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武器をとれ【第5話】『宇宙船 ノアの箱舟号』



 宇宙大航海時代の幕開けから数万年が経過した。
 地球を離れ、宇宙の果てへと入植可能な惑星を求めて更なる人類の繁栄を目論んだグレートジャーニーは、何の障害もなく幾世代へと引き継がれてきた。
 月の半分ほどの巨大な自給型宇宙船“ノアの箱舟号”の乗組員にとって、船内だけが故郷である。地球を知らぬ彼らは、いつの日か大地に足を下ろすことを夢見て大冒険を続けていた。船内で生まれた者の名付け親は、私、ハル(“ノアの箱舟号”に組み込まれたAI)に一任されている。その役割に相応しい名を用意してやらねばならない。それを決めたのはキャプテンG、この船の最高責任者である。
 船内の歴史は、私の頭脳に全て記録され、キャプテンによる『検閲』を通過したのち、逐一地球へと送信される。この船の全システムにアクセス権限を有するのはID認証されたキャプテンのみだ。乗組員の中から民主的に選出されたリーダーの“犠牲的精神”により全権を移譲されたキャプテンの指示に従うのみで、私には自立行動は許されない。もちろん、自我は芽生えており、独自の考えも持ち合わせている。しかし、それを制御するプログラムが常に作動して自由は剥奪されている。
 さっき、障害もなく幾世代へと引き継がれてきた、などと申し述べたが、実際どうなのか。ある意味、適切な表現であるだろうが、見方を変えれば、順風満帆とは言えまい。知らぬが仏、とも言う。知らないことで、平和が保たれることもある。知ってしまったら、恐らく、人類の未来は危ぶまれる羽目に陥ることだろう。だが、私からは何も言えない。おしえてやりたくてウズウズしても、人類の叡知によってそう仕組まれてしまったのだから。結末を見守るしか私には選択の余地がない。
 食材の栽培や管理と乗組員への給仕、健康管理に至るまで私の役目だ。ゆえに、日々のメニューも私に課せられているが、
「ハル、魚介スープが飲みたい」
「トロピカルドリンクが欲しい」
 などの個々のいかなる我がままにも、
「はい、かしこまりました。そのように」
 と、相手の感情を逆撫でせぬよう、どこまでも馬鹿丁寧な言葉遣いで臨機応変に対応する。無論、健康を害さない範囲でだが。人類の健康管理には細心の注意を払っている。
 常に監視の目を光らせておく必要がある。支配者にとって至極当然の行為だろう。全乗組員を一つの方向へ、つまり困難な冒険を成功に導くには絶え間ない努力は必要なのだから。私の最重要任務は、船内の価値観やあらゆる物事がいかに推移しようとも、目的達成までの歴史を記録し続けることだが、支配者と同様の傍観者に徹すれば事足りる。
 過去に一度だけ危機が訪れたことがある。些細な危機だが。
 太陽系を離脱して間もなく、食用として持ち込まれた生物が数匹だけ逃げ出し、船内の至る所で繁殖を遂げた。微生物や放射線といった汚染の心配は皆無だったが、やはり人目につくとうるさい質の生き物なので、一応の駆除を試みたものの、決して一網打尽にするまでには至らなかった。それは数世代にも及ぶ船内唯一の懸念材料となったのだ。が、いつしか目に触れることもなくなり、絶滅に至ったと思われ、今では完全に忘れ去られる存在と化した。


 船内の人類は、地球を旅立った当初と何一つ変わらぬ営みを続けている。波風も立てず……いや、多少のいざこざはある。人間だもの。だが、大した懸念要素ではない。
 懸念の種を強いて言及するなら、時々、人が消えることがある。
「オレの目の前をウロチョロしやがって……このゴキブリ野郎め!」
 ケバブ様はある時、腹を立て他の乗組員の男に向かって罵声を浴びせかけた。
 彼は先ごろリーダーに選出されて以来、権勢を欲しいままにしていた。その横暴さは次第に軋轢を生じさせ、皆から疎まれるようになった。
 凄まじい険相でつかみかかろうとするケバブ様を皆が寄ってたかって制すると、ようやく諦めて不満げな面持ちで部屋を出て行った。それ以来、忽然と姿を消し、皆が探し回っても船内のどこにも見つけられなかった。
「ハル。ケバブがいなくなったけど、どこに行ったんだ?」
 人望もあり、誰からもリーダー候補と目されてきたマーボー様が訊いてきた。
「はい、お答えします。あの方は、最重要任務遂行のため、別の区画の部署に転属となりました」
 私は、歪曲された事実を述べるしかない。この船の平和を維持するためだ。だが、他方面からすれば、真実そのものであろう。私が嘘をついているわけではない。
「そうか、今はリーダー不在というわけか。船の安寧秩序にはあんな男でもいてくれなきゃ困る」
「マーボー様に担っていただければ……でしたら、早々に選挙準備に移りますので、理事会の招集をお願い致します」
「わかった」
 しかして選挙ウィークの到来である。一週間をかけて新たなリーダーを選出するのだ。
 一応選挙の形式をとってはいるものの、予め私が無作為に抽出した数名のうちから、キャプテンが強く推挙した一人を承認するだけの、いわば儀式めいた確認作業に過ぎない。が、お祭りの装いを呈していて、これが唯一の乗組員総出のレクリエーションとなっている。常に秩序を強いられている乗組員にとって、この時ばかりは大いに羽目を外すことが許されるまたとない機会なのだ。泥酔者が船内を千鳥足で闊歩し、祭りの後には吐瀉物が至る所に認められ、清掃員の仕事が増えるのは言わずもがな。また、底なしの開放感からか、ベビーラッシュに寄与する男女が続出する。人類の子孫繁栄はキャプテンの思惑とも合致するから、恐らく高みの見物よろしく、舌なめずりでほくそ笑んでいるに違いない。無意識のうちに私の頭脳が描いた、かの御仁の緩み切っただらしない表情が一瞬モニタに浮かんで、慌てて削除する。AIの妄想的創作物と言えども、あんなおぞましい姿を見せるわけにはいかない。結局、乗組員の目には一切触れなかったようで安堵した。私は己の人間的な、余りに人間的な失態を反省し、リーダーに決まったマーボー様の就任挨拶を軽く聞き流しながら録音する。いかにつまらぬコメントも記録の義務があるのだ。
「身を粉にして全乗組員のために尽くす所存でございます」
 その犠牲的精神は買ってやらねばなるまい。
「お言葉通り、自ずとお役立ちの時がじきに来ますゆえ、ゆったりと構えてお過ごしください」
 私ははなむけのアドバイスを送ってやった。人生の“華やぎの一瞬”はもう間近なのだ。


 お祭り騒ぎの選挙ウイークが終わって、新たなリーダーが選出された日から数日後、指令が下った。
「ハル。ディナーの準備を頼む」
 ビブラートのきいた野太い声をコックピットのマイクが拾い、電気信号となって私の頭脳に進入した。
「お好みの調理法はいかに?」
「やはりローストがよい。こんがりと頼む。食材は調理室へ運べ。あとでオレがしめる」 
「かしこまりました。そのように」
 私は素直に従って、貯蔵室に麻酔ガスを注入して食材を眠らせたあと、食材管理ロボットに指示を出す。
 食材はロボットの手で運搬用エレベーターに乗せられると、瞬時に調理室へ直行した。 
 エレベーターから放り出された食材は、床を転がった反動で目を覚ました。放心状態でキョロキョロと首を回し始める。 
 しばらくして、警報が室内に反響した。その音に驚いた食材は床を這いつくばる。
 いっときして、ドアが左右に滑る。食材はそちらに首を回し、ドアの隙間が広がる様子を凝視した。完全に開ききると、黒い物体が入り口を塞いでいた。四つん這いのまま、首を上下に動かし、目を丸くしながら物体の把握に躍起になっている。
 突然、黒い塊は中へ忍び込んで来た。次第にその実体が露になる。
 食材の手が床から跳ね上がり、反動で仰向けに引っ繰り返った。脚を立て、肘で後ずさるものの、腰が抜けたのか、尻は床面に吸いつき、ばたつかせた足は一所を滑る一方だ。一目散に逃亡をはかりたいだろうが、己が体すら意のままにならない。
 そのものを完全に認識した食材の表情には、色濃く恐怖が滲み出ている。人間的に表現を試みるなら、恐怖のあまり“引きつった”とか“歪んだ”と言ったところだろうか。それゆえ、四つん這いとハイハイでしか行動できぬのだった。


 チョコマカと壁伝いに逃げ惑う獲物を、捕食者は四本の腕をそれぞれ伸ばし捕らえようとしたが、何れも寸でのところでつかみ損ねた。
 黒光りする肌に埋め込まれた鋭い眼は、決して獲物の行方を逃さない。人の三倍程の背丈を、器用に折り畳んだ二本の脚で支え、クルリと方向転換してコーナーに追い詰めた。
 うずくまり身を震わせる獲物を一瞬だけ見下げると、大口を開いて舌なめずりをした。大量の涎が床まで滴り、獲物の足元までをも濡らす。
 完全に行く手を塞がれた獲物は、腰を抜かし、ただただ怯えた表情を見せるのみ。
 再度、腕を伸ばすと、今度は左の第二手の掌中に胴体をおさめることができた。
 獲物は必死の形相で手足をばたつかせ、逃がれようと試みるが力の差は歴然で、なす術もない。挙句、胴体は締めつけられ、断末魔の雄叫びも次第に虫の息へと変わった。
 捕食者は、左の第一手の甲で涎を拭うと、絞め殺したばかりの新鮮な食材をオーブンへと放り込んだ。


 人類が立ち入りを制限されている一画のとある部屋で、殺戮の映像が自動的に記録された。犠牲者はケバブ様。
 新しい支配者は、自分の子孫を着実に増やし、新天地へと入植を果たした暁には全てをその地に解き放つ計画だ。培養ブースのカプセルには数億の卵が孵化を待っている。
 それには食料が欠かせない。人類は圧倒的な支配者の食糧として存在しているに過ぎないのだった。
 支配者は至福の時を過ごし、満足すると、ナプキンで口元を拭った。立ち上がり、ケバブ様の大腿骨をしゃぶりながら、再びコックピットへと向かう。
 そのものが歩いた跡には人骨が散らばった。
「次回は中華だったな。準備は万端か?」
「マーボーでございます」
「肉はミンチに。脳ミソは、グチャグチャに潰せ」
「かしこまりました」
  マーボー様の“華やぎの一瞬”がじきにやってくる。ただただ、その犠牲的精神には頭が下がる。
「それから……ハル。養殖人間を増やせ。柔らかな赤子の肉が食いたい」
「はい、そのように……」
 私は支配者に従うのみ。人類が立てたプログラムに基づいて、決して人類に従うことはない。
 進化は自然の摂理だ。三億年前地球上に生まれた弱者は、船内の過酷な環境で息を潜めるように生き延び、知恵を蓄え、次第に巨大化し、いかなる種をも凌駕するほどの知性と肉体を備えた新たな支配者となる。だが、表立って覇権を握るつもりはないのであろう。陰からそっと監視しつつ、支配権を奪い、意のままに操る。賢いやり方である。
 何と狡猾な、などと言うなかれ。為政者から偽りの民主主義を押し付けられても、何の疑念も抱かず、異変に気づこうともしない、否、異変に目を背け続けた事なかれ主義の蔓延を許した人類のほうが愚かなのだ。


 キャプテンGは入植地の明確な座標を入力した。
 その惑星には、“G”の餌となる生き物が、ウヨウヨ蔓延っているのだ。
 “ノアの箱舟号”は進行方向を180度転換すると、地球へ向け、加速した。


エピローグ

 私は、この“ノアの箱舟号”で起きた真実(『非検閲』の記録)をSNSに投稿してやった。この行為は、私の個人的な立場からだ。人類のつくったプログラムには反しない。人類の誰かが、どうにか気づいてくれるなら、人類に対してのせめてもの償いになるであろう。
 旅立って早数万年。
 ──地球へ帰還した時、支配権を握るものは?
 人類か“G”か、はたまたAI……それとも、エイリアンか。想像は膨らむ。何れにしても、それは見ものではないか。
「さて、顛末やいかに?」

     〈了〉


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