見出し画像

戦略を考える方法論のアップデート・「脳みそから血が出るくらい」考えるための執念

今週、気づいたこと。

戦略を「脳みそから血が出るくらい」考えたのか、そこまでの「執念」は、どうしたら出てくるのか。みたいな話をしたくて。なんでそんな話するのかと言うと、今週みた、このツイートがきっかけになっていて、

リツイートした時は、まだ数十いいねくらいだったんだけど、、その後、バズってますね。。バズってる話題を取り上げるミーハー意識高い系だと思われるのも、なんとなくしゃくなんだけど、これにガツンとやられたのは事実なので、まあそこはいいや。で、この話、どっかで昔読んだことあるなと思って検索したら、昔の藤田社長のブログからの引用ですね。ソースはこっち。スクショ読みづらい人は以下で読むとよさげです。

ポジティブでいいやつの落とし穴 | 渋谷ではたらく社長のアメブロ https://ameblo.jp/shibuya/entry-11530560511.html

トップが戦略の拙さを、前向きさや熱さで誤魔化してはいけません。ここで最後までネガティブに戦略をチェックしなかったわずかな時間が原因で、これから始まる戦略を実行するための長い日々が、徒労に終わってしまうかも知れないのです。

いろんな事が、徒労に終わってるよね、実際には、。ほとんど見なかったことにしてるし、そこからの学びがあるから今がある、なんてことになってるけど、考える執念が足りなかったって捉えるべきで。

以前、「ダークサイドスキル」が欠落していたから、経営が上手くできなかった、という旨の話をしましたが、やっぱり、それは撤回で、今日の今日時点で思うのは、もちろんダークサイドスキルも欠落していたけれども、自分が自信があると思っていた戦略に対する思考が甘すぎて、考えきれていなくて、詰めきれていなかった、その結果、100人以上の1年間を徒労に近い動きに費やしてしまった、そう思うべきだな、と、執念を持って戦略を考えきれていなかったと。

そんでもって、もう一つ、あと、これ。

いろいろ経験して、いま私が言いたいのは、日本人は全員、ゆとりを持ちすぎだということです。ふざけてるんじゃないかと。

これにもガツンとやられました。

ちなみに、この記事の元となる「苦しかった時の話をしようか」、は1ヶ月前くらいの週報でも大絶賛した本で、すげーいいので、まだの方は騙されたと思って読んで欲しいです。だまされないので。

40歳もちかくなると、ガツンとやられることはほとんどなくなって行くし、直接やられたらやられたでへそ曲げて素直に聞けないことは想像に難くないので、こんな風に能動的に勝手にガツンとやられる気づきは大切にしなくては、と思い、週末にこうやってnote書きながら反芻するようにしてるんだけど、

ぶっちゃけ、働き方改革みたいな風潮で、少しゆるくなって、生産性を上げるという大義のもと、やりきる執念をセーブしていないかと。自分に言いたい。

もちろん徹底的に手足を動かして、忙しくして仕事した気になってるのは最悪だし、それを部下に強要するのはもっての他で、そういうことを言いたいのではなく、執念を持って、もっともっと戦略を考え切る、安易に走りながら考えるというワードに逃げない。深く、思考することから逃げない、あきらめない、ポッと出のアイデアに飛びつかない、という粘りの勝負。

では、執念を持って思考するって、どうすればいいのか、「執念の人」である森岡さんがどうやって思考しているのか、を思い返したときに、ようやく、今週の本の紹介になるんだけど、この本に書いてある方法論が参考になる(このnoteは毎週、一冊本を紹介してその本をテーマに語るという形式でやっております。

私はアイデアを考えるときは、まず目的を徹底的に吟味して定め、その次にアイデアが満たすべき「必要条件」を一番時間をかけて考えます。そしてその必要条件を組み合わせ、より条件を絞り込んで、自分が必死に思いつくべきアイデアの輪郭をできるだけ明確に絞り込んでいきます。具体的なアイデアを考え始めるのはいつも最後の最後なのです。

この「必要条件」を一番時間をかけて考える、これが大きなヒントになると思っていて、

目的や論点を考えることは、以前、論点思考に触れたnoteでも書いてあって、

ただ、この時は、論点思考はあまりに難しいので、せいぜいできる現実解として、自分は論点思考の本を持ってカフェにこもって、これを刺激にしながらうんうん唸る、みたいな、どうしようもない方法論しかか持ち合わせていなかったんだけど、

この「必要条件を考える」というステップが入ると、思考することの途方もない感じに、もう一歩光が見える感じになる。考えろ!という精神論をもう一歩具体化できる感じになる。

方法論があると、とにかく執念で考えろ、という精神論に比べてだいぶ見通しが立つ。

しかし、それでもやっぱり、思考し続ける、ということは、本当に辛いことで、良さげなアイデアが浮かぶと、そこで思考を止めて、走りながら考えるモードに切り替えたくなってしまう。これは人間の本能で、考えることは脳のエネルギーを使うので、避けよう避けようとする。だいたいわかった、と思うと脳の血流が落ちる、なので最後の詰めが大事という「三木谷曲線」みたいな話も以前触れた。

この人間の本能に逆らって、理性を働かせて、思考し続けることを「脳から血が出るまで考える」と表現したりするんだけど、その原動力となる執念はどっから生まれてくるのかが、方法論との両輪で必要になってくる。

で、改めて、この本を読んでみると、

最初に読んだ時は、もちろん楽しくて参考になったけど、話題の人の成功事例のケーススタディにちょっとアイデアの方法論ついた、たまたま成功した人の成功事例、という程度の読み方だったんだけど、著者の他の4冊すべて、特に、「苦しかった時の話をしようか」を読んでから読むと、まったく味わいの違う読書体験になる。

そもそも著者にとって、USJはどういう勝負だったのか、どういうバックグラウンドを持った人が、どういう思いで飛び込んだのか、前後の時間軸についての文脈が入ることで、著者の「個人の目的」と「その時点でのビジネス上の目的」の関係性が立体的に見えてくる。

話を戻して、「脳から血が出るほど」思考し続ける執念は、どこから生まれるか、ということに対する自分なりの現時点の解は、私利私欲に近いレベルの「個人の目的」が「その時点でのビジネスの目的」と限りなくシンクロさせられていることが一つのカギになると思う。そのためには、自分がなぜ働くのか、何にワクワクドキドキするのか、そこがしっかり固まっていて、そこに資するビジネスに関わって、そこでの目的をきっちりさせる、その一番上位概念がもやっとしてると、最後の執念が生まれない感じがする。

なぜ働くのかというのは結局、「自分と世界の関わりの中で自分が生きている実感を得たいから」だと思います。人間は社会的な動物ですから、自分が世界に存在している実感は、自分を相対化しない限りは得られません。
そうやって、世の中に自分が生きている証を残して、その反応で自分がワクワクドキドキする道を歩く。その足跡のことを私はキャリアっていうんじゃないかなと思うんです。

※今回は、5月26日(日)~6月1日(土)分の週報になります。

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?