「脱・いてもいなくてもいい人」のために
こんにちは!365日ほぼ毎日、鏡で笑顔の練習しているはるねずみです。
もっと言うと、笑顔だけでなく会話のシーンのイメトレで、口パクしながらリアクションする練習もしています。
自分が仲良くなりたい!と思う相手にたいして、少しでも好感を持ってもらいたい、失礼な態度や不安を与えないような表情・仕草を心掛けたい。
話し上手とも聞き上手とも言えない、「対話」下手な自分の欠点をカバーするために、表情やしぐさの部分から意識していけたら・・・なんて思っています。
今日はそんな私が、「話し方」「聞き方」に関する本を読んで考えたこと、実践してみたこと、そこからさらに気がついたことを話します。また、noteの更新もだいぶ久しぶりだったので、近況報告的なことも交えてゆる~~く語っていきます。
友達付き合いはほとんどなくて、オフラインのコミュニケーションというと夫、夫の家族、職場の方という狭い範囲なのですが、身近な人たちをもっと大切にしたいなと思うできごとが最近色々あったので・・・
(もちろん、このnoteを読んでくださっている方のこともです!!誰にも話せない心の内に耳を傾けてくださり、いつも本当にありがとうございます。)
そのために、人との関わり方、具体的には「話の聞き方」をもう一度勉強し直そうと思いました。
参考になった書籍、動画なども紹介しながらお話しします。
読んでいただき、少しでも共感してもらえたり、「へ~!」と思ってもらえたり、自分と似た悩みを持っている方の参考にしていただけたらすごく嬉しいです!
もう、おしまい…
今は無事に一件落着?したので、やっと話せる状態にはなったのですが、ここ1~2週間くらい、ちょっと心が不安定になっていました。
根本的な解決ができているのかどうか、と問われると自信がないのですが、それでも「今」を信じよう!と前向きに考えています。
直接的なきっかけは私の心無い言葉でした。
後で指摘されたときに、「えっ、私そんな酷いこと言った!?」と自分で驚くくらい、無意識にその言葉を相手に吐いていたんです。
それは短いセリフでしたが、どんな言い訳をしてもフォローできないくらい、冷たい言葉でした。
いかにその時の私が、自分のことしか考えられていなかったか、相手が自分にしてくれることや優しい態度を「当たり前」に思ってしまっていたか、ということを思い知らされるものでした。
当然その言葉や、それを発するまでに至る自分の生活態度について謝ったのですが、実はそれはほんのきっかけに過ぎず、根本の原因はもっと深いところにありました。
ちょうど去年の今頃、私はカウンセリングルームに通っていました。
通い始める半年~1年前から、とある問題について悩んでいて、計8回(だったかな?)通ったカウンセリングによっても、結局解決には至らなかった問題でした。
カウンセリング料金は安くないですし、通って良かったと思える側面は沢山あったのですが、そのまま問題が解決する兆しは見えず、通うのはやめて、また問題から目をそらす日々に戻っていきました。
ただ、それからもそのことが原因でうまくいかないことが続いていて・・・
ず~~~っと息をひそめていた問題がそばにある中で、そこへ私の自分勝手さや余裕の無さが乗っかって、とうとう爆発した、というのが本当の原因です。
「なんでだろう・・・」
「どうしたらいいんだろう」
いくら悩んでも、変わろうと思っても、思うだけ・自分を責めるだけでは結局何にもならなくて、他の部分でカバーしようとしても、それが通用する話でもなくて。
でも・・・
今回は、それでもどうにかしないと、「今(これから)自分が生きている意味」すら失ってしまいそうな状況になったんですね。
せっかく読んでもらっているのに、具体的なことが言えなくてすみません。
自分の悩みと、今までの幸せやこれから先の未来、その他の色んなことを天秤にかけて考えました。
同じことの繰り返しになるかもしれない、とももちろん思ったし、むしろ、今までとは状況が変わった部分もあって、別の不安や恐怖も生まれてしまいましたが・・・
それでもなんとか、打開策?自分の「幸せ」を守る方法を見つけることができたかなと思います。
(なんか漠然としすぎてて意味不明ですよね😂笑)
今回の件で考えを改めたのは、「相手の声をよく聴く」「本質から目をそらさない」ということです。
「謝る」という行動一つ取っても、”何にたいして”謝るべきなのかをちゃんと考えるべきなんですね。
私は最初、「してもらって当たり前」な自分の態度や、「感謝を十分に表現できていなかった」という点について謝りました。自分で真っ先に自覚できた点だったからです。
ただ、結局問題の本質は「そこじゃない」んですよね。
ずっとずっと目をそらしてきた問題があって、それは私が触れたくない部分でした。
でも、一番”謝るべき”というか、向き合う必要があったのはやっぱりそこだったんです。むしろ、それに比べれば、私が謝ったポイントって正直「別に気にならない」レベルのことだったらしく・・・
「見たくないもの」の中にこそ「本質」は隠れていて、怖くても辛くてもそこに目を向けて、「聞きたくない話」の一言一句に耳を傾け、相手の声をよく聴いて、気持ちを理解する。
それが、できていなかったことが問題であって、私が今回一番謝るべきポイントだったんですね。
カウンセリングにまで行った問題ではあったのですが、今回の「絶望」から行動を起こしてみた結果、意外とあっさり?解決できるような気がしました。
見て見ぬふりをしていた時の苦しみより、意外と今の方が気楽かなと感じたりもしています。
もしこれで本当に問題が解決して、「なんであんなことで悩んでたんだろ?」と思える日が来たら、良いなと思います。
一か八か、サイコパスムーブ
今回の一連の流れの中で、私は「こんなことする私って怖いかも…」と思うような行動を取りました。
まさに一か八か、吉と出るか凶と出るかという賭けでした。
ネガティブな感情で心が埋め尽くされていると、普段は取らないような行動や極端な思考になりがちじゃないでしょうか?それは「暴走」とも呼べるかもしれません。
でも、そんな賭けに出でもしない限り、状況が変わらないような予感がしたんです。
だから、自分の考えていることや行動が「異常かもしれない」とは思いながらも、「行動しないで最悪な事態の訪れを待つ」よりはマシと思ったんです。
そして、これまた異常かもしれないのですが、そんな行動を取りながら、解決した先の未来のことを思い浮かべていました。
「あの時よくあんなことしたよね~w」って笑い話にできたらいいな、とか、解決さえしてしまえば、異常な暴走行動も逆に「ドラマチック」にさえ思えるのでは?みたいな、よくわからない楽観的思考が、不安だらけの自分を後押ししてくれていたんです。
結果、「吉」と出ました。
むしろ、その行動がなければ、予想していたよりもっともっと悪い結果が訪れていたと後で知って、「暴走してみてよかった」と安心したほどでした。
落ち込んでいた期間に読んだ本の中で、「人は”感情”で動く」という話を読んだんですね。
いくら言葉を尽くしても、相手が聞く耳を持たなければ、何の意味もないです。
ましてや、そばにいて語りかけられない距離感にいて、「文字」でしか伝えられない状況だとしたら、相手がそれを受け取り、読もうという意思で開封し、一つ一つの文字を目で追ってくれない限り、伝えたいことは永遠に伝わらないままなんですよね。
そういう相手を動かすにはどうしたらいいのか、自分はどんな行動を取るべきなのか、すごく考えました。
心に届く言葉、感情を揺さぶる行動。
今回はそれが「暴走(普通の人ならやらなさそうな突飛なこと)」でした。
何度も使えるような方法ではないですが、ときにはこういう勇気も必要なんだなと思ったできごとでした。
応対コンテスト
私は現在コールセンターで働いているのですが、職場で電話応対のコンテストが始まりました。
各チームから1名ずつ選出され、エリアごとに予選~本選があり、エリアで勝ち抜くことができれば全国大会、という流れです。
今回私はチームの代表として選任され、先日予選を無事に終えました。
応募者がいなかったから、という事情もあるかとは思いますが、日頃の自分を少しでも評価してもらえて、選出してもらえたことが嬉しかったです。
「せっかく出るなら…!」という思いから、先輩達に協力いただき、応対のロールプレイングを重ねたり、自分でも「元○○の№1販売員による~」というような、セールストークや接客の心構えに関する書籍を読んで対策しました。
それが今の自分の位置
予選では、正直「う~~ん…」という出来でした。
選任されたのが、選出締切最終日であったことや、そのために日程調整の部分で希望が出せなかったこと(遅めが良かったけど最初の方になってしまった)などの理由により、準備不足が否めませんでした。
でもそれは言い訳にすぎません。
今の職場で働いている期間はまだ数カ月と短いですが、これまで別の仕事で、接客・電話応対は人並みに経験を積んできた自負はあります。(そこそこいい年なので…汗)
それに、準備期間があと1週間長くあったとしても、本番で出せる実力にそこまで差が出るとも思えません。
結局は、それまでの毎日の応対で培った経験や、お客様と向き合うときの自分の姿勢のすべてがあらわになる場なんだと思います。
「緊張した」「もっと~~しておけばよかった」みたいな気持ちは、終わった直後に色々出てきましたが、それもぜ~~~んぶひっくるめて、「今の私の実力(位置)」なんだと考えることにしました。
今回は「コンテスト」ということで、練習・本番がありましたが、普段の仕事での応対は常に「本番」だし、人と関わる時だってそのやりとり全てがその後を左右する「本番」なんですよね。
そう思うと、いつでも本番のつもりでしっかり向き合い、たとえ失敗しても、そこから一つでも多くのことを考えて学んで、次に活かしていきたいなと思いました。
そうすることで、今回のように「評価」される場面で、その時点の自分に納得が出来るはずだからです。
自信過剰と思われたくない
コンテストに出るということになり、正直いろんな葛藤がありました。
自分から「出たいです!」と名乗りを上げたわけではなかったものの、そういう背景を周りの人がみんな知っているわけではないので・・・
のように、ネガティブなイメージを持たれてしまうことが怖かったからです。
先ほど、「経験を積んできた自負があります!」とは言いましたが、だからといって、「私こそがこのコンテストに出るに相応しい人材だ」等と思っているわけでは到底ありません。
私より話し方が綺麗な人、お客様と真摯に向き合う姿勢のある人、頭の回転が速い人、問題解決能力や提案力の高い人、私よりずっと経験豊富な人は他にたくさんいます。
もしかしたら、
と思った人もいるかもしれません。
私が断らなかった理由としては、そのコンテストに関するポスターを見て、「出てみたいな」ともともと思っていたからです。もし、出たい人が他にいないなら・・・ですが。
昔、接客・販売の仕事をしていたときにも、社内資格制度があり、実技試験を受けて資格を取った経験がありました。
社会人になると、学生時代のように、自分の頑張りにたいして「点数」をつけてもらえる機会ってあまり多くはありません。目に見える結果がすべて、みたいなところがあると思います。
だからこそ、そういう機会で自分の実力を試してみたい!とも思うし、困難に思えることに挑戦するときにこそ、できなかったことができるようになったり、自分の限界値を伸ばせると思っているんです。
(宅録ナレーターをやっていて、オーディオブックの長尺朗読などやっている時、特に思っていたことです。すごく大変だったけど、その苦労を乗り越えた経験や知らなかったことを学ぶ機会、できないことをできるようにするための訓練が、後々ものすごく活きたので・・・)
賞金が欲しい!とか、すごいと思われたい!という理由ではなくて、「頑張る理由」が欲しかった、というのが正直な気持ちです。
でも、そんなことをわざわざ周りの人全員に言って聞かせるわけにもいかないので・・・
嬉しかったこと
そんな葛藤があったからこそ、ロールプレイングで相手をしてくれた先輩の存在が嬉しかったです。
もしかしたら、このコンテストについて、私ほど本気?な人は珍しいのかもしれません。
「開催されるから一応~~」みたいなノリが普通で、私みたいなのはむしろ空回り?というか、「いや、そこまでやらなくていいのに…」「乗り気すぎて引くわ・・・」と思われていた可能性もあります。
その辺のところは不明ですが、私が予選に向けて対策用の資料作りをしたり、配布資料に書き込みしたりしている様子を見た先輩たちが、「ロープレの相手やりたい!」と自ら名乗り出てくれたんです。
それがすごく嬉しかったです。
出題テーマがかなりざっくりしたものだったため、ロープレを何度やってみても、果たして「こんなんでいいのかな?」感がどうしても否めなかったのですが、私にとって大事なことは、「練習の質」というより、「力になってくれる人がいてくれる」という事実の方でした。
周りにどう思われているんだろう・・・ということが怖くて、「やっぱり断るべきだったかも」なんて思っていた矢先、応援してくれて、「優勝狙いましょ!」と励ましてもらえたりして、心から嬉しくて安心して、涙が出ちゃうくらいでした。
変に真面目でプライドが高く負けず嫌いで、どうしても空回りしてしまったり、独りよがりになってしまうところがあるのですが・・・
一生懸命さが伝わると、こうやって応援してくれる人が現れるんだな、と思えたできごとでした。
聞く(承認する)側に回る
コンテスト対策の一環として読んだ本の一つがこちらです。
私は話し上手ではないのですが、聞き上手でもないということに最近気がつきました。
親しい相手でないと、「何を聞いたらいいのかわからない」「どうやって話を広げればいいんだろう」「沈黙が怖い」みたいな現象になり、会話そのものが怖くてストレスを感じてしまったりするんですね。
コンテストでは、相手の悩みをよく聴いて心に寄り添い、問題解決のための提案をするスキルが求められていたため、「セールス」「営業」というよりも、どちらかというと「ヒアリング(傾聴)力」「話の聞き方」「心を開いてもらう方法」に重点を置くべきだと考えました。
この本、読んでほんっと~~~~~によかったです。
詳しくはまた別の機会で話せたらと思うのですが、「あぁ、こうすれば相手に”話しやすい”と思ってもらえるんだ!」という気づきがたくさんありました。
人は自分の話を聞いてもらえると嬉しい、だから積極的に「聞き手」に回ろう!ということ、つまり「承認される側」から「承認する側」に回ろう!みたいな、人との関わり方についても書かれていました。
私はついつい自分のことばかり夢中で話し続けたり、相手の話を聞こうとしたつもりが、「あ、私も~~です!」と、会話泥棒してしまうことがあります。
自分ばかり気持ちよくなろうとせず、相手との関係を良くしていきたいと思うなら、相手に「この人と話すのは楽しい」「いい気分になれる」と思ってもらえるように、よく話を聞いて、会話をふくらませて、相手にすっきりするばで話してもらえるような、聞き上手になりたいな!と思いました。
踏み込まなきゃ始まらない
この本は以前にも読んで、何度か記事にまとめて感想を投稿していたのですが、あるときを境にピタッとやめて中途半端になっていました。
「なんだか、これを読んだことで逆に人と話すのが難しくなったなぁ・・・」
そんな風に感じていたのが原因だと思います。
でも、ここ最近久々にしっかり読書したことで、「そういえば、あれ途中だったな。読んでみるか」みたいなラフな感じで、続きから読んでみると、また新しい発見がありました。
特にハッとしたのは、
という章の内容です。
私はいつも、人と話すときに「失礼にならないように」「相手に嫌な思いをさせないように」ということばかり念頭に置いて、当たり障りない話題ばかり選んでしまいます。
特に、相手に何か質問しようという場面や、まだそこまで親しく慣れていない人に話しかけるときの話題には、より慎重になります。
頭の中で、「○○について聞いてみようかな」と浮かんでも、その直後に、「いやいや、そんなこといきなり聞いてもびっくりさせるよね」と自分で打ち消す、その繰り返しです。
結果、すべての話題を自分でボツにして、「何も話しかけない」という消極的な行動を選んでしまうのです・・・
相手から話しかけてもらえたらラッキーですが、それを待つばかりでは、仲良くなりたいといくら思っていても、距離を縮めるのに時間がものすごくかかります。それに、相手にばかりその労力を強いることにもなりますよね。
でも、相手の気持ちを自分なりに想像するとどうしても、「私から話しかけて喜んでもらえるなんて思えない・・・」とネガティブになってしまうのです。
そんなとき、特に下記の部分を読んで「考えを改めよう!」と思えました。
仕事だけでなく、相手と深く付き合いたい、仲良くなりたい、これから先も一緒にいたい、そんな風に思う相手にたいして、「もっと知りたい」と思うのは自然な感情ですもんね。
私ももし、そんな風に人から思ってもらえて、そういう気持ちからプライベートな質問をされたら、嬉しいと素直に思えます。
だから、きっと気にするべきは「質問する内容」が失礼か失礼じゃないか、というよりも、相手との向き合い方の方に気を付けた方がいいということなんですね。
「仲良くなりたいと思っているから、教えてほしいと思っている」という素直な気持ちを、相手に丁寧に伝えるように意識する。
そのために、踏み込んだ質問をするときには相手に失礼のない態度で聞いて、答えてもらえたらしっかりとリアクションしたり、「あなたのことを教えてくれてありがとう」という気持ちを伝えることが大事なんですね。
プライベートな質問に答えてくれる=私に心を開いてくれている、仲良くなりたいと思ってくれている、という、相手から歩み寄りとも解釈できるはずだからです。
そこにたいして、しっかり「ありがとう」を伝える姿勢を持ちたいです。
これもドキッとしました。
すべて自分に当てはまる「~~な人」だったからです・・・。
そんな風にもし相手に思わせていたら、すごく寂しいというか残念なことです。相手を思うからこそ「失礼にならないように」と気を遣っているのに、その意に反する結果を自分から招いてしまっているんですもんね。
人それぞれ、「ここまではいいけど、ここから先は踏み込んでほしくない」という領域があると思います。
だから、どんなに気を付けていても、気まずくなる場面は100%避けられないと思います。
でも、それを恐れていたら、距離は縮められないんですよね。
今の私は、ものすご~く距離を保ったまま、「仲良くなりたいな」と心の中で思っているだけの状態です。
これからは、「もしかしたら、失礼かもしれない」「聞かれたくないことかもしれない」と頭の片隅に常に置きつつも、距離を縮めるために自分から歩み寄り、失礼をしたときにはしっかり謝る。これを実践したいです。
リスクばかり恐れていても、望む未来は手に入らないんだなと改めて気がつきました。
「相手のために本気で会話をする」とはどういうことか・・・
それはきっと、「自分がどう思われるか」ばかり気にして、良く見せようとしたり、上手に話そうとしたりするという見せかけの態度ではなくて、たとえ空回りしても、相手の気持ちを尊重し、「あなたに興味があるんです!」という気持ちが伝わるような姿勢を見せることなのかなと思いました。
学生時代も社会人になってからも、たくさんの人達と知り合う機会はあったけれど、ほとんどは「そのとき限りの付き合い」でした。
相手と深く関わることができなくて、当たり障りない自分でいて、嫌われも好かれもせず、「そんな人いたっけ?」みたいな存在で、けっして「特別」に思われる人間にはなれませんでした。
ふとしたときに思い出してもらえるような、誰かの記憶に少しでも長くとどまれるような、特別に思ってもらえるような人間になりたいです。
そのためには、変なプライドは捨てて、保身に走るのもやめて、仲良くなりたい相手のために一生懸命になれる自分になろう!
そんな風に思いました。
聞く・訊く・聴く
「ヒアリング力」について勉強している時に見つけたYoutubeチャンネルです。
研修トレーナーの伊庭正康(いば まさやす)さんという方の動画なのですが、どの動画もとっても分かりやすくて、すぐにでも実践してみたくなるヒントがいっぱいなんです!
マインド的ことだけでなく、実際の会話シーンをイメージした伊庭さんによる一人二役ロールプレイングもあって、「なるほど、さっき説明していた○○はこんな風に使うのか!」とより理解が深まる構成になっているんです。
相手の話をしっかり聞きたい、話を広げたい、たくさん話してもらいたい・・・
でも、相手があまり多くを語らないタイプの人だったりすると、こちらがそれを自然に引き出せるような「質問の仕方」がカギになってくるなぁ・・・
そういうとき、この動画がすごく参考になりました!
まずは相手の話を遮らず、とにかく黙って音として「聞く」!
次に、それを深堀り、広げるために、「コト(事柄)」について「訊く」!
(「どんな」「どうして」「どのように」など、5W1Hを活用して・・・)
そして、最後は相手の「ココロ」を「聴く」!
(「それって○○さんにとって、どうだったんですか?(どんな気持ち?)」)
自分の話を聞いてもらうと、人の脳内にはドーパミンという快楽物質が分泌されるのだそうです。美味しい料理を食べているときのような、幸せな気持ちになるんですって・・・!🍳
相手と仲良くなりたい、もっと知りたい、そしてあわよくば自分のことを好きになってもらえたら嬉しい・・・!
そのためには、相手に美味しい料理を振る舞っておもてなしするような気持ちを持って、相手に好きなだけ自分の話をしてもらえるような聞き上手になることが近道なんですね。
とは言え、質問責めにして「尋問されてるみたいだな・・・」という余計なストレスを相手に与えなくて済むように、相手にとって「答えやすい」「話していて楽しい」と思えるような質問の仕方を心掛けたいです。
職場で実践!
コミュニケーションのことで、「なるほど!」と思うことがあると、まず実践する場が「職場」です。笑
電話応対の仕事に活かしたり、ということもありますが、どちらかというと、職場の同僚の方との会話で実践してみることが多いです。
それで先日も早速、「訊く・聴く」を試しました!
以前相手から聞いていた話題に触れて、「そういえば~~はどうなったんですか?」と質問し、それから色々質問して深掘りしてみました。
ただ、やっぱり話がどれくらい続けられるか、は相手によっていろいろでした。
中には、質問にたいして一問一答みたいな感じで答えられてしまって、私の方がそれ以上広げられそうな質問を思いつけず、
と、短いラリーで終わってしまう方もいました。
また、別の相手のときには、同性かつ年齢もそこそこ近く、既婚者同士という立場もあって、色々と話をふくらませることができ、それまであまり知らなかった相手のことを知ることができた!という場面もありました。
表面的な情報しか知らないと、それ以外の知らない部分を自分の中で勝手に補完して、「きっと~~だろう」と決めつけ、そこから「苦手」「好き」と判断してしまいがちです。
でも、そういう先入観を捨てるため、もっと言うと、「苦手」だと感じる相手を減らすためにも、相手を知る努力を自分がしていきたいと思うんですよね。
今回色々話ができたその女性のことも、相手の話を詳しく聞けたことで、今まで見えていなかった人間性みたいな部分も知ることができ、自分と相手との共通点も見つけられ、より親近感が持てました。
これは、インターネットで知り合う人達についてもよく感じることではありますが・・・
相手のことを色々と知っていくうちに、2次元から3次元へ、バーチャルからリアルへという風に、自分の中で相手の存在が「実在するもの」と認識できるようになる感覚があるんですね。
(言おうとしてること、なんとなく伝わっていたら嬉しいです…!)
高須クリニックの美容整形外科医であり、Youtuberでもある、高須幹弥先生がご自身の動画でお話しされていたことで、見習いたいと思った考え方があります。
https://youtu.be/FxsUwzv9BL0?si=wsAhJYj-VoWBIXYh
幹弥先生は、世間では「苦手」と思われてしまいやすい人とも、仲良く付き合えるんだそうです。性格にクセがあるタイプの人、精神疾患がある人のことです。
美容整形外科に訪れる患者さんの中には、精神的に問題を抱えている人も少なくなく、そうした患者さんの悩みに寄り添うために、幹弥先生自身、心理学について勉強しているのだそうです。
いろいろな精神疾患や、人の性格特性などについて知ることによって、相手を理解することができるようになり、広い心で接することができるのだと、そういうお話をされていました。
お医者様としてはもちろん、一人の人間として素晴らしいなと感じ、ますます尊敬してしまいました。それでいてユーモアのセンスも抜群という・・・幹弥先生が愛される理由がつくづくよくわかりました。
苦手な人に囲まれて生きるって、つらいです。
だからこそ、苦手な人を一人でもなくしたい。それは、相手に何か直させるとか変えさせるとかいうのではなく、自分が相手を「知る」ことで、理解(許容)できるようになるんだなと学びました。
相手を知るにはやっぱり相手のことを知ること!知るためには話してもらうこと!
つくづく、「聞き上手」になることは、自分が幸せになるために必要なことだなと実感したのでした。
実践してみて
職場で隣の席になった人にたいして、色々こちらから質問してみたことで、話は盛り上がったかに見えました。
でも、やっぱり「これで大丈夫かな」「鬱陶しくないかな」「困らせてないかな」「聞きすぎかな」など、胸がザワザワしたのも事実です。
それで、ひとしきり話してちょっと経った頃、自分から切り出しました。
「〇〇さん。私、本当に人と話すのが下手で・・・今勉強しているところなんですけど、もし失礼なことしちゃったり、聞かれて嫌なことがあったら遠慮なく言ってくださいね!」
と、もしかしたら既にやってしまったかもしれない自分の無礼を丁重に謝っておきました。
もちろんお相手は優しい方なので、
「え!?全然ですよ!むしろ聞き上手だな~と思って…色々聞いてもらえて嬉しかったです!」
とフォローしてくださったのですが・・・
それから、
「私も(人と話す時に)『聞いてもいいのかなー』とか『疲れさせてないかな?』って気になっちゃう方なので~・・・」
とも話してくれました。
それを聞いて、「ハッ。。!もしかして、私今疲れさせてたんじゃ!?」とも深読みしそうになったんですけどね🤣🤣🤣(考えすぎる癖発動w)
その後、同じ日の帰りに、最近挨拶したり雑談できる関係になった方から声をかけられたときにも、ちょっと実践してみたのですが・・・
冗談っぽく、相手をイジるようなツッコミ?をしようとしたものの、後で考えたらめちゃくちゃ意味不明な返しだったことに気がついて😂😂😂
話しかけてもらえてすごく嬉しくて、顔が真っ赤になるほどだったのと、帰り際ということもあって長話もしづらく、慌ててしまったんですね。
「せっかく話しかけてくれたのに、うまく返せなかったな…テンパリすぎて変に思われちゃったかも」
と、ウワーーー!と一人で後悔?振り返り?していました。
だから、本を読んだり動画を見たりして、「よく分かった!」「これで出来るようになる!」と思えても、いざ実践の場面となるとボロボロずたずたという有様です😂笑
だけど・・・
それでも、「相手にたいして本気で向き合おうとしている」「仲良くなりたい! 」「あなたに興味がある!」という気持ちが伝わるなら、自分が格好悪い姿になったとしても、一生懸命実践を続けていきたいなと思ったんです。
練習はまだまだ長い道のりになりそうですが、相手を承認できる側、特別に思ってもらえる存在、思い出してもらえる人になれるように・・・
とまでいかなくとも、職場の仲間として気楽に付き合ってもらえる存在になれたらそれだけで嬉しいので!!
これからも、勉強&実践頑張っていきます!!
(まとめ方、雑🤣🤣🤣)
最後までお読みいただきありがとうございました!!!
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