自分でよかったと思うため

はじめまして、はるねずみと申します。noteを始めてみました!

最初の投稿ということで、自己紹介も兼ねてnoteを始める理由をお話してみたいと思います。伝えたいことがありすぎて、文章を書くとどうしても長くなってしまうのですが、お時間のあるときに読んでいただけると嬉しいです。

1.私に発信できること?

私もなにか書いてみたいなぁと思い続けていたものの、これいって専門的な知識やスキル・ノウハウもないし、誰の役にも立たないだろうと手を出さずに来ました。

それなのになぜ始めようと思ったのかというと・・・

TwitterやYoutubeでの発信を通して、自分の辛かった過去・弱さ・悩みを正直に話している方を見かけたのがきっかけです。さらに、意外にもその方の告白に多くの方が共感して、「知れてよかった」「救われた」というポジティブな反応をされているのを目の当たりにしたことで、安心感前向きな気づきを与えてもらえたからです。

「悩んでいることを人に話してもいいんだ

「家族を大切に思えないのは私だけじゃないんだ

「(自分が)欠陥ばかりとは限らないんだ

生まれ育った環境が変わっていて、経験したことがないことや知らないことが沢山あって、自分が人と違うのを感じる。だけど解決方法もわからず「でも」「どうせ」「だって」と言い訳して、ありとあらゆること(殆どは対人関係)から逃げてきました。だから、そんな私には人に与えられるものは何も持っていない、むしろ足りていないものばかり。今まではず~っとそう思っていました。

けれど、人が望まないことも生き方をして沢山の失敗を繰り返した人間だからこそ、その経験から得たものがあるとするならば、それを話すことが同じ経験をしたことがある人あるいは今その状況にいる人にとって、何かの形で役に立つのかもしれない、そうなればいいなと思いました。

つまり、これまで否定し続けてきた自分自身の人生を肯定するための方法を模索する中で見つけた答えの一つがこれだったということです。

2.不幸自慢はしたくない。

これははっきりお伝えしておきたいのですが、私は決して自分を悲劇のヒロインだと思っているわけでもなく、同情してほしいとか特別な人間だと思っているわけでもないのです。また、私の人生にかかわった人たち(家族・親戚・友達・恋人)を責めたいわけでもありません。

このnoteでは、今の私が気づいたことや考えたことを話していきます。そのほとんどは、ネガティブな「過去」「悩み」をポジティブに捉えられるようになったなど、自分の心境の変化についてになると思います。

だからこそ、現在との比較のために過去の経験にも触れていきます。

3.知らない権利だってある

傷ついた過去や解決しない悩みがあって、それを他者に理解してほしい人がいる思います。一方で、そういう話を聞きたくない人もいると思います。

実際、私は自分の過去をありのまま打ち明けたことで人を傷つけた経験があります。「信じてるから、全てを知った上で一緒にいてほしい」と、包み隠さず話しました。それは相手のためを思っているように見えて、実は自分の「知ってほしい」「理解してほしい」を押しつけたがるエゴに過ぎなかったんですよね。ものすごく負担をかけてしまったと思います。

この経験から、不用意に自分の秘密や悩み・過去について話すことは、「受け止めきれない」「知りたくなかった」と相手を傷つけたり追い詰めてしまう可能性があると知りました。と同時に、知る権利だけでなく知らない権利もあるのだとわかりました。

それからは、「本当に話す必要があるか?」「相手がどう感じるか?」と慎重に考えるようになりました。決して愚痴の掃き溜めにしないよう、過去の経験を取り出すときには、よく考えて選びます。

4.弱さも振りかざせば暴力になる

2・3でもお話してきたように、基本的にネガティブなことを話す場合は、注意しなければならないことが多いと感じます。

「弱さも振りかざせば暴力になる」という言葉を以前ネットで目にして、ハッとしました。気づかぬうちに自分の「弱さ」を盾にして周囲の人を動かしているのではないか?と思ったのです。

仕事で悩んで辛くて何時間も愚痴を聞かせること、人の悩みと自分の悩みの大きさを比べること、顔色や声の調子にいちいち反応して相手に気を遣わせること・・・自覚している範囲でも、挙げればキリがありません。

辛い、弱い、苦しんでいる自分がここにいるんだ!だから優しくされるべき!周りが理解して態度を改めるべきだ!

無意識にでも、周囲の人にそうアピールしていたのではないか?と。

「弱さ」だからこそ厄介なのだと思います。なぜなら、「弱い人」を否定する人はたいてい悪者扱いされて「心無い人」というレッテルを貼られてしまうからです。理解できないものを理解できないと言う権利は誰にでもあるのに、弱さを逆手に取って相手を黙らせる、言うことを聞かせることは良くないなと思いました。

だから私は、自分の弱さや人との違いを話す際、理解を求めたり意見を押しつけたり、それによって人を傷つける表現はしないよう気をつけます。

人それぞれ、生まれ育った環境は違う。経験してきたことも違う。他者を100%理解出来る人なんてきっといない。理解できなくて当然くらいの気持ちで、ただただ自分を表現するための場所として、書いていきます。

5.素の自分?生きづらさ?

こうした経験から、人の顔色を伺う癖、話し方や声のトーンや言葉の裏の意味を読み取る癖がつきました。友達と話していても、「何考えてるのかわからない」「腹黒そう」「演技してるみたい」とよく言われてきました。悩みを打ち明けるときも相手の反応を深読みして、あえて自虐ネタにして笑い飛ばしたりしました。そういうことをしているうちに、自分でも「素の自分ってなんだろう?」とわからなくなりました。

そして、物音にも凄く敏感になりました。近くで物音や怒鳴り声がしたり、イライラしている人がそばにいると、それらが自分に向けられたものでなくても怯えたりストレスを感じてしまいます。会社員時代はこのことでよく悩んでいました。

こういう特性みたいなものも、活かせる場面はあると思います。人の気持ちを言葉以上に感じ取れるのなら、友達の悩みを聞いてあげたり、仕事なら接客やサービス業が向いているかもしれません。大きな音が苦手なら、そういう不安や恐怖を他の人に与えない配慮はできます。

ただ、社会に出て働き色々な人と関わる上では、そうした自分の性格を長所と捉えることが難しく、生きづらさを感じる場面がとても多かったです。悩みのほとんどは「気にしすぎ」で簡単に片づけられることばかりでしたし、自分でもそう思います。でもどうしたら気にしないで済むのかもわかりませんでした

6.自分ってもしかして?

同じことで何年も悩み続けてきて、「HSP」「アダルトチルドレン」という言葉を知りました。

HSP(Highly Sensitive Person:非常に敏感な人)とは、外界の刺激や体内の刺激にきわめて敏感に反応してしまう気質を指します。特になじみのない環境では、他の人が感じないほどの些細な刺激でも神経がたかぶる傾向があり、神経系の興奮が長引き、疲れやすくなります。HSPと想定される人は、全人口の15~20%と推定されています。また、高齢になるほど刺激に敏感になりやすく、状況によっても敏感さは変化するといわれています。
HSPは生まれながらに持った気質です。個人差が大きいといわれますが、共通する特性としては「周囲の些細な変化に気づきやすい」「小さな刺激に敏感に反応する」「情報を深く処理する傾向がある」などが挙げられます。

(引用元:https://www.saiseikai.or.jp/medical/column/hsp/)

アダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。ACという言葉は、伝統的な精神医学や心理学の枠組みでの診断名ではありませんが、自分の育ってきた環境、親や家族との関係を振り返って自分自身を理解するための、1つのキーワードとしてとらえることができます。

(引用元:http://www.yamanashi.med.or.jp/tsuru/onepoint/onepoint17.htm)

私は、これまで一度も精神科や心療内科で診てもらったことはありません。チェックリストなどに当てはめて、「もしかしてそうなのかな?」とあくまで自分で思っているだけです。なので、こういったことを自称するのには少し申し訳無さというか抵抗があります。

ただ、生まれつきの気質によって生きづらさを抱えている人が一定数いるということや、過去の辛い経験を引きずり未成熟なまま大人になってしまう人もいるのだということを知ることができて、私は少し楽になりました。

親や家族を大切に思えない薄情者、仮面をかぶって本心を見せない八方美人、友達の輪に入れないはみ出し者、いちいち深く考えすぎる面倒な人。

愛されない自分が嫌いでどうしようもなくて、なぜこうなってしまったのか納得できる理由がほしかったのかもしれません。それを言い訳にして正当化したいわけではないけれど、自分のことが分からない不安、許せない辛さから少し解放されました。

また、冒頭でもお話したように、こうした弱さや悩みを正直に打ち明けている人を見て、「私だけじゃないんだ」と安心でき、「これは長所にもなるんだ」と前向きに捉えられるようにもなりました。

7.最後に

どんな人にでも悩みや辛い経験はあると思います。そして、みんなそれを乗り越えるために人それぞれ努力していると思います。だから、こういう話をすると「それくらいのことは誰にだってある」「甘えでしょ」「言い訳するな」「親のせいにするな」と言われてしまうかもしれません。

その通りだとも思うし、そうではないとも思います。

「人はそれぞれリュックサックを背負いながら山を登っている。リュックサックの中には石が一つずつ詰まっていく。何個目の石でその人が背負いきれなくなるかは、他の人の目にはわからない。」

大分うろ覚えですが、このような話を昔学校の先生から聞きました。

人それぞれ日々悩みを抱えていくけれど、リュックサックの容量も背格好も体力もバラバラで、抱えきれる重さには一人一人限界がある。もしかすると実はその人は限界まで背負っていて、あと一つでも石が入ったら倒れてしまうかもしれない。しかもその最後の一つは、他の人からすれば「なんだ、そのくらい」の小さな石かもしれない。だから悩みの多い少ない、大きい小さいは比べるべきものじゃない。これが私の解釈です。

人の悩みを自分のことのように捉えるのは難しいことだけど、だからこそそれを軽んじてはいけないと自分に言い聞かせるようにしています。使う言葉一つ取っても、誰かの心にとどめを刺してしまいかねないと思っています。インターネットで文字だけで伝えるときには特に注意したいです。

このnoteでも不用意に人を傷つけることのないよう注意していきますが、「毒親」「親ガチャ」など、人によって不快に感じられる言葉を使う可能性もあります。私自身、それらの言葉には「悪いのは親」と決めつけるニュアンスが含まれている気がしてあまり好きではありません。あえて使うのは、話をわかりやすくするためであることをご理解いただければ幸いです。

自分の言葉で伝えるには限界があるので、人の言葉を借りる。その言葉を知ることが救い、役に立つと信じている。

どうしてそう思うのか?の理由をきちんと伝えるために、自分の過去に触れることもある。けれど一番伝えたいのは「今」の気持ち。気づき。行動。

優しい言葉、励ましの言葉をかけるのは苦手。「大丈夫だよ」「自信を持って」等、口で言えても嘘っぽくなってしまう。本当に心から思っていることでなければ、なるべく言いたくない。

悩んだこと+言葉=これをやってみよう!こういうことなんだ!こうも考えられる、という内容にしたい。未解決でも変えられないことでも、それを自分が前向きに捉えられるようになったときにそれを話題にする。

言葉を広めたい。大好きな本・映画・歌・漫画(言葉に触れられる文化)を広めたい。そのために声を使う。

でもその前にまず自分の生活基盤を安定させ、身近な人の優しさを与える余裕のある人になりたい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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