日本の「寄合」は案外、歩調を合わせるためのものだったかもしれない。だとするとそれは、議論を戦わせる「会議」とは全く質が違う。現代でも「会議のための会議」があるが、歩調を合わせるためのものではないか。それが悪いとは言わないが、いわゆる欧米の会議と異なることは知っていた方が良い。