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漣の果てに。 第15話


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「なんで? なぜ、私なんですか? 父は何をしたのですか?」

気持ちが昂ぶり、声は裏返る。

「お父様がやったことは他の人もやっていることです。ただ今回は相手が悪かった。ご愁傷様です」

おい、勝手に殺すな! その相手は誰なんだ! 
声高に叫ぼうと思ったが、すぐに渋く低い声で妨げられる。

「依頼人の方は明かすわけにはいきません」

こいつ、心が読めるのか?

「守秘義務です。そして、なぜあなたがお父様を殺さなくてはならないか、という疑問に対しては、お答えした方がよろしいですか?」

神経を逆撫でするようなことを平然というから、こちらも激昂するわけにはいかない。

「お、教えてください」
ジャンキーがクスリの在り処を聞く時のような声が出た。

相手は僅かに息を吐き、そして続ける。

「今回はかなりデリケートなミッションです。絶対に、ばれてはいけない。絶対に、です。二重三重のしかけが必要なのです。杉森直志さんは、"不慮の事故死"をすることになります。実際は、あなたが手を下すわけですが。でも、ご安心ください。あなたに捜査の矛先が向かうことはまず、ありえないでしょう。うまくやります。我々もその道のプロですし、実績も十分にあります」

何事にもプロがいるもんだ、と関心するが、内容には全く感心できないし、寒心にたえない。

「万が一、万が一ですよ。警察が「殺し」の線で捜査を始めたときのために、あなたに殺してもらうわけです。依頼人の方に危険が及ぶことは億が一にもありえてはなりません。日本の未来がかかってますから。そのくらいのことは圭司さん、賢いあなたのことだ、分かりますね?」

おだてようとしたってそうはいかないぞ、と俺の中の小さな勇気が叫ぶ。しかし、声帯が震えることはない。

「事故の詳細については、現在検討中です。しかし、その事故現場にはあなたも一緒にいてもらいます。殺し屋の方から足がつくと困りますので、殺し屋は派遣しません。もしも、疑いが発生した場合はあなたが容疑者です。

ただ、さきほども申し上げたとおり、あなたに捜査の矛先が向かうことは、まず、ありません。なぜなら──あなたたちはとても仲のいい親子だ。あなたがお父様を殺すことはあり得ないのです。理由も、ない。繰り返しますが、お父様はあくまで事故死するのです」

無理だ。親父を殺すことなんて無理だ。

「仮に不自然な死に方になったとします。不審死は最初こそ疑われますが、真相が明らかにならなければ、事故死で終わりです。警察もそんなに暇じゃない。あなたがお父様を殺す理由は探しても探しても出てこないでしょうしね」

出来っこない。
さぁ、言え。胆力を振り絞れ。

「出来ないと言ったら?」
声は震える。相手は目を丸くして、急に大きな声を出す。

「圭司さーん、らしくないですねぇ。相当動揺している様子だ」
外国人が良くやる両手を広げて首をすくめるポーズを取る。

お前は外国人か! いつもならツッコミを入れるところだが、そんな余裕がまったくない。いつものキレ味抜群の自分に対して申し訳なさを感じる。
そして、彼は目をつぶり、首をゆっくり左右に振りながら続ける。下唇が出ている。

「その答えは先ほど申し上げたとおりですよ。もちろん、あなたを殺します。奥様も妙な動きをするようなら始末せざるを得ないでしょうね。もし、あなたがこの申し出を断り、あなたが死んだとしても、何もいいことはありません。お父様はどちらにしても消されます。別の手段を取るまでです。

しかし、それならば、……それならばですよ。あなたの手で葬る方がお父様も多少は救われるのではないでしょうか。死ぬときの苦しみ、無念さを少しでも緩和して差し上げたい。これは私たちなりの最大限の配慮です。お父様は危険な一方通行の橋を自らの判断で渡られた。自ら終わりへの扉を押し開けたのです。残念ながら、危険な橋は向こう岸までかかっていなかった。お父様は渡り切ることはできないのです」

一拍措いて断じる。

「すべては大義のためです。力を貸していただけませんか」

物腰は柔らかで、丁寧な姿勢を崩さないが、言っていることは荒唐無稽だ。こんな要求呑めるはずがない。唇は震え、手は戦慄き、目は虚ろになる。

人間は、恐怖、怒りだけでなく、理解不能の状態でも震えるらしいよ。よく覚えておこう。いつの間にか汗が噴き出て、麻素材のクールビズシャツも大いに水気を含んでいる。

尚も、中ぐらいのAは続ける。

「日本を混乱の渦に巻き込み、奥様を不幸にし、さらに自分の命を失う──。もしくは、自らの良心と引き替えに父親殺しの試みをする。どちらを選ぶか、賢明なあなたなら良い選択ができるはずです」

確信を持った物言い。車内の暗がりが小刻みに揺れる。

「お父様が消されるのは、あなたのせいではありません。もっと大きなもののせいです。あなたが手を下したとしても、それは一つの事象でしかない。気になさらないで下さい。雪崩に責任を感じている雪片はただの一つも存在しません」

再び短く息を吐き、彼は言う。

「まぁ、そうは言っても、この場で決断いただこうとするのは、些か急すぎたかと思います。少しだけ時間を差し上げます。そうですね、明後日までに決めて下さい。明後日の夜十時、日吉駅のバスターミナル付近でお待ちしています。遅れたり、来なかったりした場合は、要求を断ったと判断します」

ご配慮ありがとうございます。と言いたかったが、考えたところで結論が出るとは思えない。

多摩川のせせらぎがかすかに耳に届く。窓の外に目をやるが、夜は想像以上に暗く、その水が澄んでいるかどうかは分からない。


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自宅付近まで送ってくれる“紳士的な脅迫”だった……パラドックスを楽しんでいる場合ではない。非常に良からぬ状況である。

日付が変わるその頃の日吉駅は人影もまばらだ。数時間ぶりに中央通りを再び歩く。閉店後のドトールの全面ガラスに映る誰かの顔を見てギョッとする。死人のような顔があり、背筋を冷たいものが流れ落ちるが、よく見ると、やはり俺だった。

この顔で家に戻るのは無理だ。演技力には自信があるが、雫の瞳に疑われたら俺はこの瞳で嘘をつけない。

程なく到着した公園のベンチに一人座って考える。

──親殺し。依頼人。大義……。

奴らは明言を避けたが、結びつくポイントは、はっきりしている。親父と日本の政治。それが、絡むポイントはお義父さんしかいない。お義父さん、つまり黒澤一郎の依頼。

黒澤絡みで獲れた小森建設の仕事といえば、井沢ダムしか思い当たらない。賄賂……だろうな。あの時かな。雫に初めて会ったあの日。あの日が運命の一日だったということか。クソッ。結婚しちゃったよ、俺……。なんなんだよ……。

日本の政治が混乱するということは、黒澤がつかまるということ。民栄党はバックボーンを失い、崩壊する。崩壊……ね。一ヶ月首相がいなくても問題ない国だし、民栄党が崩壊したところで、影響は知れているような気もするけど。崩壊すると思っているのは、政治家筋だけだろうな、実際。

おかしな汗が引き、脳が回ることを思い出したかのように動き始めた。

それはそうとして、黒澤がつかまる──賄賂。小森建設から黒澤への賄賂。そして、入札額の操作。黒澤が絡むとしたらその辺だろうな。何者かに尻尾をつかまれそうになった黒澤が慌てて親父を消そうとしているということか。窓口がいなくなれば、こういった事件は有耶無耶となる。

警察がもたもたと事実関係を確認している間に黒澤側は抜け道を探し、賄賂はなかったことになる。親父のことだ、そう簡単にはばれないようにやっているだろう。全貌はおそらく親父がいなければ、判明しない。警察も検察も親父なしでは、立証は不可能。黒澤逮捕のキーマンは杉森直志ただ一人。畢竟、消されるのは──親父。

それにしても、だ。

お義父さん、どういうことだ? 娘婿に父親を殺させる? どんな神経の持ち主だ。自分さえよければいいのか。

俺がこの要求を呑まなかったとする。俺は死ぬ。親父も、死ぬ。親父を上手く消すことが出来なければ、黒澤の人生が終わる。雫は──容疑者の娘になる。

四人の人生を終わらせることを選ぶか、一人の死を選ぶか。最早、黒澤の行く末はどうでもいいが、雫のためを思うと黒澤が捕まるのも、困る。

どうする? どうする、俺?

夏の夜空に月がないと、あるはずのものがそこにない不安な気持ちになる。あたかも玄関前で鍵を探したけれど、かばんの中に見当たらない時のように──。心細く、不安だ。

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