菊五郎の色気

国立劇場の復活狂言について、かつて書いたことなど。『風の谷のナウシカ』への挑戦は、ここから始まっていた。

『菊五郎の色気』(文春新書 2007年)より抜粋。現在、絶版になっていますが、古書市場で探すのは、さほど難しくないと思われます。

芸の継承の重さ

 古典芸能としての歌舞伎にとって、家の芸の継承が重い意味を持つことは、いうまでもない。しかし、二百ともいわれる固定化されたレパートリーを繰り返すばかりでは、古典の名に安住するのでは、活力を失いかねない。まして、名門といわれる音羽屋である。家の型は、厳然としてあり、古典の再解釈、新たな型の創出は、容易ではない。

 菊五郎に、この点を直接、問うたことがある。

「もちろん家の型を大事にするのは、もちろんですが、家の芸とされる狂言に、新しい型を作り出すとしたら、その家の者でなければやれないだろうと思いますね。他の家の俳優に勝手に変えられては、たまらない。それはうちだけではなく、どこの家でも同じ思いでしょう。だとすれば自分たちの手でやらなければね」

なるほどと頷かされる言葉だった。

 しかし、たとえば「弁天小僧」や「忠臣蔵」の六段目のように詳細きわまりない手順が残されている演目に、新たな型を盛り込むのは、きわめて難しい。「型」とは、とらえどころのない言葉である。
 演目全体の演出を指すこともあれば、演技の手順や決まり、見得の取捨選択にも用いられる。狭義にいえば、衣裳、大道具、小道具の好みにも用いられる。

 古典の再解釈は可能か

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。