大人になるってどういうこと・・・?
さっきまで3時間ほどジムに行っていました。
前半は筋トレ、後半はウォーキング。旅行前は毎日続けて、旅行明けは昨日から早速再開しました。
色々続かない私ですが、運動は身体と心どちらの健康にも良いと感じているので、旅行に向けてのダイエット目的で通い始めたジムですが、これからも習慣にしてできるだけ長く続けていきたいです。
特にウォーキングは楽しくて、いつも何かしら音楽を聴きながら歩いています。
音楽を聴いてノリノリになると歩くのも楽しいですし、曲調や歌詞によって、頭の中で考えることも変わっていって、思考の整理ができたり、前向きな気持ちになれたりというメリットもあります。
ただ、私は結構暗い曲も好きで・・・笑
今日も最後の方、そんな曲たちを聴いていたら、気持ちが沈んでしまいました。それだけ感情移入してしまう歌詞だったり、歌声に力があるアーティストさんなんですね。
最近悩んでいることは色々あります。
Twitterが怖くて開けず、リプライをもらったままずっと返事もせず放置してしまっていること。イイネすらつけていないこと。このままではせっかく仲良くなれた人とも疎遠になり、忘れられてしまうのではという不安。
刺繍を全然やらなくなってしまって、それなのに来月イベントで出店する予定があること。急にやらなくなったことで、楽しみにしてくれていた人や見守ってくれていた人をガッカリさせているのではないかという自意識過剰な不安。
以前カウンセリングで相談した件がまだ解決できていないこと。結局自分の気持ちの問題だから逆に言えばいつでも解決可能なはずなので、自己嫌悪に陥っている。このことが原因でかなりショックなことがあり、まだ立ち直れていないこと。
2月に派遣の仕事を辞めたので収入が激減し、奨学金返済のために貯めていたお金を切り崩さないといけないこと。イベントが終わったらすぐに仕事を始める予定なので、これはタイミング的に仕方ないと割り切ることにしていますが・・・
あ、でも書き出してみるとこんなものですね。
3つ目以外は、自分がやるかやらないかの問題なので、一つずつ手をつけていけばなんとかなると思います。
3つ目は正直どうしたらいいか全くわかりません。またカウンセリングに行ったとしても、自分次第なのであまりそこに頼っても変わらない気がしています。
こんなことを正直に人に話すのは良くないことかもしれないと思いつつ、普段本当に誰とも口を利かない生活なので、ちょっと寂しくて話したくなりました。
それで、今日もウォーキング中に「あぁ、今日もTwitter開けなかったな」とか「刺繍できなかった」とか、ネガティブなことが頭の中をグルグルしていました。
全然関係のない話ですが、皆さんは中学生とか高校生の頃のことってどれくらい鮮明に覚えていますか?
私は中学はまだしも、高校生の頃のことってほとんど覚えていません。
高校1年生の頃は吹奏楽部に入っていて、好きな人がいて・・・
高校2年生の頃はものすごく意気投合できる友達と出会えて、でも私のせいで絶交することになってしまって・・・
高校3年生の頃は進路に悩みながら何となく自分と似た雰囲気の人達のグループに属して、担任の先生との面談ではいつも泣いて何も相談できず・・・
基本的に、高校生の頃は友達と呼べる友達がほとんどいませんでした。ギリギリ孤立していないだけで、いじめられていなかっただけの、暗い生徒でした。
高校1年の終わりには部活も辞めたし、家に帰っても自室にいることが多くて、たぶん下の妹弟と遊んだり、ケータイでネット掲示板の友達と話すことだけが楽しみでした。
夏休みは遊びに行くこともほとんどなかったから、部屋のベッドでひたすら寝続けていたせいで、高校3年生の頃は幽霊みたいに白くてガリガリでした。
なんでそんな話をするのかというと・・・
高校生の頃、たぶん私の人生の中でも特につらい時期だったと思うんですよね。家でのことだけじゃなく、失恋もしたので。学校に友達がいなかっただけに、そのダメージが結構大きかったです。
もしかしたら、当時すごくつらかったから、今あんまりその時のことが思い出せないのかな?と思ったんです。
そうすると、今みたいに色んな悩みを抱えていたり、そこに大きなダメージを受けるような出来事が降りかかってきた場合、私はこの時期のことを数年後には全然思い出せなくなるのかな・・・と、ふと考えました。
つらいことが多い人生だと、思い出が残らない人生になるんですかね。
ウォーキング中にそんなことを考えながらちょっと涙ぐんで、家に帰ってきてから洗面所で手を洗っているときにもまた、こみ上げてきました。
顔を上げたら、目の中に涙をいっぱい溜めている自分が鏡に映っていたので、そのまま顔を近づけて、自然にあふれて零れ落ちるのを観察しました。
昔はよくこうやって、自分の泣いている顔を鏡で見ていました。
悲しいことを考えたり、悲しい曲を聴いたりして、無理やりでも涙を流して、ぐしゃぐしゃになった顔を見ていると、だんだん気持ちが落ち着いていったんだと思います。
今日、それを久しぶりにしたのでした。
最初の一滴が右目から零れ落ちて、その後も続けて右目から顎に向かって垂れました。
「え?右目からしか出ないの?」
と一瞬不思議に思いましたが、その後ちゃんと左目からも流れました。
私は泣き虫なので、悲しいとか嬉しいとか、何かを読んだり観たりして、よく泣いていますが、こんなふうに一人で涙を流したのは久しぶりな気がしました。
カウンセリングに通っていたころは、先生の前で声を上げるほど泣いていました。
それを思い出して、またそんな風に誰かの前で思い切り泣きたいと思ってしまいました。
今悩んでいることのほとんどは自分に原因があるし、そのせいで人に迷惑をかけたり、大切な人を傷つけたりしています。
それなのに私が泣いていいわけがないんだと思っているのか、誰にも頼れない現状で、ちゃんとしないと!という気持ちが強くなっているからなのか、無意識に”泣くこと”を我慢していたのかもしれません。
全部自分のせいで、自分の責任で、こうしている今も誰かを傷つけているんだと、我慢してでもできるならやればいいじゃん!と、頭ではわかっているのにそれができなくて、でもそういう自分に対して、
「あなたは悪くないよ」
と誰かに言ってほしいし、泣くことを許してほしいという気持ちになってしまいました。
だけど、そんなのはいい年をした大人のすることじゃないかもな、とも思いました。
私はもう33歳で、あともう少しで34歳になります。普通なら子供が一人や二人いて、下手したら「おばさん」と呼ばれるくらいの年齢ですからね。
つらくても、悲しくても、せめて人前では泣くことをぐっと堪えられるようになる。
きっとそれが、「大人になる」ということなんだと思います。
でもそういうことなら、子どもの頃から何度も何度もやってきました。特に義理の父親の前では、絶対に泣きたくなかったから、弱いところを見せないように必死でした。
その意味では、私は何度も「大人になる」経験を積んできたはずなのに、いい年になった今、全然大人らしくありません。
大人になるっていったいどういうことなんでしょう?
自分が強いのか弱いのか、それすらもよくわかりません。
でも強いんだとしたら、今Twitterすら開けないなんて事態にはなっていないはずですよね(;´∀`)
何か決定的なことがあったわけでもないのに、いつもできていたことができなくなったり、好きだったことにも急に気乗りしなくなったり、仲良くしていた人からも離れてしまったり・・・
未だに自分のことがよくわかりません。
こういう自分のことを、無条件に許してくれる人がいたらいいのになって思ってしまいました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?