ブログを更新しました。『「親の死に目に会う」のは親のため?自分のため?』 https://ribbon-clinic.com/meet_death/
12/23-5 「病院での看護も通夜葬儀もすべてMさんが一人で行ったと聞きました」 Mさんの献身には感謝した。だが、妹の死に目に会えなかった、その怒りと悲しみが同時に押しよせた。 ――兄ちゃん。 笑顔で駆け付ける妹の顔が浮かんだ。
今日、朝起きて、亡くなった両親と離れて暮らしている実の弟のことを考えていたら、涙が流れてきた。なぜなのだろうか。疲れているのか、もう、無理は聞かないよ、正直になれよ!という警告なのか、分からない。妻が言うには寝ている際に、わたしは寝言を言い泣いているそうだ。
“夜中に爪を切ると親の死に目に会えない”という迷信は何とも思っていなかった。「死ぬ時は一人、死にざまは選べない。」ところが親が年を取って弱ってくると少しだけ違ってきた。見届けてあげることが出来るならそれもいいんじゃないか。私は子どものお別れに会えた。偶然というか何かに選ばれる感じ