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尾上菊之助の春秋 その壱 春

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尾上菊之助さんの話題が中心のマガジンです。筆者の長谷部浩は、『菊之助の礼儀』(新潮社)を以前、書き下ろしました。だれもが認める実力者が取り組む歌舞伎、その真髄について書いていきま…
有料記事をランダムに投稿します。過去の講演など、未公開の原稿を含んでいます。アーカイヴが充実すると…
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#国立劇場

【劇評209】芯のある時代物。菊之助渾身の『時今也桔梗旗揚』。

【劇評209】芯のある時代物。菊之助渾身の『時今也桔梗旗揚』。

 緊急事態宣言下にはあるが、関係者の努力によって、芯のある芝居が観られるようになった。

 今月の国立劇場は、歌舞伎名作入門と題した公演で、菊之助の『時今也桔梗旗揚(ときわいまききょうのはたあげ)』三幕がでた。多くは、「馬盥(ばだらい)」と「愛宕山」の場の上演だけれども、昭和五十八年、年吉右衛門が新橋演舞場で上演したとき、このふたつの場に先立つ「饗応」を復活した。

 四世鶴屋南北の時代物として知

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菊之助が造形する光秀の像はいかに。

菊之助が造形する光秀の像はいかに。

 三月の国立劇場は、『時今也桔梗旗揚』で、四世南北の「明智光秀」を見せる。
 昨年の三月は、菊之助が『義経千本桜』の三役、忠信、知盛、権太を演じる予定だった。コロナ渦のために急遽、中止となり、いち早く無観客配信されたのは記憶に新しい。
 今年は、この『義経千本桜』に再挑戦するのかと思っていたが、『時今也桔梗旗揚』とは意表を突かれた。
 近年の上演では、「馬盥」が中心となる。菊之助の演じる武智光秀が

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【劇評199】いつもの正月のように。なにも変わないことの貴重さ。菊五郎劇団の国立劇場。

【劇評199】いつもの正月のように。なにも変わないことの貴重さ。菊五郎劇団の国立劇場。

 いつものように正月が訪れる。初芝居に行く。繭玉を観る。それがどんなに貴重なことか。

 菊五郎劇団の国立劇場、正月興行は、復活狂言を上演してきた。
長い間上演されなかった戯曲には、それなりの理由がある。脚本を整理し、演出をほどこす作業は、座頭である菊五郎の負担が大きい。
平成一八年の十一月だったろうか、『菊五郎の色気』(文春新書)を書くために、菊五郎の楽屋を訪れた。眼鏡をかけた菊五郎は、書見

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新春歌舞伎の天気図。明日はきっと晴れ。

新春歌舞伎の天気図。明日はきっと晴れ。

 年末なので、今年の回顧を書こうかと思ったのだが、例年とは事情が異なる。悲しい気持ちになるのは必定で、こうした人災のような事態を招いた政府への恨み節となるやもしれない。

 そこで気分を変えて、正月の歌舞伎について書いてみる。

 浅草公会堂での花形歌舞伎は、早々に中止が発表された。東京での公演は、歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場の三座となる。

 まず、歌舞伎座から。なんといっても注目は、第二部。

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【劇評186】晴れやかに観る吉右衛門の「俊寛」。悪逆非道な清盛も痛快である。

【劇評186】晴れやかに観る吉右衛門の「俊寛」。悪逆非道な清盛も痛快である。

 国立劇場が、十月から充実した狂言立てで、存亡の危機にいる歌舞伎を支えている。

 十一月の第一部は、『平家女御島ー俊寛』。言わずと知れた近松の作だが、ミドリで出るときの二幕目「鬼界ヶ島の場」に先だって序幕に「六波羅清盛の場」を出している。

 歌舞伎ならではの楽しみに役者の変幻がある。
 今回、清盛の場で、吉右衛門が悪逆非道な清盛を演じ、鬼界ヶ島では、清盛に流された清廉な俊寛となる。
 同様に、

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【劇評181】平成歌舞伎の精華。菊五郎の『魚屋宗五郎』に秋風が感じられる。

【劇評181】平成歌舞伎の精華。菊五郎の『魚屋宗五郎』に秋風が感じられる。

 私が本格的に歌舞伎の劇評に手を染めたのは、もちろん、昭和ではなく平成になってからである。

 書き始めた頃は、勘三郎や三津五郎だけではなく、先代芝翫、先代雀右衛門や富十郎も健在であったから、顔見世や襲名で大顔合わせになると、「昭和歌舞伎の残映」という言葉をたびたび使った。

 なぜ、こんな話をはじめたかというと十月の国立劇場、第二部の『魚屋宗五郎』は、「昭和歌舞伎」とはいかないが「平成歌舞伎の精

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菊之助の『義経千本桜』について思うこと。

菊之助の『義経千本桜』について思うこと。

 映像だけで批評を書いたことはない。これまで長い間、評論家としての活動を続けてきた。舞台を記録した映像は、研究のために活用してきたが、生の舞台を観ずに、映像だけで批評を書いたことはない。

 今回の国立劇場による放映は、カットがあり、私としては不満足なかたちだった。けれども菊之助さんから、「観てください」とわざわざリンクhttps://www.youtube.com/watch?v=az2wWl4

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菊之助さんに直接、完全版の放映をお願いしました。

菊之助さんに直接、完全版の放映をお願いしました。

YouTubeで『義経千本桜』の放映が行われている
国立劇場小劇場で予定されていた『義経千本桜』が中止になって、落胆されているかたも多いかと思います。

また、この公演中止に対して、私は、すでに芸術文化振興会と国立劇場に対して、批判の記事を書きました。

私の意見表明が影響があったとは思いませんが、国立劇場としては異例のユーチューブによる配信が30日まで行われています。

必要があって、この配信の

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菊之助の義経千本桜、再開の見通しはいかに。

菊之助の義経千本桜、再開の見通しはいかに。

国立劇場の宣伝部からは、二月二十七日付で「国立劇場3月歌舞伎公演『義経千本桜』 一部講演中止に伴う総見中止のお知らせ」と題する文書が届いています。

「現在のことろ、3月16日以降の公演は実施する予定ですが、まとまった観覧席の手配をすることは難しく、改めて総見日を設けることは見送らせていただきたいと存じます」とありました。

さらに「つきましては、個別に3月16日以降の任意のステージで、ご観劇のご

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菊之助の『義経千本桜』の通し。知盛、権太、忠信。どれを観る? すべて観る?

菊之助の『義経千本桜』の通し。知盛、権太、忠信。どれを観る? すべて観る?

『義経千本桜』の通しと聞くと、忘れられない想い出があります。

 二○○一年に、中村勘三郎(当時、勘九郎)が隅川河畔で上演した『義経千本桜』と浅草がふっとわきあがてきます。。

 この古典歌舞伎の代表的な狂言を、勘三郎は、平成中村座で、知盛編(渡海屋、奥座敷、大物浦)、権太編(椎の木、小金吾討死、鮨屋)、忠信編(道行、川連法眼館)の三部に分け、交互上演しました。

 知盛、権太、忠信は、歌舞伎でい

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知盛、権太、忠信の三役を菊之助が。

今日、国立劇場から封書が届く。3月国立劇場小劇場は、『義経千本桜』の通し。菊之助が、三役を勤めるとのこと。詳しくは、以下のリンクへ。

https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2019/23125.html

【劇評160】復活狂言の佳品。菊之助が虚実の皮膜を生きる。
 ☆☆★★★

【劇評160】復活狂言の佳品。菊之助が虚実の皮膜を生きる。  ☆☆★★★

邪気のない愉しさ 菊五郎劇団の正月は、邪気のない愉しさにあふれています。

 国立劇場は、妙に繭玉が似合う劇場でもあります。樽酒が積まれた正面玄関を入ると、おめでたい気分になります。戦争なんぞにならず、楽しく暮らせればいいのにと、切ない願いで一杯になります。

 今年の復活狂言は、『菊一座令和仇討(きくいちざれいわのあだうち)』と題されています。四世南北作の『御国入曾我中村』を原作としています。

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国立劇場の復活狂言について、かつて書いたことなど。『風の谷のナウシカ』への挑戦は、ここから始まっていた。

国立劇場の復活狂言について、かつて書いたことなど。『風の谷のナウシカ』への挑戦は、ここから始まっていた。

『菊五郎の色気』(文春新書 2007年)より抜粋。現在、絶版になっていますが、古書市場で探すのは、さほど難しくないと思われます。

芸の継承の重さ 古典芸能としての歌舞伎にとって、家の芸の継承が重い意味を持つことは、いうまでもない。しかし、二百ともいわれる固定化されたレパートリーを繰り返すばかりでは、古典の名に安住するのでは、活力を失いかねない。まして、名門といわれる音羽屋である。家の型は、厳然と

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