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漣の果てに。 第18話


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「人生に頂上はない」
よく聞く言葉だが、俺はそうは思わない。誰の人生にも頂、頂点がある。そこに向かって暗中模索、紆余曲折を経ながらも登り続けるのが人生だ。

長き道になる。間違うことも、見失うこともあるだろう。一歩を踏み出すのがつらくて億劫になることもあるだろう。時には歩みを弱めてもいい。時には足を休めてもいい。そしてそんな時は、上ばかりを見る必要はない。足元を、確かな足元を踏みしめていく。

そこには、自分がここまで登ってきた両足があり、誰かが通ったはずの足跡がある。勇気はこれまでの自分自身からも、たくさんの先達からも得られる。山登りは孤独だ。でも、一人じゃない。

自分の心にわずかでも火が灯ったら、またゆっくりと高みを目指せばいい。そうして踏み出した紛れもない一歩は、それまでとはまた全然違う風景を見せてくれるものだ。

そして、山は──人生は、頂上へ辿り着くことだけが目的なのではない。頂点を極め、下り、それから無事に帰らなくてはいけない。自分が愛し、信じる者の元へ。

下りこそが山登りである。
「下りるために登る」──それが、俺の山登りだ。


遠からず、俺は不正献金の疑いで逮捕されるだろう。今まで家族をおろそかにし、友人との付き合いもほとんどせず、半生を費やしてきた小森建設での日々に終止符が打たれる。

俺に貼られるレッテルはおそらくひどいものだろう。圭司、お前の人生もダメにしてしまう。すまない、本当にすまない。お前は俺を許してくれないかもしれない。

「父さん、山に登ろう」
お前にこう言われたとき、俺はすべての覚悟を決めた。圭司に審判を下された想いだった。圭司はきっと分かっている。もう「終わり」にしよう、ということだ。

下りる──俺は、俺の人生を下りる。

「登るなら丹沢山にしてくれ。お前と登るためにとっておいた山だ」
圭司、お前に嘘をついた。

丹沢山は、前に一度だけ登っている。もう35年も前のこと、そう、小百合とだ。頂上でプロポーズをして、長くて幸せな下り坂を手を取り合って歩いた。この山は俺にとって幸せの頂を迎えた山でもある。

だから、捕まる前に一つだけお前に俺のわがままを聞いてほしかった。俺の人生の下りを一緒に下りて欲しかった。家族への感謝と懺悔の道のり。きっとバラ色じゃない。汚職に手を染めた俺の下り道はくすんだ色なのかもしれないな。

「嘘をついて」すまない。


テンポの違う足音が山道に刻まれる。頂上まであと3.4kmの看板。この辺りからアップダウンも激しくなってくる。茂る木々は、親子を黙殺する。

日帰りを意識したペースに圭司も何とか付いてきている。なかなか、やるな。体力には自信があるようだし、素人にしては上出来だ。登り始めてから4時間半。目にする植物も種類が変わってきた。

しばらく前からガスが充満しているが、時折青空も覗く。そろそろか──。


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頂上が近づいてきたのか? 空気が薄くなるのを感じる。ふくらはぎに張りを感じ始めた頃、鬱蒼としていたあたりが突然、開けた。

そして、崩壊への扉が「ようこそ!」と言わんばかりに勢いよく開く。惰性で足は進む。俺は止まらない。

山荘を横目になおも歩を進めると、先ほどまでのガスが嘘みたいに急速に引いていった。何かの強い力で俺の足は踏み出すのをやめた。10メートル先で親父も止まる。

二人でほぼ同時に空を見上げた。音という音が遮断される。

広がる。
雲海は遥か遠く、連なる清らかな陰影の山々、雄々しい雪化粧の富士、そして全てを包み込むような圧倒的な青空──。

それは藍よりも青く、どこまでも、どこの国までも続いていることを感じさせた。

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