「気持ち」は考えるものじゃない
いつも通る道沿いの家に
可愛い犬がいる。
その犬に会えるのを
楽しみにしている女の子。
ある日、その家の前を通ると
いるはずの犬がいなかった。
「このときの女の子の気持ちを考えて
吹き出しにセリフを書きましょう」
この問題に、何と答えるだろうか。
これは、
娘が取り組んでいた教材の問題。
娘はこれに答えられないでいた。
仕草でSOSを出してくるので
「どうしたの?」と聞くと
「分かるけど、なんて書けばいい?」
との返事。
どうやら、気持ちは分かるんだけど
セリフが分からない様子。
そこで、娘が思うところの
「女の子の気持ち」を聞いてみた。
私:「悲しい?寂しい?心配?ほかには…」
娘:「言いたくない」
娘は、助けを求めてくるのに
どう助けてほしいか分からず
埒が明かない会話になることがある。
今回もそんな感じ。
だから、今度は私が
「女の子」ではなく「娘」の
気持ちを考えてみた。
・間違ったら嫌だな
・間違ってるかも知れないのに
見せたくないな
・分かってたらいいじゃない?
(わざわざ答えなくても)
娘は、間違い=失敗と
大きく捉えがちで
失敗を異常なほど恐れる子。
「失敗は成功のもとだよ」
と言ったところで、
頭では理解できても
心の処理は追い付かないのだと思う。
だから、
「失敗してもいいんだよ」
「間違ったことを言っても
恥ずかしくないんだよ」を
体現するために、こうしてみた。
「ママならこんな感じかな~」と
自分の考えたセリフを言い、
「あなたはどう思う?悲しい?寂しい?
心配?プンプン?どっひゃー?(笑)」
プンプンで「それはない!」と
娘の突っ込みをいただき、
どっひゃーで笑いを取ってみる。
こうして、心が緩んだ娘は
考えたセリフをスラスラっと書いた。
「間違っても平気」という安心感と
「勉強は楽しい」と思える感覚が
「自分ならどうかな~」と
考える気にさせてくれるのだと思う。
ところで、娘の考えたセリフは
「え?なに?なんで?…」だった。
悲しいでも寂しいでもなく、驚き。
私はこのことに一番ハッとした。
この「驚き」こそが、
第一の感情じゃない?
真っ先に心から出てくる
素直な感情。
その後に、
「犬がいない」という事実に対し
自分なりの解釈をプラスして
悲しいとか、寂しいとか、心配とか
いろんな感情を「考えている」のだ。
学校教育でも
こうした教材でも
親の関わりでも
こんなふうに
「第一感情」をスルーして
頭で気持ちを考えてはいないだろうか。
そんなことを
娘から気づかされた一件だった。
「自分の気持ちに素直に」
「ありのままで」と願うなら
第一感情を大切に汲み取ろう。
そのために、親の私たちも
真っ先に出てきた自分の気持ちを
ジャッジせずに受け止めよう。
「気持ち」や「感情」は
頭で考えるものじゃない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?