験も豊富で頭が切れる副社

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漣の果てに。 第11話



「ねぇ、あなたならどうする?」

「え? 何が?」

「あのね、大学に向かう途中のバスに、毎朝、障がいを持った人が乗ってくるの。大体、三十歳前後の男性。雨の日も風の日も真夏でも。でね、その人は障がいでうまく言葉が話せないけど、必死で周りとコミュニケーションを取ろうとするんだ。見ず知らずのバスの乗客に対してね」

「うん」

「それが結構しつこくて、服を触られたり、握手を求められたりするの。毎日

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