見出し画像

若さを手放すとき


「永遠」であるはずがないのに、まるでそれがずっとずっと続くかのように思ったことがある。

思い返してみれば小学生にも満たない小さな子どもの頃、1日はとても長かったような気がする。
遊んでも遊んでも次の遊びを思いついて、それをすべて実行するだけの時間も、わたしは持っていた。

小学生になっても、それはほとんど変わらなかった。
学校から帰った後で友達と遊ぶという時間があり、家に帰ってからは家族とだんらんする時間。1日の中にこれでもかというくらい、やることが盛り込まれていたような気がする。

中学も、高校も。
わたしの世界は学校と放課後、そして家族との時間という3つの要素からできていて、その繰り返し。
そんな日常が当たり前だった。
当たり前すぎて、これが永遠に続くのだと錯覚してしまうくらい。

もちろん、本当の意味で時間が進まないなんて思っていたわけじゃない。
時は止まることなく流れていて、時間が年齢を重ねていくことも理論上は理解していたつもり。

だけど、そういった事実とは別のところにある感情が、まるで「自分は永遠に若い」という思い込みをさせているような感じだった。
そう手放しに思い込んでいられることは、ある意味幸せだったのかもしれない。

だけどそれが思い込みであったことに、ここ数年で気がついてしまった。
夢が醒めるかのごとく、わたしは現実に引き戻されてしまったのだ。


長く続いた昭和の後でやってきた、平成。
その1桁台に生まれたわたしは、特にわかりやすく若者扱いをされてきたような気がする。

「平成生まれがもうハタチなの!?」

「平成生まれと一緒に働く日が来るなんてな~!」

元号の区切りがあったことで、そんな風に言いやすかったんだろうな。
高校生から20代前半くらいまで、そんなセリフを聞く機会が多かったような気がする。
だから尚更わたしは、自分のことを若者だと意識することが多かった。

これはわたしの主観なんだけれど、世の中というのはどうしても「若者」を中心に考えがちだと思う。

テレビ番組では中高大学生に流行っている今どきの言葉を特集していたり、洋服でも音楽でもトレンドをいち早くキャッチしているのもその世代だと感じる。

だからこそ、「若者」でいることの価値がすごく高いと感じてきたのかもしれない。

自分がそんな「若者」であることに、どこか優越感のようなものを感じていたんだ。
そしてその「若者」という称号が数年後にはなくなってしまう事実からは、自然と目を背けていた。


だけど自分につけられていた称号が外れかかっていると気づいたのは、ここ1.2年のこと。
いわゆる「アラサー」と括られる年齢になったことと、身近に高校生の弟がいることもその原因の1つ。

もちろん30代だって、人生80年と考えればまだまだ若い。
だけど10代や20代と同じ若さかと言われたら、やっぱりステージが変わっていく印象を受ける。
高校生を目の前にしてみたら、嫌でもその差を感じざるを得なかった。

父や母になったり、仕事で責任が大きくなったり…
場面は人によりけりだけれど、着実に大人になっているのを感じずにはいられない。

そしてテレビを見れば、自分より10個近く若い人が「今どき」のタレントとして出演していたり、わたしにはついていけないノリの話し方や知らない言葉。

自分がもう「若者」世代ではないのだと、ひしひしと突きつけられた。

人間誰しも歳を重ねるのだから、これは当然といえば当然のことで、びっくりするようなことではないのかもしれない。

だけど子どもの頃、学生の頃、まるで永遠に続くかのようにわたしを取り囲んでいた日常が、いつの間にか過去になっていて。

今思えば、自分が永遠に若く未知であると、思い込んでいると思い込みたかったのかもしれない。

でもどんなに思い込んでいようと、わたしは着々と歳を重ねている。


だけど、「若い時間が永遠に続く」という思い込みから解き放たれたわたしは、不幸なのだろうか?

きっとここまでの話を10年前のわたしにしたら、絶対歳なんてとりたくないと、現実から目を背けたくなると思う。
それほど若い自分が好きだったし、若い時間を楽しんでいたから。

でもわたしはその問いに、胸を張って「ノー」と答えたい。

かといって正直なところ、わたしは歳を重ねた先のことなんてまだ全然わからない。
「若い」と言われる世代から遠ざかりつつあるとはいえ、まだまだ30歳手前のぺーぺー。

「歳をとるのって楽しいよ!」と笑顔で語るには、まだまだ年齢も経験も足りない。

だけどそれでも「ノー」と答えたいのは、わたしもパートナーも、友人も、家族も、ひとり残らず歳を重ねていくのに、それを不幸だなんて考えたくないから。

「若い時間が永遠に続く」と思い込んでいた頃にはなくて、歳を重ねれば重ねるほど手に入る宝物を、わたしはこれからの人生で見つけていきたい。

きっとそれは、たくさんたくさんあるんだと思う。
そして、いくらでも見つけることができるんだと思う。

ただ1つ、「若い」ということへの執着という思い込みを、手放すことができたら。

「若さ」が永遠には続かなければ、1人に与えられた時間にも命にも、限りがある。
それを受け入れた上で過ごす毎日は、これまでとは違った彩りを見せてくれるんだろう。

わたしはそれが少し不安でもあり、すごく楽しみだったりもする。

そんな風に思えるようになったことが、わたしが思い込みを手放しかけて変わったこと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?