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何が本当に必要で、何が本当はいらないのか
それはとても明白で、(すべてやりたいという前提の上で、)自分ではできないことをできるようにする道具こそ必要で、既に自分でもうできることを成すための道具は必要がない。
遠くに行きたいならば自転車や車や電車を使うけれど、隣のコンビニに行くのにはそれらは必要がないように。
目の前にいない人と話したいならば電話を使うけれど、目の前にいる人にそれが必要ないように。
そして、目の前にいない人に歌を届けたいならばインターネットを使うけれど、目の前にいる人に対してはそれが必要ないように。
何でもできるようになった(そして、これからもさらにそれが加速する)社会で、何を使って何を使わないのか。それがいまとても重要になってきたように思う。
無思考に放っておいたら、欲求に任せて何もかもやってしまう。隣のコンビニに車で行ったり、目の前の人に電話でしゃべったりするようになりたくない。それはもはや進化ではなく、人間の退化に傾き始める。
もう自分でできることは自分で。そして、できないけれどどうしても今やりたい、やるべきだと思うことを見極めて、溢れる道具を使える人になりたい。
人との話の中で学んだこと。
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