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【日々のこと】 パンダと、ファンだ。


わたしの本業は、アパレルの店長。
フレンチカジュアルの代名詞のようなこのブランドに入社して20年近く経つ。大ベテランだ。
わたしのお店は、20代・30代・40代と年齢層が幅広く、個性もバラバラ。
チームワークを構築する過程で、大なり小なり問題はあったけれど今はだいぶオープンにコミュニケーションが図れていて、みんなでよく笑うし、長としても居心地のいい職場だ。

そんなチームの中で、今日、こんなことがあった。
入社の時からわたしを慕ってくれる20代前半のスタッフがいるのだけれど、その子は普段から思ったことを素直に口にするタイプ。
何気ない会話の中で、
『わたし、店長のファンなんで!』
と言われ、空耳癖があるわたしは
『わたし、店長のパンダで!』
と聞こえてしまった。けれど、次の瞬間、会話の前後から『ファンなんで』か!と認識できた。でも、なんだか恥ずかしくなってしまって
『えっ?!パンダ?』とわたしは笑いながら誤魔化してしまった。
彼女は、恥ずかしそうに少し悲しそうな顔をして、
『勇気を出してファンだって伝えたのに店長に伝わらなくて悲しいです。』
と背を向けてしまった。
『ごめん!ごめん!恥ずかしくて誤魔化しちゃったの!本当にごめんね!ありがとうね!嬉しいよ!』
と必死に謝った。
その後もいつも通りに仕事をして、彼女は笑顔で帰っていった。


帰宅して、晩御飯を作りながらそのことがどうも心に引っかかってしばらく考えていた。
誰かが自分のことを褒めてくれたとき、ありがとうとお礼を言われたとき、わたしはその人の言葉と気持ちをちゃんと受け止められていただろうか。
照れくさくて、謙遜というよりも自信がなくて、自分に向けられているそれらのあたたかい言葉と気持ちを置き去りにしてしまうことが多かったんじゃないかと思った。

本当はいつも、認められたいし、褒められたい。そんな願望が心のなかにぷかぷか浮いているのに、わたしはいざとなると素直に受け取れないでいた。
素直に受け取るということは、わたしにとって勇気のいることだったのだ。


ひとは、自分の見たいように世界を見ていて、都合の良いように聞いている。
なんてことのない会話の中で、大切なことに気がついた気がする。
本当は、自分の周りは愛に溢れていたし、愛されていたのに、見ないようにして聞こえないふりをしていたのは自分なのかもしれない。
素直に受け取れるハートになりたい。
それに気づいたとき、小さなブロックが外れたように感じた。

なんとなく心に引っかかった些細なことにこそ大切なヒントが隠れている。
その小さな違和感を見逃さないで焦点を当ててあげると、なんだか意識が広がる気がするんだ。
明日からは、褒められたら『ありがとう』を素直に言える人になろう。

パンダはファンだじゃない。
パンダはパンダで、ファンだはファンだ。


晴海たお



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