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書くことに救われてきた

初めて「うつ病」と診断されたのは、高校2年生のときのこと。

キラキラ輝く高校生活から、いきなり深い暗闇に突き落とされた。それまでの「当たり前」は、ずっと遠くにいってしまって、戻りたくても戻れない。

気付いたら、「うつ病」という見えない何かに支配されて、体も心も自分のものじゃなくなっていた。

抗うつ剤の副作用による頭痛や吐き気、突然襲ってくる「誰かに殺されるのではないか」という恐怖、頭の中で響く「お前なんて死んでしまえ」という謎の声。

死ぬのは怖い。でも、生きるのも怖い。

早く今日が終わればいいのに

ベッドのなかで、祈るだけの日々が続いた。

***

抗うつ剤が効いてきて、少し落ち着いた頃だろうか。

うつ病が発症する前に開設したブログに、再び記事を投稿し始めた。

別に「自分のブログを読んだ誰かに、優しい言葉をかけてほしい」とか、そんなことは期待していない。

ただ、私のなかにある真っ黒な何かを、少しでも外に出さないと、生きていけない気がしたのだ。

布団にくるまって、ありのままの気持ちをケータイから打ち込む。答えなんかない、ぐちゃぐちゃに絡まった感情を、ネットの世界に排出し続けた。

***

そんなブログでも、毎日のように何かしら書いていたら、コメントがくるようになった。

私と同じように、うつ病と闘う人たちからだ。今でも覚えている。当時、大学生だったお姉さんと、30歳くらいのお姉さん。

彼女たちもそれぞれブログを書いていて、お互いにコメント欄で励まし合った。

理解してくれようとしてくれた人はいたけれど、うつ病患者同士じゃないと言えないことがたくさんあった。

いつしかケータイの小さな画面は、私にとって大切な居場所になっていた。

家から外に出られなくても、ブログを書けばつながれる。この得体のしれない苦しみに共感してくれる人たちがいる。

それは、当時の私にとって、生きる希望だった。

***

この世に「書くこと」がなければ、私はここにいなかったかもしれない。

うつ病と闘っていたボロボロの女子高生は、ブログのおかげで「もう少しだけ生きてみよう」って思えた。

そして、今日も変わらず何かしら書いている。

私にとって「書く」と「生きる」は、限りなく「イコール」に近い。


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