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自分の思い出

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#父

父と私のあたたかい思い出

父と私のあたたかい思い出

父が行っていた散髪屋さんには漫画がたくさんあった。
父「典子、散髪行くか」
私「行く!」
私が父と一緒に散髪屋に行くのは漫画を読むためだった。

夏休みが来ると我が家には従姉妹達がたくさん遊びに来た。従姉妹達と遊ぶのは最高に楽しかった。

従姉妹達と楽しく遊んでいた夏休みのある日
父「典子、散髪に行くか」
私「行かん!」
父ひとりで寂しく散髪へ・・・

その日の夜
父「今日は典子と一回も話しとらん

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海水浴と父の思い出

海水浴と父の思い出

小学生の頃夏になると海水浴のバス遠足があった。田舎で暮らす小学生にとって海水浴は1年に一度の楽しみな行事だった。

何故か海水浴遠足は父の思い出が多い。他の学校行事は母の思い出ばかりなのに…今夜ふと母が泳げないことを思い出した。だから海水浴には泳げる父が必ず一緒にいたのか!と今頃気づいた。

ある年の海水浴の日、台風が近づいていた。波が荒い海で泳いでいたら、突然大波が襲ってきた。海の中でもがきなが

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父の後悔と私の人生

父の後悔と私の人生

父が亡くなる3週間前に私に遺した言葉。「末っ子の教育は難しい。わしのひ孫達の末っ子を見守ってくれ」

私は3人兄妹の末っ子だ。父は兄や姉と違って私を甘やかし放ったらかしたと後悔していた。

高校時代ひとり暮らしで勉強しなかった私は大学浪人した。そして東京で住む姉と同居し予備校に通った。

東京で過ごした1年間が無かったら今の私はいない。1年間の映画体験は私の映画好きを決定づけた。

父や母は私が勉

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父

それが良いことか悪いことか分からないが父は私を愛してくれた。

父は「娘を殺されたら絶対に犯人を殺す」と言っていた。私が「殺したって娘は戻って来ないからやめとき」と言って笑っても父は真剣だった。

父は91歳で亡くなった。亡くなる直前まで私が乗るバスに手を振って見送ってくれた。

もう私が誰かに殺されても仇を打ってくれる人はいなくなったな…と今はホッとしたような、ちょっと寂しいような気持ちだ。

里帰りと秘密基地探し

里帰りと秘密基地探し

今日バスに乗って里帰りした。里帰りはバスが一番味わいがある。懐かしく美しい山々や川を眺めながら実家へ向かった。バスを降りると母が優しい笑顔で迎えに来てくれていた。

遅めの母の日と早めの父の日のプレゼントを渡した。2人とも喜んでくれた。3人で昼ごはんを食べた。父は食欲がなさそうだったが、買ってきた焼き鳥を美味しいと食べてくれた。食後は母が大好きな金星ベーカリーのコッペパンと父の大好きなあんぱんを食

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運動会と父と私の誤解

運動会と父と私の誤解

小学生の頃は短距離走が得意だった。運動会の徒競走やリレーが大好きだった。しかし徒競走で1位になっても父は褒めてくれたことがなかった。たまに運動会に父親が来ても特に興味なさそうに遠くで立っていた。

大人になり、すっかり走るのも遅くなった。5年くらい前父と話をしていた時、運動会の話題になった。父が運動会で応援してくれなかったことを話した。

父は我が子が走る時は緊張するから出来るだけ見ないようにして

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父とキュウリの酢の物

父とキュウリの酢の物

私の実家には広くはないが家族が食べる野菜くらいは収穫できる畑がある。子どもの頃は四季折々の様々な野菜を毎日毎日たくさん食べていた。当時はその贅沢な食生活に感謝することもなく野菜料理を食べていた。

夏になるとキュウリが毎日毎日たくさん収穫できる。キュウリは浅漬けにしたり、生でマヨネーズをつけて食べるのも美味しいが、一番好きなキュウリ料理は酢の物だ。キュウリを薄い輪切りにし軽く塩もみし水分を切る。ス

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