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日本版“ハロウィン”で世の中がまわる

10月31日は今年もハロウィン 

 近年のハロウィン商戦は、クリスマスやバレンタインデーに食い込むほどの規模で展開され、リターンも見込めるものになった。

 昨年はコロナ禍の影響で、メディアで取り上げられる機会は少なかったが、2010年代の中頃から、このハロウィンは日本においてのイベントとして市民権を得るに至った。

 しかし、イベントとして認知された一方で2014年には渋谷に仮装した若者が集まり大混乱となり、2018年には若者が騒動を起こし、軽トラックを横転させるなどで逮捕者も出ている。

 2010年に入るまでは、認知はされていたがここまで大々的に世の中で影響を及ぼすものではなかった。なぜ近年で突然「ハロウィン」がここまで世の中で取り沙汰されることになったのだろうか。

そもそもハロウィンってどんなのだっけ?

 その昔、中央アジアからヨーロッパに移って来たケルト人たちの祭りとして、ハロウィンが伝えられている。

 彼らの1年の終わりは10月31日で、秋の終わりと冬のはじまりであるこの日は、死者の霊が家族のもとに帰ってくると言われていたが、悪霊や精霊、魔女などもやってくるので、仮面をかぶり魔除けの焚火をしていた。
 このことが今日で知られているハロウィンのもとになっており、子供たちがお化けや魔女の仮装をして「トリック オア トリート(いたずらか、お菓子か)」と唱えながら、家々をまわってお菓子をもらい、ジャックオーランタンを食卓に飾ってパーティーをするといった地域のイベントとなった。

 キリスト教と混同されがちだが、ハロウィンは上記のようにケルト人の間ではじまった民間イベントであって、宗教とのつながりはあまりないようだ。

 日本には、米軍関係者の住む地域で広がり、季節のイベントとして大きく取り上げられたのが、1980年代のことであった。1990年代に東京ディズニーランドでハロウィンイベントが開始されて、世の中でさらに知名度が高まった。2000年代からお菓子メーカーなどもハロウィン商戦へ参入、さらにSNSでハロウィンの情報発信が成されたことで、市民権を得ることになる。

日本のハロウィンはなぜコスプレ祭りなのか

 そもそも、ケルト人の祭りがもとになっているイベントで、日本に広まったのが約40年前なのだから、そのイベントの本意が日本で伝わりにくいというのは当たり前なのだが、日本では“仮装”という点があまりにも強調されすぎている。

 ハロウィン商戦が大きくなるにつれて、その認知度は高くなり、夏休みとクリスマスの間に位置するイベントである点も、容認もされやすい時期であった。

 しかし、ケルト人の伝承のように10月31日に悪霊がやって来るというものはないし、知名度だけがどんどん大きくなるだけで、その実態は日本にはなかなか浸透しなかった。そんな中で唯一、日本で浸透される要素が“仮装”であり、それが転じた“コスプレ”であった。

 日本において“コスプレ”はすでに十分すぎるほど世の中で浸透していた。コミックマーケットなどでは被写体になるべくコスプレイヤーが立ち並び、カメラを抱えたファンたちがそこに群がるという構図は、ネットの普及とともにオタク文化が開花した2000年代からすでに話題をさらっていた。さらにSNSが発展したことで、コスプレイヤーの活動の場が広がり、“コスプレ”は日本のポップカルチャーを象徴するものになった。

 この“コスプレ”という点が、日本では馴染みがないケルト人文化の一端であるハロウィンの“仮装”とたまたま類似していたのだった。

日本ポップカルチャーがハロウィンを引率する

 日本版ハロウィンは、実質コスプレを世の中のイベントとして認知される機会として成立している。
 だから、ハロウィンの具体的な内容やその本意を知らない若者がほとんどであるが、ハロウィンイベントにはコスプレをして参加できる。

 コスプレイヤーとして活動していない人々も、ハロウィンというこの機会に仮装という形でコスプレに参加することで、世の中で“ハロウィン”という現代の大型参加のイベントとなった。

 このポップカルチャーにこそハロウィン商戦がここまで近年で激化した大きな要因がある。
 つまるところ、日本のポップカルチャーによってハロウィンが身近に参加できるものになり、世の中でハロウィンに関連する活動が活発になり、世の中がまわっていると考えられるだろう。

 コロナ禍の影響で、コスプレ大会が大々的にできないこのご時世であるが、ハロウィンの知名度とそのあり方は、ここ数年で日本の若者に根付いたと思われる。しかし彼らもいずれ年を取る。このポップカルチャーに引率されたハロウィンがいつまで現在のような体裁を世の中で保っていられるかわからない。

 ハロウィンに限らず、クリスマスもバレンタインデーもお正月にしても、そのあり方は、時代の様々な意識によって変化していくのかもしれない。

 選挙の投票率が年々悪くなっているのが、そのよい例なのかもしれない。

 

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