この記事は、毎日日替わりでカメラ大好きなブロガーさんが記事を書いて25日までつなげるイベント【2nd Roll】カメクラが沼へ誘う Advent Calendar 2020への参加記事です。
写真は苦手。でも大好き。
苦手だと思うようになった理由は覚えてないけど、好きになった理由は、いまでもしっかりと思い出せる。
最初に使ったカメラは、学校指定のフイルム一眼。
必要に迫られ、公園でコーンスープ
「ちょっと、こっちに見せたいものがあるんじゃ」。
読み終えて、一週間ほどしてから再び本を開いて、この最初の一文を目にしたとき、時間が巻き戻されるような、時間を移動するような感覚を覚えた。
この本には目次がない。帯の説明によると24篇から成るのだが、各篇には題も付番もない。弁造さんの伝記ではないので、時系列は整っていない。読んでいると、問わず語りを聞いているような、現在位置がつかめず先の見通せな
タイトルページをめくると、左ページに短い文章、右ページに写真という見開き。
これが何回か続いて、文章と写真で見る人を写真世界に丁寧に導いていく。見る人のいるフロアと千葉桜のいるフロアをなめらかにつなぐスロープのようだ。
千葉桜は聴覚に障害があり、そのため言葉のない世界に長くいた。主要な被写体である千葉桜の息子は知的障害を伴って自閉症スペクトラムのなかにいて、言葉をゆっくりと習得しているところで
こどもの写真で、祖父母が喜ぶような写真とは別に、撮っておきたい写真がある。
でも、その時、その場に、自分がどのような態度でいれば良いのか、今一つわからない。
カメラを持って、ファインダーを覗いて、シャッターを切る等の、写真を撮るための身体の動作が、目の前の出来事にそぐわないというか。写真を撮ることの意味と、その撮るための具体的な行為が結び付かないというか。赤の女王が言う「その場にとどまるために
写真集をめくる
たとえばグラフや図表など、言葉で表されていないものを「読む」といった場合、その奥や裏に隠れた意味や意図を汲み取るというニュアンスがある。表面から内面を読むには、ある程度の知識、経験、能力が要求される。写真もそうだ。
わたしは写真集を「読む」ことはできない。ただ写真集をめくって、写真をながめるだけだ。
写真集をめくりながら、写真をながめたり、目を逸らしたり、あるいは写真集を閉じ
鬼海弘雄の写真集とエッセイを最近になってやっとまとめて見る・読むことができた。
鬼海は3つの連作に取り組んでいる。
・人物の肖像
・場所の肖像
・海外スナップ
ひとつは、浅草寺の壁を背景に人物を撮影する『PERSONA』シリーズで「人物の肖像」。もう一つは、東京の風景を撮ったシリーズで「場所の肖像」とでもいうべきもの。また、海外でのスナップもある。(これついては、ひとまず措く。)
写真集だ