見出し画像

会津越路編【会津から只見を経て一乗谷へ】 四輪紀行

Day1 ~ Day7 で走ったルート


はじめに

磐梯吾妻スカイライン周辺と国道252号線を走りたくてこれまで何度か計画していたが実行できずにいた。今度こそはと思い、仙台を出発地とし、会津、北陸を経由して自宅に戻るルートで、6泊7日の四輪ツーリングに出掛けることにした。

名古屋から仙台までのフェリーは、当初 7月9日に予約をとっていた。毎日天気予報と睨めっこしていたが、梅雨末期の大雨が続いていたため、出発数日前に一週間延ばして7月17日に変更した。
東北地方を中心にまだ梅雨前線が居座っていたが、天気の状況をみながら柔軟にルート変更することにして、とりあえず出発することにした。20日を過ぎるとフェリーが繁忙期価格になり、ほぼ倍近くにハネ上がることもあるし..^^


Day1:灼熱のフェリー埠頭

名古屋 フェリー埠頭

2023年7月17日。仙台行きの太平洋フェリーに乗船するため名古屋のフェリー埠頭に向かった。

3連休最終日のため混んでいるだろうと思い昼食を済ませたあと早めに家を出たが、名神から新名神に分岐する高速道は思いのほか空いていた。
ただ休憩のため土山サービスエリアに入ると駐車場は結構いっぱいで、フードコートがある建物内には人が溢れかえっていた。

フェリーで食べる 3回分の食料を買っておいた。フェリー埠頭から少し離れたところにコンビニはあったが、駐車場の入口段差がかなりあり、前回利用したときにフロント下を擦ったような音がしたのでできれば行かない方がよいかと思って..

昼食は自宅で済ませてきたが、松坂牛まん(550円)が美味しそうだったのでひとつ買って小腹に足しておいた。

その後も順調に走り、15:00過ぎにはフェリー埠頭に着いた。16:00からの乗船手続きを済ませ、17:30の乗船時間まで 2階の涼しい待合室で待つことにした。この日の名古屋地方の気温は 38度。外はめちゃくちゃ暑くて出ていられない..

自衛隊の人たちも乗船されるようで、乗船待ちの車列にはOD色の輸送車両が、待合室の奥ではたくさんの自衛隊員が出港までの時間を待っていた。

乗船開始の案内放送があった。車に乗って待機していたが、例によって車列はなかなか動き出さず..苫小牧までの車が先に乗船したあと、仙台行きの車が誘導された。

太平洋フェリーの「きそ」は昨年10月の東北四輪ツーの往復で利用し、今回で 3度目の乗船。7月20日までのマイカープラン利用なら思いのほかお手頃価格で予約することができた。

きそ の船室

船室に入るとすぐにシャワーを浴びて汗を流した。コンビニで買っておいたおにぎりとカップ麺で夕食を済ませ、ようやくひと息ついた。

前回乗船したときは、コロナ禍でラウンジでの催しものは中止されていたが、今回はバンドの生演奏が開演されていた。ピアノ、ドラム、ベースの3人による演奏で、ゆとりの時間を過ごすことができた。

船は揺れることもなく快適に航行し、ベッドに入るとすぐに眠りについた。


Day2:小雨降る仙台

仙台港

2023年7月18日。夜中も揺れで目が覚めることはなく、朝までゆっくり寝ることができた。

午前中はラウンジで映画鑑賞。所々にクスっと笑えるシーンも織り交ぜながら、生きるということ、弔うということをちょっと考えさせられる内容で、阿部サダヲの演技がなかなか面白かった。

昨日土山SAで休憩した際に、今日の昼食用に大きなカレーヌードルを買っていたのだが、そう動いていないためかあっさりした軽いものが食べたくなり昼食はカフェの山菜うどんにした。

いしかり と行き違い

仙台から名古屋に向かっている「いしかり」と行き違いするとの船内放送があった。デッキに出てみると結構な人が柵の前に並んでいる。遠くですれ違うのかと思っていると、割と近いところを航行していて、すぐそこに大きな船体が見えた。特にすることもない船旅のちょっとした余興だった。

順調に航行し予定より50分早く仙台に着くと案内があった。エレベータが混みあうと思い少し早めに最後尾のデッキに行くと既にたくさんの人が待っていた。

フェリーを降りると小雨が降っていた。予約しているホテルの所在地は「六丁の目」。六丁目ではなく「の」が付いたちょっと面白い地名。由来が気になったので帰ってから調べてみると「六字の銘」から変化した地名らしい。ナビにホテルの場所をセットして直行した。

夕食は地元スーパーのお買い得値札が付いた寿司にした。寿司の醤油がどこにあるか尋ねようと思いセルフレジの店員に声を掛け、ふっと目に入った胸の名札が自分と同じ苗字。そう珍しい苗字でもないが、積極的に見かける名前でもないためちょっとした偶然^^


Day3:梅雨空の会津

桧原湖

2023年7月19日。ホテルの朝食を済ませ 7:30頃に出発。お手頃な宿泊代でなかなか快適に過ごすことができた。

空は予報通り雨模様。福島まで広域農道や R349 を走ろうかと思っていたが、雨雲レーダーを見ると所々で赤い雲が流れているため、無難に R4 で向かうことにした。小雨の所、そこそこ降っている所、ドシャ降りの所など降り方は色々あれど梅雨らしい雨が降り続いていた。

道の駅 国見あつかしの郷 で休憩。館内に入ると農産物のエリアには大勢の人がいた。どうやら桃の出荷初日のようで、甘い香りのする売り場には、大きなむちむちした桃が2つで400円、普通サイズの桃が1箱1,000円など、お買い得感満点の桃がたくさん並んでいた。よほど買おうかと思ったが、まだ旅の初日でこれから数日間暑い車内に置いておくのもナニかと思いやめておくことにした。争うようにして 2~3箱買っている人もたくさんいた。

福島の市街地に入った。以前から走るのを楽しみにしていた磐梯吾妻スカイラインにはここから向かいたいのだが、山の方の空には鉛色の分厚い雲が垂れ込めている。車を停めて空の様子と雨雲レーダーを何度も見比べたが、昨秋八幡平アスピーテラインでものすごい雨風が吹き荒れる中を走り、怖い思いをしたことがトラウマになっていたため断念することにした。天気の良い日にまたここに来る理由ができたと思うことにして、R151 で会津若松に向かった。残念至極..

道の駅 つちゆ でカレー蕎麦の昼食休憩。明日の宿を決めておこうと思い、数軒の宿に電話したが断られた。最後に電話した宿のご主人と思われる方が「今外出中のため帰って確認してから折り返し電話する」とのこと。宿決めは一旦お預けにして R151 に戻った。

長いトンネルの中で片側交互通行にして工事をしていた。ハザードを点けてストップ。トンネルを抜けると空が少しばかり明るくなってきたので、未練が残る磐梯吾妻スカイライン方面に折れた。山中に向かう道を少し進むと両脇には親子の猿が何匹も並んでこちらを向いて座っていた。飛び出してこないかとヒヤヒヤしながらゆっくり進み、カーブを折り返していると雨がまたパラパラ降りだした。行く先も雲が垂れ込めていたため進むのはやめてUターン。これで気が済んだ^^

十日町市の宿から折り返しの電話があった。一泊二食付きでOKとのこと。これで明日の目的地が決まった。

事前の情報で知ってはいたが、磐梯吾妻レークラインは通り抜けができないと電光表示されていた。ひょっとしたら通ることができるかも、と淡い期待をしていたがやはりダメだった..

五色沼に寄り写真を撮ったあと桧原湖へ。湖畔の駐車場は広く空いていた。湖はモノトーンの景色で、ちょうど遊覧船が戻ってきたところだった。
湖の近くには宮殿のような巨大な建物があった。何の施設か分からず広い駐車場に入ってすぐに出たが、リゾート施設だったよう。中はどうなっているのだろう..

磐梯山ゴールドラインに左折した。望湖台の案内柱の所で車を停め、それらしきところを探したが見当たらず..

磐梯山ゴールドライン

少し走ると広い駐車場があった。自分の車が1台だけポツンとした向こう側に見える山は、半分近くがストンと削げ落ちて茶色の山肌になっていた。

磐梯山は雲の中

更に会津若松方面に下って行くと上半分に雲が掛かった磐梯山が見え、山湖台からは曇り空の向こうに諏訪湖が薄っすら見えた。

会津若松に下る道を進むと水田が広がっていた。脇道を少しばかり走り、道の駅 ばんだい で休憩したあと市街地に入った。ナビにセットした宿泊先は石畳の道を進んだ街中にあった。

会津若松の街を少し散策しようと思い鶴ヶ城の方に向かって歩いていたが、空が真っ黒の雲に覆われてきた。雨雲レーダーを見るとすぐそこまで雷雲が来ている。慌てて引き返しコンビニで夕食を調達しているとドシャ降りの雨になった。前世がわんこだったかもしれないと思うほど雷が超苦手で、ドキドキしながら宿に戻った。

一度訪れてみたかった会津若松。街歩きはできなかったが、宿のご主人の応対と言い、なにかしら落ち着いた雰囲気のする街並みで、いずれまたゆっくり訪れてみたい地のひとつとなった。


Day4:山深い只見路

田子倉ダム

2023年7月20日。梅雨前線は過ぎ去ったようで朝から晴れ間が広がっている。今日は以前から走りたかった道、R252 を只見線沿いに走る日。晴れてよかった。

会津坂下町のガソリンスタンドで満タンにした。トイレに寄ろうかと思い車を移動して降りると、2人連れの外国人が乗った車がすぐ後ろに止まり 1人が降りてきた。ちょっとヘンな感じがしたのでトイレには寄らずすぐに出発。クワバラクワバラ..

道の駅 会津柳津には 8:45 頃に着いた。地図の吹き出し情報に縄文土器が展示されているとの記載があったので 9:00 の開店時間を待って店内に入ったが見当たらなかった。

国道252号線

R252 を快走し沼沢湖への案内標識のところで左折、湖方面に行きかけたが、R252 への通り抜けができるかどうか分からないため元来た道を引き返した。

道の駅 奥会津かねやま で休憩。館内の一画には金山町歴史民俗資料館が併設されていた。奥会津各所の資料館や博物館が連携した企画展「奥会津の縄文」が 7月22日から始まるようで、その準備のため展示品の入れ替え作業をされていた。展示ケースの中には火焔型土器を思わせる土器の破片があった。図録を販売していないか尋ねたが関係者に配布する分しか印刷していないとのこと。ホームページから pdf がダウンロードできるとのことだったので、帰宅後それらしきところを探してみたが所在が分からなかった。
https://okuaizu.net/#project
売店には只見線のグッズが販売され、撮影スポットの紹介もされていた。

静かな水面の只見川

只見川の静かな川面と只見線を右に左に見ながら美しい風景の中を快走した。いくつものスノーシェッドがあり冬の雪深さが想像できる。柱の間からはパラパラ漫画のように風景が流れて行く。
ビューポイントと案内表示された場所に寄ったり、駐車スペースがあれば車を停めて、只見の美しい風景を写真に納めながら走りを楽しんだ。

田子倉ダム

田子倉ダムに着いた。普通車はダムの上の道が通れたので対岸まで渡ってみた。たっぷり貯水された田子倉湖の向こう側には、只見の山並みと梅雨が明けた空が広がっていた。

ダムを過ぎるとすぐに六十里越までの九十九折れの峠道が始まった。途中、濃い緑の山並みに沿って田子倉湖と只見川の水面がくねくねと続く静かな風景が眼下に一望できた。とてもイイ風景。

只見町方面を望む

峠を越えるとそれまでの長閑な風景とは少し異なる道になった。道の駅 いりひろせ のレストランで昼食休憩。メニューを見ると「ごっぽうそば」が名物らしい。
「ごっぽう」ってなんだろうと思い、注文を聞きに来た方に尋ねると、そのような別名をもつ植物?らしくそれを蕎麦に練り込んでいるとのこと。よく分からなかったがそれを注文した。

十日町市博物館見学は、今回の旅で楽しみにしていたことのひとつ。明日朝からゆっくり見学しようと思い今夜は十日町市泊にしていたが、思いのほか早く着き今日見学することができた。
最近リニューアルされたらしい立派な建物の館内に入ると「縄文時代と火焔型土器のクニ」「織物の歴史」「雪と信濃川」の3つの展示室に分かれていた。

十日町市博物館 火焔型土器

火焔型土器を見たくて足早に展示室に入ると、デンと展示された現物を見て、その造形美に先ず圧倒された。当時の人たちは何を思いながら造ったのだろう、この複雑な文様にどのような意味を込めたのだろう、それにしてもよくこのようなデザインを思いついたものだ..としばらく独りで何やらぶつぶつ言いながら見入ってしまった。当時の人たちの感性に只々驚くのみ。

少し落ち着いてから回りを見るとずらりと並んでいる土器類はどれも国宝ばかり。これにも圧倒された。それぞれ造形は異なるがどれも個性美に溢れたものばかり。

ここのところ各地の博物館巡りをして、先史時代から各地各様の文化が育まれたことを展示物を通じて知ることが楽しみ。当地もまた他の地域とは異なった独特な文化が形成されていたのだと目で知ることができた。ここまで来てよかった。

他の 2つの展示室も見学した。以前某テレビ番組で冬の雪深い十日町が紹介されていたが、展示物もそれが分かるものだった。また古くから織物が盛んだったことも知ることができた。

見学を終え街外れにある宿に向かった。早々に風呂に入り広い畳の部屋でゆっくりしたあと階下の広間で夕食。朝食共に一品一品が見栄え良く美味しい料理だった。満足々々^^


Day5:星峠の棚田

星峠の棚田

2023年7月21日。星峠の棚田は、春夏秋冬の自然の営みと人の暮らしぶりを美しい映像で映し出したドキュメンタリー番組を見て以来、一度訪れたい場所のひとつになっていた。

十日町市の街から R253 を西進し最初の道の駅 まつだいふるさと会館で休憩。JRのまつだい駅が道の駅を兼ねていた。線路の向こう側に何やら派手な色をしたオブジェがあった。

コンビニでジュースを買って早々に出発。星峠に向かった。ナビの案内よりも要所々々にある案内標識を見ながら進み、峠の展望所に着いた。観光客は誰も来ていない。駐車場の横にある小高い展望所から棚田が一望できた。

星峠の棚田

大きな谷に沿った山肌に、ずっと向こうまで棚田が作られている。これまで各所の棚田を見てきたがどこよりも規模が大きい。秋になれば一面黄金色の景色に変わって一層見応えがありそう。

クリーム色のカブに乗った女性が来た。確か道の駅に停まっていたカブ。やはりバイクが停まっていると気になってついつい見てしまう。四輪で走っているが気持ちは二輪のままに^^

日本海に向かって R253 を西進。ほぼまっすぐな道の両側は真っ平らで、ずっと向こうまで田んぼが広がっている。会津もそうだったが新潟に入ってからは特に田んぼの風景が美しい。

ツーリングマップルでたまたま目についた不動堂遺跡をナビにセットして向かうことにした。

水平線まで見通せる海を右手に見ながら交通量の少ない R8 を快走した。道の駅 能生で休憩。明日の宿を予約しておいた。
鮮魚を扱う店がいくつかあり折角なので海鮮の昼食にしようと思いうろうろしたが、結局海岸際の広い駐車場に車を停めて、コンビニで買ったパンで昼食にした。

水平線が見える海

親不知の区間は昔交通の難所だったことを思わせるように、北陸道は海の中に橋桁が作られ、R8 は崖っぷちを這うようにして作られた狭いシェッドの中でカーブが続いていた。

道の駅 親不知ピアパークで休憩。観光案内所で自分と同年配ぐらいの係員の方と「以前NHKのドキュメント72時間で放映されていたのはこの辺りですよね?」「番組が放送されてからヒスイを探しに来る人が増えたが、そうそう見つかるものではない..」「それはそうですよね..」としばし雑談。隣接する翡翠ふるさと館には巨大なヒスイ原石が展示されていた。

まいぶんKAN

不動堂遺跡を目的地にして向かっていたが「まいぶんKAN」と案内板に書かれた博物館があったので見学することにした。入場料200円を払って細長い造りの館内に入ると1階フロアが展示室になっていて、その両サイドに中2階があり資料棚が並んでいる。資料の展示と保管を兼ねた施設になっていた。不動堂遺跡など近くの遺跡から出土したものを中心に展示され、櫛で模様を付けたような縄文土器に目が引かれた。

幹線国道を避けたルートで魚津の宿泊先をナビにセット。両側に田園風景が広がる道を誘導される通りに走った。
まだ時間が早かったので大きなスーパーのコインランドリーで洗濯することにした。待っている間に書店で俳句の定期雑誌を買い夕食の弁当を調達しておいた。


Day6:夏空の六呂師高原

六呂師高原

2023年7月22日。ちょっとアレな「無料朝食」を早々に済ませ出発。金沢西まで北陸道でワープしようとも思ったが、R8 がそう混んでいないのでそのまま金沢に向かうことにした。いくつもの大きな市街地を通過し、道の駅 カモンパーク新湊 で休憩。どこかで立山が見えるだろうと期待しながら走っていたが、立山がある方向は霞んでいて見えずに残念..

金沢の市街地を抜け野々市市の辺りで R157 に左折。初めての土地を走っていて「〇〇市」の行政境界の標識を見かけると「へ~こういう市もあるのか..」と初めて見聞きする市ばかりで毎度新鮮。

R157 は周囲が平らな白山市街地を抜けると白山麓に向うのだと分かる道になり、道の駅 しらやまさん の辺りからは山あいの風景になってくる。昼食にはまだ時間が早かったので小休止のあと、次の道の駅 瀬女 に向かうことにした。

交通量が少ない道を快走していると「白川云々..ホワイトロード、今日は通行可」とが書かれた案内板がパッと目に入った。ハッキリ読めずそのまま通過してしまったが、あとで地図を見ると白川郷に抜ける有料道路だった。

もう 40年以上も前の話だが、真夏の白川郷に自転車で訪れ合掌造りの民宿で一泊。茅葺の部屋は暑く、夜散歩に出て近くの酒屋でにごり酒を買って呑んだことを思い出す。世界遺産になるずっと前のことだった。

手取川ダム

手取川ダムに着いた。道の駅 瀬女は見過ごしてしまったらしい。ダムの駐車場には車が 1台停まっているだけでひっそり.. ダム湖の水は緑色をしていた。

白峰で r33 と分岐する信号機の辺りは小さな街になっていた。食事処はあったが勝山の街までそう遠くなさそうだったので、六呂師高原で昼食にすることにした。

勝山の街に入る手前で大きな恐竜を見た。最初のコンビニに停まって車を降りると暑い暑い.. パンやバナナを調達。見覚えのある風景の中を走って六呂師高原に向かった。
てっぺんの牧場の木陰に車を停めようやく昼食にした。窓を全開にしていると時折涼しい風が入ってきた。

六呂師高原

六呂師は先祖の墓があったところで、随分前のことだが祖母や父母、子供たち、それにハルとも何度か訪れていた。当時一緒に来た者の多くは他界してもういない。高原の木陰に座っていると当時のことを懐かしく思い出し立ち去り難い気持ちになる。気が付けば自分も歳をとったものだとしみじみ思いながら高原の遠景を眺めていた。

以前子供たちを連れてきたときに確か小さな動物園?のようなものがあったことを思い出し、そこを探してうろうろ走っていると段々道が細くなって進めなくなった。Uターンもできず結構長い距離をバックで戻った。ヤレヤレ..

大野の街中にある宿に向かった。チェックインを済ませ、近くの地元スーパーに夕朝食の買い出しに行った。惣菜の種類が驚くほど多くてしかも安い。スーパーの名前に「惣」がついている理由が分かったような気がする。

宿に戻り、暑かった一日の汗をシャワーで流しバスタブから床に足を降ろすと水が溜っていた。排水管が詰まって流れていない感じ。幸いフロアには溢れなかったが、フロントに状況を伝えると別の部屋に代わることになった。

ちょっとしたハプニングのあと移動した部屋の冷房を効かせ、広い部屋の真ん中に置いた丸テーブルの上に惣菜を並べて夕食。なかなか美味かった。

昔は冷房をキンキンに効かせても平気(どちらかと言えば好き)だったが、歳をとってきたためか冷えに弱くなり除湿でちょうどイイぐらい。集中管理のエアコンのため自分好みの除湿&室温にできず夜中に何度か目が覚めた^^


Day7:炎天下の一乗谷

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館

2023年7月23日。R158 を西進し一乗谷遺跡に向かった。随分前に R158 を走った時は川沿いのくねくねした狭い国道だった記憶があるが、新しく道が付け替えられたのか快走できる道になっていた。ナビの誘導通りに遺跡近くまで来ると博物館の案内標識があった。

その方向に行ってみると左手に立派な建物があった。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館。朝倉氏についての知識はほぼ無く戦国大名のひとりとして名前を知っている程度。開館時間を待って見学することにした。

9:00 ちょうどに開館され発券機の前に行くと特別展が開催されて間もないらしく、それと復原町並の入場券セットで 1,220円。あとで分かったことだが、JAFの会員証を提示すると一部の料金が20%引きになったらしい。残念..

1階奥の遺構展示室には出土した船着き場?らしい遺構が建物内にそのまま保存されていた。2階の基本展示室には、焼けて炭状になった遺物があり、焼き討ちされた痕跡が生々しく見て取れた。戦国時代とはいえ人々が落ち着いた暮らしをしていたことがうかがえる展示がされていた。
朝倉館原寸再現はそう興味を持たずに見学を始めたのだが、ひょっとしたら当時もこれと同じような木材加工をして建てたのかもしれないと思うと、当時の建築技術の素晴らしさに感心した。
特別展示室では「朝倉義景の一生」と題した特別展が開催されていた。

一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並

博物館から少し離れたところにある復原町並に向かった。砂利敷きの駐車場に車を停め降りると、お日様がカンカン照りで暑い熱い.. 小さな扇風機を首から下げて行ったが熱風が来るだけで涼しくない^^

復原町並は南口から入り北口に抜けた。道路を挟んだところにある館跡遺跡に行ったが、暑さにくじけて早々に来た順路を引き返した。
復原された庶民の家は質素な造り。その中のひとつで和紙で作ったしおりを販売していたのでお土産に買った。
それにしても一乗谷の広い範囲が遺跡として残されていることにちょっとびっくりだった。

r18 で鯖江に向かった。鯖江ICから北陸道に乗ろうと思っていたがまだ時間が早く、このまま帰るのは惜しいので今庄ICに向かうことにした。
道の駅 南えちぜん山海里 でちょうど昼時になったのでおろしそばで昼食休憩。お土産も買っておいた。できて間もないようなキレイな道の駅だった。

ずいぶん前にバイクで R365 を走ったことを思い出した。久しぶりに走ってみたくなり、このまま木之本ICに向かうことにした。 快走していると 栃ノ木峠が全面通行止めの電光案内。少々不安になりながらも行けるところまで行ってみると、R476 との分岐地点で通行止めの柵がされていた。R476 に右折し敦賀に抜けた。

敦賀ICから北陸道に乗ることにした。PA があるたびに休憩しながら、渋滞に遭うこともなく自宅近くのICまで順調に走り帰宅した。
会津越路四輪ツーは、全国の梅雨明けとともに終わった。今回雨で断念したところは晴れた日の再訪を楽しみにして。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?