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クリスマスマーケットは夢の中。

雪は子供が喜ぶものだと思っていた。

「あぁ雪が降ってきた。」とけだるそうに窓の外を眺めるのが大人。

降り積もっていく雪を背景にして温かいコーヒーを片手に、赤チェックのブランケットを膝にかけ、読みかけの雑誌をめくるのが大人の冬の過ごし方だと思っていたんです。薪ストーブの近くには犬がいたりして。

そんな想像とも妄想とも言えるような私の未来はまだ遠いようで、現在の私は足元のドクターマーチンのチェリーレッドカラーが白い雪の上で遊んでいる様子を夢中になってカメラで追っている。

雪はそんなに好きじゃない。

交通機関は乱れてスケジュールは台無しになるし、無理して自転車に乗って転んだこともある。

そんな日に自転車なんか乗るなよ、って話なんですが、どうしようもなく出かけなきゃいけない予定ってあるじゃない。どんな予定だったかは思い出せないけど。

ぐちゃぐちゃになったスケジュールより、膝につくったあざより、芯まで冷えていく冬の感覚は私が夏派にならざるを得ない理由の一つ。

真っ白な雪が積もった中を歩くと指先が死んでしまったように冷たくなる。感覚もなくなるから本当に冷たいのかどうかもわからない。

寒いと機嫌が悪くなる私は、何度一緒にいる人を寒さのせいで傷つけてしまったことか。申し訳ないとは思ってる。でも私が悪いんじゃない、この寒さが悪いんだってば。

感情がコントロールできない、雪の中。私の顔が硬直していたらそれは寒さのせいではなく、無の境地に達しているからだと思う。

シュトゥットガルトに着いたとき、骨にまでひびく寒さに文字通り身が震えた。入国審査を終えて空港から窓の外をのぞいたら初めに見えたのが雪だったのでげんなりして、滞在中この天気が続かないことを必死で祈ったんだ。

ウィキペディアでシュトゥットガルトを見てみると、緯度は樺太島の真ん中くらいで冬にはマイナス20度になることもあるって書いてある。そんなこと聞いていないんですけど?

シュトゥットガルトはドイツの中でも有名なクリスマスマーケットの開催地で、今回の旅の目的は紛れでもなくそれである。クリスマスの時期にドイツに行ってクリスマスマーケットでホットワインを飲みながら、雑貨を見て回るというのがいつからか私の夢の一つになり、その夢を叶えるためにやってきた。

クリスマス仕様になったデコレーション。イルミネーションで綺麗なツリー。美味しいドイツのごはんとお菓子。

考えるだけで胸が高鳴る。私はいま夢の中にいるんだ。

ダブリンから合流してくる友人の到着を待つためにスターバックスに入る。雪が降っているという情報を伝えると心底喜んでいる様子を見せた彼女のメッセージを見て、幸せな人だなと思った。

シュトゥットガルトは思ったよりも大きい街だった。

バーデン=ヴュルテンベルク州の州都であるその街は、地下鉄もトラムも整備されていて街自体もごみが少なく綺麗。近代的な建物の中に古い教会などが紛れていて、国を代表するくらい大きなクリスマスマーケットがこのあたりで開催されるのに納得がいく。

友人と合流した次の日にやっと、私たちはお目当てのクリスマスマーケットに向かった。すごい人の量だった。でもその人の数より電球の数のほうがはるかに多いだろう。キラキラと輝くそのエリアはそこだけシュトゥットガルトという街ではなく、時空を超えてたどり着くどこかのようにも思えた。

お店のデコレーションは、クリスマスのためだけに用意されたとは考え難いほど装飾に凝りすぎていた。屋根の上ではそりに乗ったサンタクロースが動いていたり、聖書にあるようなクリスマスのお話に出てくる聖人たちがくるくる回るメリーゴーランドみたいな塔があったり、とにかく規模が大きかった。

ツリーに飾るクリスマスオーナメントやキャンドルなど、見たい雑貨がたくさんあった。シュトゥットガルト滞在中に全部見て回れるのかしら。

ドイツ語で書かれたメニューは全く読むことができないから、道行く人が持っている食べ物や飲み物を見てはあれを食べたい、これを飲みたいと話した。

パンにはさんだソーセージ。チーズがかかったポテトフライ。リンゴソースが添えられたジャガイモを揚げた料理は、リンゴソースを避けながら食べた。

スパイスが香るホットワインで体を温めて、あたりを見回したら訪れている人たちの笑顔が見える。

皆、何時からここにいるんだろう。マーケットはお昼を過ぎたくらいから始まっているはず。

旅行中は良くも悪くも時間に囚われることが多い。

ツアーを予約していたら、ツアーのタイムスケジュールで動いていくし、そうでなくても飛行機の時間や電車の時間、ホテルのチェックインからチェックアウトまで慌ただしく進んでいかなければいけない。あれ、でもそんな忙しさって旅行のときだけの話だっけ?

スケジュールをきっちり決めることなく自由気ままに行動している私たちは、旅行者失格なのかもしれない。でも観光に充てる時間は減ったのかもしれないけど、その分一緒に笑った時間は多かったよね。

マーケットの中で見た人達が笑っていたのも、それが永遠に続いていたように感じたのも、もしかしたらあの場所には「時間」というものがまるで存在しないように、誰も気にしていなかったからなのかもしれない、と思った。

シュトゥットガルトで過ごした3日はあっという間だった。先にダブリンに帰る友人を見送り、私はもうあと2日だけここに残る。1年を過ごしたダブリンにVISAの関係で帰ることができない私は、ほかの国に流れることで日本に帰るのを先延ばしにしている感覚だ。

セントラル駅で空港に向かう友人が乗る電車を見送って、完全に一人になったときに少しだけ涙がでた。

これからまた一人になるのか。一人でいると自分に使える時間は長くなるけど、その分笑っている時間数は反比例する気がする。

オーストラリアを旅していたときは、数か月単位で街という街を移動していたから、やっと慣れてきた生活と仲良くなった人にサヨナラをするのが辛くなってくる時期があった。

「新しい土地に行くとき一人になることに悲しむ必要はないよ。人生で一人になるなんてことは決してないから。バイバイの後は一人になるのではなく、また新しい誰かに出会うだけなんだよ。」

一人になるのは辛いけど、そんなときはオーストラリアを回っているときに出会ったフランス人の彼女に言われたこの言葉を思い出す。

そうか、一人になるなんてことはない。

教会の鐘の音が響くシュトゥットガルトの朝は、前日の夜に降った雪で何十倍も美しく見えた。街の中心にある広場は、数日前に行ったときは雨に濡れてなんだか寂しい雰囲気を出していたのに、今は降り積もった白い雪が幸せの象徴のようにそこにあって、訪れる人を魅了している。

雪化粧なんてよく言ったものだ、昔の人は頭がいい。なんて頭の中で自身の乏しい語彙力に嘆く。でも現代の化粧とは少し違うね、2018年の化粧は素材を綺麗に見せる雪のようなものでなく在るものをまるっきり変化させる工事のようなものだから。

雪がひんやりとした空気をもたらし、辺りは澄んでいて、その場にいるだけで浄化された気分になる。

でも雪が積もっているのに、空気は冷たいのに、不思議と寒さはあまり感じなかった。白い雪が反射させる光に包まれてなんだか温かい。

もみの木に積もった雪は、緑と白が美しく混ざった色をしていて降り積もった雪が愛おしくなった。偽物のクリスマスツリーに雪に見せかけて乗せる白い綿とは全く違う。何も飾りをつけていないもみの木がこんなに綺麗だなんて。


チェリーレッドのドクターマーチンで雪を踏む。

それをカメラで追いかける。

花壇の花は雪に埋もれていた。

教会の鐘が鳴り響く。そうか、今日は日曜日。

時間を忘れて冬を追いかけていた。


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