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サラダを取り分けられない女たち

 突然だけど、わたしには愛してやまない友人たちがいる。そして、わたしたちの共通点は、わたしたちが漏れなくぽんこつである、ということだと思う。


 先日、男女数人の友人と食事を共にした。友人、というか、友人と知り合いの間くらいのまあまあ微妙な間柄である。そこに、居たのである。

もんのすごく気が利く女性が。

 例を挙げればきりがないけど、例えば以下のようなことである。

・サラダは真っ先に取り分けて皆に配る。
・シェアするお肉は一番美味しくなさそうな部位を自分がとる。
・お酒はグラスが空いた人にはすかさず注ぐ。
・とにかく人を褒める。褒めつつ、適度に毒を混ぜて笑いをとる。
・誰かが苦手そうな食材は自分が自然に引き取る。(わたしこれ好きだから、もらっちゃうね!)
・あ、はるのちゃんはあまり飲んでないからお会計少な目ね!とさりげなく采配を振るう。

 枚挙にいとまがないが、あれやこれやとにかくすごかった。その間わたしは何をしていたか。

ぼーっと肉を食っていた。

 別に彼女の親切にあぐらをかいて「うむ、くるしゅうない」とか思ってた訳じゃない。ただ、呆気にとられていたのだ。

 間髪なしに繰り出される親切、親切、親切。たまに必死で「あ、わたしが」というと、「いいからいいから、はるのちゃんはゆっくりして」とにこやかに次の肉が皿に乗せられる。驚くべきことに、これ、混じりけなしの善意である。自分をよく見せようとか、優位に立とうとかじゃ全然なくて、男女分け隔てなく、心地よく過ごして欲しいという彼女の心遣いなのだ。素晴らしい女性なのである。でも、狭量なわたしは思った。黙々と肉を咀嚼しながら、思っていた。

ゆっくり、できるわけないやろ!!

 あのね、手酌でいいのよ。好きな量を好きなだけ食べるのでいいのよ。お構いなく。好きにするから、あなたも好きにして!取引先との食事ならともかく、仕事でもない場で気を遣いたくはないのだよ。

 当然そんな思いを口に出せる訳もなく、食事会が終わる頃にはわたしはどっぷり疲れていた。何を喋っていたのかもよく思い出せない。

 ここで冒頭のわたしの愛してやまない友人たちの話に戻る。もう一度おさらいしよう。わたしたちはぽんこつである。サラダを取り分けることも酒を注ぐこともできない。できない、というか、やらない。わたしたちの飲み会は大体こんなようなもんである。

「肉食べたいなー、これ頼んでいい?」
「ええよー。あたしは魚かな」
「あ、これおいしー。食べてみ?(取り分けはしない)」
「んー、わたしはパス。代わりにこっちもらう。あ、すいませーん、ビールもう一杯くださーい」
「おいしーねー(手酌)」
「おいしい、おいしい(手酌)」
「うんうん(肉の最後の一切れをさらう)」

 駄目なやつらである。一昔前の合コンだったら絶対「サラダを取り分けない女たち」とかいってぼこぼこに揶揄されるやつ。今の合コンは知らんけど。相手のグラスが空いてるとか、相手の皿に何が乗ってるとか、気にしてないし、見てもいない。今も昔も絶対モテないやつ。

 でもね。

 もうこれでいいの。

というか、これがいいの。

 大人になると、気遣いというのは一方的な行為ではないことに気付く。子供の頃なら大人に料理を取り分けてもらい、「あんたは子供なんだから沢山食べんしゃい」と言われてにこにこしていたらよかった。でも歳を重ねるにつれて、気遣いというのは当たり前に受け取ってはいけないのだということに気付く。気遣ってもらったら、自分も相手に同等の気遣いを返す。こうして、信頼関係を築いていくのだと思う。でも、だからこそ、こちらのキャパを超えたレベルの気遣いを受け取るのはとてもつらいのだ。

 例えて言えば、こっちの財布の許容度を超えたお中元を毎年一方的に送り続けられるのと同じなのかもしれない。一方的に受け取る、ということを当たり前に喜べるほど肝が据わっていれば(?)いいのかもしれないけど、わたしみたいな小市民の場合、「もう勘弁してください!」と地面にひれ伏して赦しを乞いたくなる。実際、切り分けられた肉の一番いい部分ばかりを皿にどんどんとのっけられていた時のわたしは、フォークを握りしめたまま、おそらくとても情けない表情をしていただろうと思う。

 どちらがいいとか悪いとかいう話ではない。単純に好みの問題である。世の中には毎年松坂牛ロースのお中元を贈り合って素晴らしい関係を維持している人たちもいれば、わたしみたいにコンビニスイーツを持ち寄ってああでもないこうでもない言いながらダラダラ食する方が好きっていう人もいる、ということ。

 ただ、その両者が相まみえた時、そこには悲喜こもごもの想いが交錯することになる。松坂牛ロースサイドの方々には、是非その辺りお手柔らかにお願いしたいのです。

頼んだよ!!!


                             おしまい


#多様性を考える



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