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[書評]人の性癖は伺知れぬ『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』(谷崎潤一郎)

谷崎文学で知る、ほんとうのいけないこと
谷崎文学の通奏低音であるマゾヒズムに焦点をあて、人間の心に潜む“魔性”を刺激する短編集。「少年」「幇間」「麒麟」「魔術師」「一と房の髪」「日本に於けるクリップン事件」の初期傑作6編を収録。

Amazonより

ちょっと前にこんな書評を書いた。

この書評を書いたからには、近くあの本に掲載された文豪の本を読んでみようと思っていて、手に取ったのがまさかのこれだった。
なぜ「マゾヒズム小説集」。
なぜ正統派の文豪の作品を読まない。
なぜ谷崎潤一郎なら「細雪」を読まない。
なんて声が聞こえてきそうだが、これを手に取った理由は、
・「細雪」があまりにも大長編で尻込みしたこと(挑戦しようとは思っている。年末とかに)
・谷崎潤一郎は読みにくいとどこかで聞いたからひよった
などが挙げられる。

とりあえずこの本は薄くて、表紙も現代ちっくで、字もそこまで小さくない。
いや、勘違いしないでほしいんだけど私は文字がびっしりの本が大好きで、それが二段組みともなれば過呼吸を起こすほど興奮する性質(たち)なのだ。
西尾維新の「クビキリサイクル」でノベルスの二段組みと出会ってから今に至るまで、ページが文字で真っ黒になっていると嬉しい悲鳴を近所迷惑になるほど上げてしまう。
そんな私が谷崎潤一郎の「細雪」にひよったのは、さらなる伏線もあった。
ちょっと前に夏目漱石の書いたミステリに挫折していたのだ。
ホント読みにくいね、夏目漱石。慣れるまで頑張ろうと思っていたけど、一旦本を置いちゃったよ。
つまり文豪の作品に苦手意識が働いてしまっていたのだ。

長くなったけれど、そんなこんなで「細雪」は選ばずにこちらの本を手に取った。

内容は、谷崎潤一郎が自分の性癖を惜しみなく文学に昇華させたという感じだ。
前回書いた書評の文豪の本に、谷崎潤一郎は手紙で女性に自分の頭を踏んでほしいとまで書いたことがあるという事実を知った。
ドン引きである。
SとかMとかの以前に、そんな気持ちを恥ずかし気もなく文字にしたためるという行為にドン引きである。
もらった女性の反応については記されてなかったけれど、SMクラブの女王様でもない限り、「よし、こう言っているし谷崎の頭を踏んずけてやろ!」なんて誰が思うんだ。

作者がMなために、物語の中ではもれなく男性が虐げられる設定ばかり。
「少年」では最初こそ3人の少年が年上女性を折檻しようとするものの、結局は女性の方に女王様気質があって「人間ろうそく立て」にされる物語だった。
最初からハード過ぎである。
これを現代の文体に直したら確実に18禁の本棚行きだよ。
当時の担当編集者の心が広すぎたのか、はたまたこういった本が当時ウケていたのか分からないけれど、作品が残っているということは「これぞ文学!」ともてはやされたのだろうな。
明治時代、こわい!

私は大学の文学部で勉強したわけではないから、確実なことは言えない。
すべて推測の域を出ないことを承知してもらって思ったことを書くと、谷崎潤一郎は実質的に自分のMっ気を吐き出す場所がほとんどなかったのかな?と思った。
文献などを詳しく読んではないから、もしかしたら遊郭とかに通っていたのかもしれない。
でも、そしたらもっと太宰治や芥川龍之介みたいな芸術肌の強い「文学」を書いたのではないのかな?と思ってしまう。
自分の性癖を文学として昇華することで、己の欲も解放され、同時に文壇にも立つことができる。
谷崎潤一郎にとっては一石二鳥だったのかな、と。
いちがいには言えないけれど、もっと谷崎潤一郎を読んでみようとは確実に思わせてくれる作品集でもあった。

もし、谷崎潤一郎に挑戦してみたい人は本書をおすすめする。
マゾヒズムとか言ってるけど、どぎつい性描写などはないし、なんなら文学の香りがするマゾヒズムだからご安心を(なんだそれ)。

はるう



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