見出し画像

人は「傷」によって繋がる『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

人と理解し合うことほど、難しいことはありません。

いつも隣に座っている上司ですら、何を考えているかさっぱり理解できません。何十年も一緒にいるはずの家族でさえ、完全に理解できておらず喧嘩をしてしまいます。

なぜ人と理解し合うことは難しいのでしょうか。そもそも人と理解し合うとは、どんなことなのでしょうか。

村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に登場する言葉から、考えていきたいと思います。


傷を持つ人だから
理解できる

人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによってつながっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

「人を深く理解する」とは、自分と人の間でなんらかの傷を共有することです。自分には友人と呼べる人は少ないですが、彼ら・彼女らを友人と呼ぶのは、自分と相手の抱える傷を正直に打ち明けられる間柄だからだと考えています。

自分の傷を話したときに「何だ、そんなことか」と言わない人・態度に出さない人、解決策を提示せず一緒に寄り添ってくれる人。そんな人達だからこそ、お互いを理解したいと思えるのでしょう。

人とのつながりでできた傷は
その人を理解するための重要な鍵

人生ではさまざまな傷を負いますが、その中でも「人とのつながりでできた傷」は、人を理解する上で重要な要素になります。

失恋や家族との別れ、仕事上の人間関係のトラブルなど、人と関わるからこそ生まれる傷は、人との関わりで癒やされます。人間関係で苦しんでいるときに「大変だったね」と一言言われるだけで、救われる経験をした人も多いのではないでしょうか。

この癒やす・癒されるの関係を通して、信頼関係が育っていきます。癒やされた人はその人に感謝しますし、癒やした人も自分と似た苦しみを持つ人がいることに励まされます。

人と関わることでできた傷は
人への恐怖を生み出す

一方で、人とのつながりでできた傷を共有することは、簡単なことではありません。

人とのつながりでできた傷は、人への恐怖を生み出すからです。人から一度傷を受けた人は、自分のちょっとした言動や行動で、また拒絶されて傷を負うのではないかとビクビクしながら生活することになります。

私は「人に拒絶されるくらいなら、人と関わらないほうがいい」と考え、人と距離をおいていた時期もありました。それくらい、一度人から受けた傷は、人と関わることへのハードルを高くします。

傷を乗り越える勇気を持つ

たしかに、人と関わらなければ、人から拒絶されることはなくなります。しかし、人との関わりがないと、自分の傷を癒やす機会も失ってしまいます。

また、大切にしたいと思える人ができたとき、人から拒絶されたくないと自分を守るために作った壁は、心を縛る檻になります。

自分の傷を癒やし、人を大切にするためには、心の檻を壊す自信と勇気が必要です。

君に欠けているものは何もない。自信と勇気を持ちなさい。君に必要なものはそれだけだよ。怯えやつまらないプライドのために、大事な人をうしなったりしちゃいけない

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

これからは、人から拒絶されること=傷という等式を崩し、それでも人と付き合っていくのだと前を向くための自信と勇気を持ちたいと思います。

そのためには、たくさんの失敗とほんのすこしの成功体験が必要になるのでしょう。今日、偶然見かけたサッカーの長友佑都選手のインタビューで、「一つの成功体験でメンタルが大きく変わった」ということを仰っていました。たくさんの失敗を積み重ね、それでも前を向いてほんのすこしの光を追い求めること。そのために人の助けをいとわないこと。

当たり前に思えますが、大事なことなのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?