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氷山の一角【小説】

第一章 学生生活

周りを見ると真っ白な世界が広がっている。雪の冷たさと白さを感じながら立っている。地平線とまでは言わないが、この広大な土地に終わりがあるのか分からなくなりそうなくらいに広い田んぼが連なっている。ここは東北のとある田舎町。長いスカートを穿いているのに、膝から下が寒くて凍りそうになる。無意識に吐く息が白く染まる。その煙から父の吸っていたタバコを連想する。突然の風で長い髪がなびく。今日は卒業式の日。短いようで長い三年間が終わった日。人生の時間という概念では短いかもしれないが、高校時代という一度しか体験できない長い生活が終わった。それは楽しくもあり辛くもあった。高校卒業と同時に生まれた町を出ていく。東京に上京するのだ。もう引っ越しも済ませているので準備は整っている。今思えば高校は勉強漬けだった。毎日毎日、机に向かい参考書を開いて予習復習の繰り返し。何度も諦めかけたこともあった。でも、諦めなかった。

小松真知子は東京大学に進学することになっていた。合格通知を見たときは泣いて喜んだ。努力の集大成を感じたのだ。この田舎町から大都会の真ん中に上京する。その時から、上京する日は生まれ育った田舎町の景色を眺めてから故郷を離れると決めていた。中流家庭に生まれた私は農家の父と母の間に生まれた。兄が一人いる兄妹だ。兄は農家を継いだ。今まで育ててくれた両親に感謝している。おもむろに腕時計を見る。新幹線発車の時刻まで時間はまだある。もう少しだけ、この景色を見よう。

何分くらいだろうか、景色を眺めていると高校の友達であるアサミが来た。制服姿で胸に私と同じ白色のコサージュを付けている。アサミの履いているスカートは短い。寒くないのだろうか。ショートヘアで髪も短いのがアサミの特徴だ。アサミとは中学時代から共に過ごしていきた親友の一人だ。いつもニコニコしていて、笑顔が絶えることがない。幸せに包まれているといった感じだ。

「真知子、東京に行くんだね」

「うん」

「官僚になるために頑張ってね」

私は官僚になる夢を抱いている。その為に高校時代は勉強漬けだった。塾はもちろん、家庭教師まで付いて毎日、勉強していた。勉強は、辛かった。でも、勉強して損することはないと思い何度も踏みとどまる。勉強して、努力して、東京大学に入学という切符を手に入れた。それもこれも私の思い描いた夢に近づくためだ。

「アサミも銀行勤め頑張ってね」

アサミは高校卒業後、地元の銀行に勤めることになっている。この県では大きい方の銀行である。東京に行くのは私を含めて数人だけだ。その他の大勢は農家を継いだり、地元のスーパーに就職したりする。

私が官僚を目指そうと思ったきっかけは社会の役に立ちたいと思ったからだった。中学の時にしていた清掃ボランティア活動の時に、官僚が視察に来ていた。官僚といえば男性のイメージがあるが、視察に来ていたのは若い女性官僚だった。丸いメガネを掛けたパンツスーツの姿。ポニーテールの髪。テキパキと要領よく話す姿。キリッとした目元。私は、その人に憧れた。将来は、こんな素敵なキャリアウーマンになろうと思った。

国の制度は分かりにくくて、あやふやな所があるから問題点や改善点を明確にして分かりやすいようにしたいと思う。そして、地方創生。東京一極集中を回避するには、地方都市の活性化させなければならない。省庁などを分散させることによって地方経済を円滑にすることが出来るのではないか。私自身一人で変えれるとは思えない。でも、少しだけでも良い方向に変えていくことは出来る。一人ひとりにあった制度を分かりやすく示していき、それぞれにあった制度を整えていきたい。明確なビジョンを持って官僚になる夢を描いている。縁の下の力持ちとして国に尽くしたい。官僚という仕事は難しいと思う。でも、社会の役に立つ仕事をしている実感を持ちたい。一人ひとりが支え合っていける社会にするために全力を尽くす。

もう一度、腕時計を見る。新幹線の発車時間が迫っている。駅のホームへと足を進める。新幹線が来た。指定された席に座る。乗車人数は一両に付き数人程度だ。私の横の席は誰も居ない。窓際の席で、小さな窓から雪景色が見える。東京に行ったら、いつこの町に帰ってこれるか分からない。この景色をしっかりと目に焼き付ける。スマホにラインメッセージが来た。母からラインが来た。『発車時刻だね。東京に行っても健康には気をつけるんだよ』と書いていた。私は『ありがとう』というラインスタンプを送った。

私が住むことになったアパートは、豊島区の駒込にある二階の角部屋だ。人通りは多いが、意外に静かな場所だ。通う大学は自転車で通学することが出来る。この四年間を1LDKの小さなアパートで生活する予定だ。ドキドキと不安が混じりあった気持ちをかかえている。東京には観光や受験で何度か来たことがあったが、住むとなれば話は別だ。初めの一人暮らし。全て自分で行わないといけない。

大学生活が始まった。何もかもが新鮮な日々だった。人の多さや、街を歩くとナンパにあう。恋愛に興味の無い私はそのたびにあしらわなくてはいけない。田舎とのギャップに驚く。と言っても、東京渋谷を歩いている人は、ほとんど私達みたいな、田舎者の集まりなんだけど。大学では、同じ経済学部の隅岡淳子と友達になった。淳子は美人で英語が得意。群馬県出身で、淳子も私と同じ田舎出身者だった。淳子は私と同じ官僚という夢を持っていた。それが意気投合するキッカケだった。淳子は性別関係なく官僚や仕事を目指せるような社会にしたいらしい。男性も女性も子育てと仕事を両立しやすい環境を整えることによって少子化対策や雇用や労働生産性について考えていた。日本の女性官僚の比率は増えたとはいえ、まだまだ少ない。女性活躍の社会を作るためには公務員から見本を見せていくべきだというのが、淳子の論だった。

私は熱弁する淳子に憧れた。自分自身の考えを持っている。芯がある。周りに流されるわけでもなく、かと言って自分の考えだけを主張する自己中心型でもない。聞き上手で、たまに自分の考えを伝えるのだから嫌な気持ちはしない。議論するときにもデータに基づいて話しているので円滑に進む。疑問点があると一つ一つ解決していく。ハキハキと話す姿を見て、あのボランティア活動を視察していた女性官僚の姿を思い出した。

こうして、勉強と淳子との議論など繰り返しで三年が過ぎた。勉強漬けで、恋愛をすることやサークルに入る暇が無かった。就活の季節がやってきた。教授の勧めでK省を第一志望とした。K省は、主に経済や産業、エネルギー資源の供給に関する行政を管轄している。その他のZ省など複数の省庁インターンを受けたり、M省に入庁した大学の先輩に話を聞いたりした。情報が大切な時代。いろいろな話を聞いて、頭の中を整理する。人と話して、コミュニケーション能力も同時に鍛える。そして、希望した複数の省庁の試験・面接を受けた。どれも厳しい質問を浴びせられた。一つ一つに丁寧に答え、自分自身の考えをしっかりと伝える。自分に自身を持て、恐れるな。芯を持って話す。私は国に対して何の役に立てるのか?どう努力を尽くせるのか?

努力したおかげで、第一志望のK省から内定を貰った。こうして、官僚になるという夢に近づいた。社会生活という新しい扉が開こうとしている。

第二章 社会

時は早いもので、省庁に入庁してから9年という月日が経った。あっと言う間の9年だった。学生時代というのは刺激に溢れていて、一日一日が長く感じたのだが、社会人になると同じような仕事で溢れていて、時の流れが速く感じる。私が働いている部署はK政策局・総務企画部会計課だ。二年前、私は課長補佐級の役職に昇格した。この課は主にK省の経理全般を担当している。出張にかかった経費などをエクセルにまとめたり、簿記、記録したりするのだ。国民から納められた税金を取り扱っているので、抜かりのないようにチェックする。隅岡淳子も別の部署だが、同じK省に入庁した。

そんなある日、臨時異動として入庁してきた人が居た。朝礼時に私の所属する部の部長が、その人を紹介した。その人は、よく通る声で高見健吾と名乗った。年齢は30代後半か。今日から課長として職務に就くようだ。背が高くて、痩せていて、スマートな顔立ちをした高見課長に私は胸がドキドキと高鳴った。私は恋をしたのだ。生まれて初めての恋だった。

朝礼が終わって、高見は私を食事に誘ってきた。異動してからいきなりの誘いで、返事に戸惑った。どうして私なんだろうと思っていると、高見はその思いを察したのか、

「異動したばかりで知らないことばかりだから、小松さんなら話しやすそうだったから」

と高見は言った。それでも誘ってくれて良かった。恋愛経験ゼロの私は高見の容姿だけ見て惚れていたのだ。高見と話してもいいかなと思った。港区にあるフランス料理専門のレストランで二人は食事をした。男性と二人きりで食事したことも初めてだった。店の雰囲気は落ち着いていて、無駄に照明が絞られている。高見が外見から発する雰囲気と似ていた。分かりやすく表現すると店に馴染んでいるのだ。

高見は話題も豊富で、トークが上手だった。官僚という仕事に熱意を持っていて、どうしたら日本を良くできるのかを一番に考え、差別や貧困問題までの持論を語っていた。この話を合コンとかでしたら女性に引かれそうな気もするが、同じ職場の上司と部下の関係。共通した信念を持っていたので、話が弾んだ。

私は高見のフォークを持つ薬指に指輪が嵌められているのに気づいた。こんなに優しいくてカッコいいから奥さんくらいいるよね。私は納得とがっかりしている自分の心境に気づいていた。私の視線に気付いたのか高見は既婚者だと告白した。妻とすれ違う中だと言うことを話しだした。家族構成は妻と小学生の娘。奥さんは家事と仕事で忙しいらしく、夜の相手をしてくれないらしい。私は高見の話を一つ一つ真剣に聞いていた。食事が終わり、私は高見とレストラン前で別れた。

食事に誘われてから、数週間経った。高見の仕事ぶりは凄く、きめ細かく動いてくれて、仕事は順調に進んだ。頼りになりすぎて迷惑ばかりかけているが、高見は怒る素振りもなく、優しく指導してくれた。そんな日々が続いたせいで、高見が疲れているのが外見から分かった。キリッとした目の下にクマが出来ているのだ。

私は日々の仕事の疲れを癒やしたいと思った。いつも迷惑をかけている文、こんな私でもいいのなら高見を元気づけたい。母性本能が働く。今度は私から食事に誘うことにした。最初は戸惑った高見だが、しつこく誘ったおかげて、一緒に食事することが出来た。高見はシャツの第2ボタンまで外した格好で注文したビールを飲みながら、部長の悪口を言っている。どんな内容でも高見と会話するだけで楽しい。そんなこんなで話していると、終電の時間が迫ってきた。そろそろ帰ろうかと思っていると、酔っているのか、高見は、猫撫で声で「まだ帰りたくない」と言った。

二人は食事を終えてレストランを出て、二人で初めて食事した時とは違う行動に出た。私と高見はネオンが光る夜の街を歩き出した。

高見との不倫が始まって、一週間が過ぎた。2回目の食事を終えて、私達は一線を超えた。まるで幻でも見ているのかと思った。初めての相手だったので緊張したが、慣れてみるとどうってことなかった。高見がエスコートしてくれた。酒が入っていたせいもあるが、私自身も興奮して、この世にない幸せを感じた。

でも高見には妻がいる。結婚願望の無い私は妻と別れてまで高見と一緒になりたいとは思っていない。ただ、私は高見の疲れを癒やしてあげたいと思っている。自分でも都合のいい女だとは分かっている。でも、初めての恋だから立ち回りが分からない。高見との関係を持つのを辞めようかな。そう思う時が時々ある。私も女だ。奥さんの気持ちも分かる。仕事と家庭を両立するのは大変だと思う。なかなか時間を作れないのも頷ける。

数日後、高見に家に来てと言われた。妻が居るんじゃないの?と私は聞いたが、妻は友人たちと静岡に泊まりの旅行中という。娘はお泊り会に参加しているようだ。高見の住んでいる家を見たくなったので、私はお邪魔することにした。高見の家は世田谷区の高級住宅街にある一軒家で、四階建ての戸建てだった。黒をベースとしたシンプルな一軒家だった。静かな環境で私の住んでいる駒込のアパートとは格が違うのを感じた。

中もシンプルな作りで、使いやすいようにまとまっている。奥さんは几帳面な性格なんだなと思った。高見はTシャツと短パンというラフな格好だった。仕事以外の服装を見るのは初めてだったので新鮮な感じがした。高見も私と同じ目で見ているのだろうか。私の体を舐め回すように見ている。

興奮しているのか、高見は私が玄関に入るなり、部屋に案内された。すぐにでもヤりたいらしい。なんで男って野獣みたいなんだろう。高見に誘われて、ダブルベットで二人は抱き合った。普段、妻と寝ているベットでするのが夢だったようだ。私は高見が変態だと思った。

性行為が終わった後、高見はゴムが無くなったと言って、薬局に行った。私は大事な仕事が残っているのを思い出し、スマホのメモ帳で書類の提出期限を見た。提出まで1時間を切っていた。どうしよう。自宅から送ると時間的に間に合わない。提出資料は出来ているが、ここから自宅までの移動時間がかかるので、間に合わない。ダメ元で高見のパソコンを使わせてもらうことにした。USBをパソコンに差し込む。パスワードが設定されていて無理だと思ったが、パソコンにはパスワードがかかっていなかった。画面を起動させると、左端に複数のフォルダーが並んでいた。その中から、一つのフォルダーに目に止めた。

そこには『氷山の一角』と書かれていた。

第三章 氷山の一角

そこには『氷山の一角』というタイトルが記載されていた。このファィルは何なのだろうと思った時だった。玄関の扉が開く音がした。高見が帰ってきたのだ。そのファイルの中身が気になった私は自分のUSBにデータを保存することを思いついた。左上のファイルを開いて『名前を付けて保存』の部分をクリックして保存先を『リムーバブルディスク』に保存した。

部屋のドアがゆっくりと開いた。

「どうかした?」

「なんでもないよ」

ギリギリセーフ。パソコン画面は消せたのだが、まだ手にはUSBを握っている。鞄にしまわないと。バレたのではないかという思いからUSBを握る手が熱くなる。小さいUSBなので手の中に隠れているから高見は気づいていないようだ。不思議そうに見つめる高見に背を向けて、USBを鞄にしまった。昔見たスパイ映画みたいだなと、緊張の状態の中でも考えている自分が居た。

「もう一回しよっか?」

私は高見にパソコンを触ったと気づかせないように、別のことに目を向けさせようとベットに誘った。その言葉に興奮した高見は何も言わずに私だけを見て、迫ってきた。

2回目を終えてから、私は用事を思い出したと言って高見の家を後にした。高見は残念そうな顔をしたが、あのデータの中身が気になってしかたがないのだ。本当は、高見と沢山話したいのだが、私の気持ちはあのデータに向いていた。提出資料を送れなかった言い訳を考えながら電車に乗った。

駒込のアパートに戻り、自分のパソコンを起動させる。USBを鞄から取り出して、パソコンにUSBを差し込む。データをパソコン画面に表示させた。『氷山の一角』と書かれたファィルを開く。中身を見た私は目を見開いた。

そこには数種類の支援金名の横に金額が記載されていたり、K省の副大臣宛の金額が記載されていたりとエクセルで纏められていた。何だこれは。なにより目を引いたのは、横領及び賄賂金額表と一番上に記載されていることだ。各支援金名の横には数万の金額が、副大臣への金額は数百万円を超えている。高見は横領や賄賂を贈っている?あの気さくで優しい高見が?頭の中が『?』マークで埋め尽いていく。ショックと驚と疲れが合わさって私は倒れるように眠りについた。

次の日、私はいつもどおり出勤した。出勤時、課長席に座っている高見と目を合わせないようにした。直視できない。昨日のことが頭に思い浮かぶ。横領や賄賂のデータ。今日の朝もデータを見たが、これは現実だ。自分のデスクに座りながら、どうするか考える。横領や賄賂は犯罪だ。高見を内部告発するべきだろうか。上司に相談してみようか。いや、あの部長のことだ。課長の責任は部長の責任でもる。部長は監督不行き届きとして非難されるのを恐れて、隠蔽するかもしれない。では、どうしたらいいのだろうか。

もし、内部告発するとしたら、どうして高見が持っていた『氷山の一角』というデータを手に入れたかという疑問が浮かぶだろう。そうすると私と高見との不倫関係がバレてしまう。それだけは避けなければ。内部告発して正義を貫くか、高見との不倫をバラしたくなという気持ちを通すか、どちらに重りを置くか頭の中で天秤にかける。

何分くらい考えていたのだろうか、スマホが鳴った。アサミからメッセージが届いたようだ。マサミは、三年前に銀行を辞めて、北海道の釧路で農家の長男と結婚して、農業を手伝っているらしい。

『最近、どう?』 

アサミからのメッセージ。相変わらず単刀直入だ。

『忙しい毎日、でも私は日々頑張っているよ。アサミは?』

『そう、真知子も頑張っているんだね、昔言っていたよね。どんな壁があろうとも正義と戦って、自分が正しいという道を進みたいって』

そのメッセージを見て、高校時代を思い出した。理不尽な校則に疑問を持った日、私は教師に校則を変えるように説得した。自分でいうのもなんだが、成績優秀だった私の意見は教師を動かす説得力を持っていた。そのおかげで少しずつ校則は良い方向に変わっていた。アサミなどの友達からは正義の味方までと大げさに褒められた。少し恥ずかしかったが、悪い気はしなかった。私は昔から自分の正義を貫いてきたのだった。

やっぱり内部告発しよう。私は私が思う正義を貫く。どんなに大きい壁に当たっても戦っていく。内部告発のためにはもう少し証拠が必要だ。これから証拠探しを始めよう。私はデスクに座りながら頭の中を整理した。

第四章 証拠

証拠探しには、高見の経歴から調べることが先決だと思った。最近、人事異動してきた高見の経歴を詳しく知っている人といえば、あの人が一番詳しいだろう。私は部長に目を留めた。部長なら高見の詳しい経歴を知っているのではないか。部長席の前に行く。前に立つと部長は不思議な顔をした。

「ちょっと話があります」

部長と会議室に入った。近くの席に座っている高見に聞かれてはまずい。私は仕事を円滑に進めるために高見課長の詳しい経歴を知りたいと嘘をついて、部長から高見の人事異動の件について訪ねた。部長は簡単に口を開いてくれた。もともと話好きなのだ。高見は、M省の大臣官房会計課で15年勤めていて、課長に昇進すると同時に我が省に異動してきた。本人の希望だそうだ。つまり、前の職場で問題行動を起こして左遷されたということではないらしい。部長から前の職場での高見の印象など詳しい情報がもっと欲しいと思ったが、あまり聞きすぎると不審に思われるので、「ありがとうございます」と言って適当に話を切り上げた。

次に中小企業などに支援する税金を横領したという証拠を探した。しかし、データを改ざんされては調べようがなかった。横領がバレるケースとして、支出と収入の金額の差が広がると計算が合わなくなって疑問が湧くが、改ざんすることによって、辻褄を合わせているのなら疑問は生じないのでバレない。この横領疑惑については証拠を掴めないのでないか。この横領疑惑は一旦置いておいて、次の疑惑に移ろう。

なぜ高見は副大臣に数百万円という賄賂を贈ったのか。賄賂というのは見返りを貰うために渡すもの。高見が貰える見返りを考える。考えられるのは昇進くらいか。K省の副大臣に賄賂を贈っているのなら、ここに人事異動してきたと同時に課長になったのも頷ける。副大臣が高見に課長に昇進するように根回ししたのではないか?賄賂で課長補佐級から課長に昇進したのではないか?高見と副大臣の関係性を調べよう。

副大臣は国会議員だ。K省副大臣の名前は青湯誠治。68歳。当選8回の衆議院議員。選挙区はGM県第六区。世襲で父親の地盤を引き継ぎ、地元では無風選挙区と言われるほど、強力な地盤の持ち主だ。元M省官僚。国会での予算委員会での問題発言などが、度々マスコミに取り上げられる。私の同僚情報によると不祥事を揉み消しているという噂が立っているようだ。真偽は分からないが、私の直感では不祥事を揉み消す力はありそうだ。

副大臣となると、私一人で立ち向かえれるのか?またしても大きな壁にぶつかる。内部告発するには協力者が必要だ。知り合いに週刊誌の記者が居る。その記者に協力してもらおうか。私は、その記者に電話して、大まかな内容を伝えた。その記者は、興味津々で、もっと詳しく聞きたいと言ったので、私は職場近くの喫茶店を話し合いの場として指定した。

喫茶店で待っていると、顔馴染みの記者が席にやってきた。向かい合って座る。その記者の名前は国永和夫と言って、大手週刊誌の記者をしている。部署は政治・経済部だ。これまで、数々の政治家のスキャンダルを暴いてきた。K省の官僚の不祥事が明るみに出たとき、国永に匿名インタビューされたのが知り合うキッカケだった。国永は30代後半で、独身。お世辞にも痩せているとは言えないほど太っている。100キロはありそうだ。その巨大な体つきから『記者界のトトロ』と言われている。

私は国永に、高見という課長が横領や賄賂を行っている疑惑を話した。今は証拠を集めているところで、証拠が揃ってから週刊誌に特集を組んで報道して欲しいと頼んだ。国永は腕を組んで、考えていたが、まずは匿名でいいからインタビューをして欲しいと言われた。私は、これまで分かっていることを話した。国永は録音を終えたボイスレコーダーを鞄にしまいながら、協力者になることを承諾してくれた。他にも協力者が必要かどうか聞かれたので、多いに越したことはないと答えた。一人でも多く協力者が必要だ。数は力になる。国永は、ある野党議員を紹介してくれた。

第五章 世襲

私は参議院議員会館に来た。国会議事堂近くにある建物。選挙で選ばれた参議院議員が、この会館に事務所を構えている。議員には基本的に二種類の事務所がある。選挙区の事務所と、この国会事務所だ。この会館に国永から紹介してもらった議員が居る。国永を通じて面会のアポを取っている。玄関に入って右側の入口から入り、セキュリティチェックを終えて、玄関ロビーの受付台で面会証に必要事項を記入した。面会証を受付に提示して、ICカード入館証を手に入れて、セキュリティゲートにかざして入場した。厳重な警備が施されている。

私が向かう部屋は、南住健介というネームプレートが掲げられている議員室だ。その部屋は四階にあった。ドアをノックする。秘書と思われる男性が出てきた。20代後半くらいだろうか。私と同い年くらいだ。キリッとした顔つきで黒縁眼鏡を掛けている。いかにも真面目そうな人だ。彼は南住議員の公設第一秘書の坂田と言った。

坂田秘書に案内されて、議員室に入った。議員室は茶色をベースとしたシンプルなデザインになっていた。四方八方に選挙ポスターやファイルが積みかさなっている。数人の秘書や事務員が座る部屋の左側にも別の部屋がある。坂田秘書はドアをノックした。中から男性の声が聞こえた。これから会う国会議員だ。

部屋に入ると、スーツをキッチリと着こなした男性が立っていた。まずは互いに名刺を交換した。南住健介、48歳。労連出身で、最大野党のR党所属。R党副政策委員長。比例区選出。現在ニ期目。これまで、数々の与党議員のスキャンダルを予算委員会で追求してきた。与党議員からは『スキャンダルのスッポン』とまで言われている。

私は南住議員に青湯副大臣が賄賂を受け取った疑惑について、南住に話した。南住は真剣な目をして聞いている。与党議員のスキャンダルには目がないのが伺える。証拠が揃ったら内部告発するので、国永記者による内部告発報道後の予算委員会でのスキャンダル追求をお願いした。南住は、すかさず承諾した。さすが、スキャンダルのスッポンだ。迷いがない。

南住は青湯副大臣の息子について話しだした。青湯副大臣には一人息子が居て、名前は青湯真一。33歳。独身。青湯弁護士事務所の所長。次の選挙で、GM県第六区から出馬するらしい。青湯副大臣の地盤だ。親の地盤を引き継ぐことに南住議員は非難していた。南住議員が語る話を要約すると、世襲の問題点として、特に衆議院は同じ選挙区を継ぐことが一番の問題だと言う。世襲は親を見て政治の勉強しているが、選挙では自分の力で当選していないのではないだろうか。親の力を借りているのではないか。世襲対策としては別の選挙区から出馬するべきだと語る。本当に政治の実力があるのなら、別の地盤でも通るだろうというのが南住の理念らしい。

南住議員は副大臣の賄賂疑惑の話からそれて、息子の青湯真一の批判に移っていた。南住議員は青湯真一は女遊びが激しいと言い出した。噂では女性官僚とも付き合っていたようだ。誰か聞いたが、スキャンダルのスッポンでもそこまでは分からないらしい。

南住議員との話を終えて、K省に戻った。青湯真一と付き合っていた女性官僚というのが気になった。何という名前だろう。噂話に詳しい女性官僚に聞いた。その女性官僚は総務部で、いろいろな部の男女の関係、いわゆる恋愛に精通している。 

その女性官僚に青湯真一と付き合っていた女性官僚の相手を聞くと、あっさりと答えてくれた。その人の名前を聞いた時、私は頭を殴られたような強い衝撃を受けた。

その女性官僚の名前は、隅岡淳子だった。

第六章 復讐

隅岡淳子は青湯真一と付き合っていた。それは本当だろうか?二人にどうゆう関係性があるのか?本人に直接聞くしかない。隅岡淳子は入庁してからK省の人事課に配属している。私は隅岡淳子を会議室に呼び出した。最近の状況など雑談して、本題に入った。隅岡淳子に青湯真一との関係性について単刀直入に訪ねた。隅岡淳子は驚いた顔をして、下を向いた。その体勢で、おもむろに青湯真一との関係を話しだした。隅岡淳子の話を纏めるとこういことだった。

隅岡淳子の友達に女性弁護士が居る。その友達の弁護士に異業種交流会というイベントに誘われた。そのイベントに行った隅岡淳子は青湯真一に一目惚れした。女性の誰もが憧れるイケメンな容姿だったのだ。名刺交換をして、二人は知り合った。二人は食事を重ねる内に付き合うようになった。しかし、青湯真一の女癖の悪さが表に出てしまった。他の女と浮気していたのがバレたのだ。隅岡淳子は青湯真一と別れた。隅岡淳子は復讐として、嘘のデータを作った。横領や賄賂疑惑のデータを作成している最中だった。完成版は青湯弁護士事務所の支援金を青湯真一が横領していることになる予定で、そのデータの完成版を選挙期間中に公表しようと思っていると言った。

私は口をあんぐりと開けながら話を聞いていた。横領や賄賂疑惑のデータを作った?高見が持っていた、あのデータではないのか?隅岡淳子に、高見が持っていたデータの内容と合致するのか確認が取れない。なぜ知っているのか聞かれたら、答えることが出来ないからだ。不倫がバレてしまう。それに、隅岡淳子の目は意見を挟むのを拒んでいた。隅岡淳子による青湯真ーへのでっち上げを止めることは出来ないだろうと思った。それほど、隅岡淳子は青湯真一に怒りを持っていた。

もしかしたら、私の勘違いかもしれない。高見の持っていたデータとは隅岡淳子が捏造したデータではないか?では、なぜ高見は隅岡淳子のデータを持っているのか。高見を問い詰めよう。

高見を会議室に呼んだ。あの『氷山の一角』というデータを初めて見た日からプライベートでは高見と会っていなかった。仕事でも必要以上に話すことは無くなったし、高見からも何も言ってこなくなった。会議室に来た高見は不思議な顔をしていた。私は高見に『氷山の一角』というデータについて話した。あのデータは何なのか?

私の話を聞いた高見は驚いた顔をした。なぜ知っているのか?顔にそう書いていた。私は隅岡淳子に話を聞いたと言った。高見の持っているデータと同じか分からなかったが、釜を掛けたのだ。観念したのか、高見は『氷山の一角』というデータについて話しだした。

高見は私と不倫しているとき、隅岡淳子とも不倫していた。隅岡淳子は青湯と別れてから落ち込んでいた。その悲しみの最中、高見は隅岡淳子とも関係を持ったのだ。別れて、悲しみに浸っている隅岡淳子の心に漬け込んたのだ。とんだ不倫男ではないか。隅岡淳子の部屋に行った時、部屋に置いてあるパソコンが起動していて、隅岡淳子がトイレに行っている時、画面をたまたま見てしまった。そして、その『氷山の一角』というファイルを開いた。驚いた高見はデータをUSBに保存した。

全て話終えると、高見は土下座しながら謝罪の言葉を述べた。私は怒ることが出来なかった。私は不倫女なのだ。妻が居ると知っていながら、不倫していた。それに私は高見と同じことをしていた。データをUSBに保存する経緯なんてほぼ同じだ。私は高見との関係を切ることにした。その瞬間、不倫とはいえ、沢山の高見との思い出を思い出し、涙が止まらなかった。

第七章 謝罪

隅岡淳子は青湯真一に復讐しようとしている。確かに浮気男の青湯真一は自業自得だと思う。しかし、だからと言って復讐することは肯定出来ない。いくら親友でも、捏造は犯罪だ。隅岡淳子に犯罪者になっ手欲しくない。隅岡淳子の復讐をどうやって止めるか。私は青湯真一に謝罪させるしかないと思った。青湯真一に謝罪させて、隅岡淳子の復讐を止めるのだ。

記者の国永に電話した。国永に、これまで分かったことを説明して、青湯真一とアポを取って欲しいと頼んだ。数十分後、国永から折り返しの電話が掛かってきた。国永は青湯真一とアポが取れたらしい。今は、選挙期間中で、GM県第六区にある選挙事務所で話すことが決まった。焦ってはいけないと思ってはいるが、早くしないと隅岡淳子が犯罪Ⅱ手を染めてしまう。

アポ当日。国永と私は国永の運転する軽自動車でGM県S市に来ていた。S市は第六区の選挙区の中にある市町村の中で一番人口が多い。この市に青湯真一選挙事務所があるのだ。青湯副大臣は引退して、息子は初めての選挙に挑む。車を広い駐車場に停めて、二人は事務所の玄関を潜った。事務所には青色のブルゾンを着た複数人の事務員が慌ただしく動いていた。私たちは、前を通ろうとした中年女性の事務員に声をかけた。その中年女性に青湯真一との面会を予約していると言った。青湯真一は、地元の工場に挨拶周りに行ってるらしく、もうすぐ帰ってくるので、先にパーテンションで仕切られた応接室に案内された。私たちの前には『教育問題を改善して、子供たちに明るい未来を!』というキャッチフレーズと共に青湯真一のガッツポーズが写ったポスターが何枚も貼られていた。

数分後、青湯真一が帰ったらしく、事務員の声が聞こえる。青湯真一が応接室に入ってきた。背が高く、薄青色のスーツが似合っている。いかにも清潔で、女にモテそうな容姿だ。私たちは名刺交換した。無駄話をしている場合ではない。隅岡淳子が、いつ捏造データを公表するか分からない。今は選挙期間中なのだ。私は、青湯真一に隅岡淳子が復讐を測っているという経緯を話した。

事の経緯を話し終えると青湯真一は顔が真っ青になっていた。私は隅岡淳子に謝罪するべきだと主張した。謝罪して女癖を治すと約束するのだ。青湯真一は迷っていたが、渋々頷いた。選挙に支障が出るのが怖いのだろう。どんな理由でも謝罪させることが出来れば私は良いと思っている。

第八章 結末

後日、青湯真一はK省まで来て、隅岡淳子に土下座して謝罪した。隅岡淳子は冷静な口調で取り乱していたと言った。あのデータは消去すると言った。裏切られた怒りを何かに当たりたかったからあのデータを作った。隅岡淳子は青湯真一に立候補を断念して欲しいと言った。青湯真一は土下座の姿勢を崩さなかった。重い沈黙が流れる。私は二人を引き離した。これで、良かったのか分からない。青湯真一がどうなってもいい。私は隅岡淳子が犯罪者にならなくて良かったと思った。

数日後、青湯真一は立候補を辞退した。これについてマスコミは色々な噂を立てた。立候補者が選挙期間中に辞退するのは珍しいことだ。青湯副大臣は黙秘している。多分、息子の女癖の悪さが裏目に出たことを知っている。

南住議員には、あのデータは私の見間違いだと説明した。南住は面白くなさそうな顔をしたが、別の与党議員の不祥事が話題になっていたので、そちらの証拠集めに忙しそうだった。さすが、スキャンダルのスッポンだ。坂田秘書も忙しそうに動いていた。

国永も報道しないと言った。国永に、今回の『氷山の一角』を巡った思い違いについて謝罪した。国永は、面白い経験を出来たと笑っていた。思い違いは誰にでもあると言った。それでも私は謝罪ばかりしていた。国永が一番私に協力してくれていた。本当に感謝している。

私は高見との関係を切るために、官僚という仕事を辞めた。これには部長は凄く驚いていた。理由は一身上の都合とした。部長は何か言いたそうだったが、部長や高見と目を合わさずにK省を後にした。私は地方創生の為に、農家を始めることにした。第一次産業を活性化する為に農業をする。第二の人生をスタートさせる。

今では、アサミと一緒に北海道で農業をして過ごしている。

〜作者からのメッセージ〜
今回は官僚という難しいテーマで書いてみました。なかなかの長文になってしまったが、読み応えはありましたか?もちろん、フィクションです。実際の名前や団体とは一切関係がありません。ただ、リアルな部分も混ぜました。モデルになった設定はあります。具体的に述べると、物語感が無くなるので述べませんが、省名や党名、選挙区の県などをイニシャルにしているので、どんな省なのかとか、どんな党なのか、何県選挙区なのか想像するのもいいですね。


この作品は、第一章を執筆終えてから、続きのアイディアが思い浮かばずに製作途中のまま放置していた。基本的に、執筆を完了してから、次の新小説を考えるのだが、別の作品のアイディアが浮かんだ。第一章から最後まで完成するまでに八作品もの新小説を書いた。最初から最後まで完成するのに、半年掛かった。その間にも年を跨いだ。第二章から最後までは二週間で執筆出来た。アイディアが浮かぶときは浮かぶのだが、浮かばないときは浮かばない。落差が激しいのだ。こんなに完成するのに時間が掛かった作品はこれしかない。普通なら、一週間くらいで執筆完了するのだが、執筆を終えて安堵している。

植田晴人
偽名。久しぶりに長文作品を執筆しました。


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