できるようになったこと
こんにちは!はるねずみです。
先日、無印良品に行って色々買ってきました!
まだまだ無印初心者な私は、事前にYouTubeで「無印良品おすすめ〇選!」のような動画で予習して、ほしいものをリストアップして行きました。
耐熱250℃の調理スプーン(炒める、すくう、色々使える)や、ヘアブラシ、ガパオライスの素などなど…
予定外でしたが、レジ前でこんなのも発見!
これなんと!!
こんなふうに個包装されて、一枚ずつ売られていたんです!!!一枚七円!!!!
衝撃でした…
もはや駄菓子感覚😍✨✨✨✨
しかも会計を済ませて帰る途中、なんと量り売りのおかきやクッキーのコーナーも発見!!!
(1g4円、20g~)
レモン味のおかき美味しそうだったなぁ…
スイーツファクトリーとか、お菓子の量り売りって、色んな種類を一個ずつとか食べられるので、すっごいワクワクしませんか!?(・ω・)✨
今度は量り売りおやつも欲しいな~!
欲を言えば、もう少し種類があってほしかった!
(そのときは10種類あるかないか、くらいでした。)
という雑談はさておき!!!
今日は、最近私が「できるようになったこと」を二つ発表します!!
食べ物の好き嫌いを克服したとか、逆上がりができるようになった、とかは目に見えてわかる成長ですよね。
でも、性格の部分や、ちょっとした変化だと、自分では「できた!」「良くなった」と思っても、他の人の目から見れば「変わってない」と思われてしまうこともあると思います。
なので今回は、一緒に生活している夫から実際に「できるようになったね」とお墨付きをもらったものを胸を張って(笑)発表したいと思います!😎👍
「巻き舌」を”長く”出来るようになった!
まず一つ目がコレです!笑
「しょうもな!w」
と、どうぞ笑ってくだしいまし😂
でも、私にとっては結構嬉しいことでした。
自分の舌が短いのか何なのか(そもそも人と比べたことがないけれど)、リップロール(息を送って唇をブルブルブルーと震わせ続ける)はできたのですが、巻き舌(タングロール)はぜんっぜんできなかったのです。多分、最初は1秒もできなかったです。
巻き舌に憧れた理由
ラ行が含まれる単語や文章を読む時に、あえて巻き舌にすると面白くなったり、かっこよくなったりしますよね。(アナゴさん、椎名林檎さんなど…!)
だから私も、狙ったタイミングで自由自在に巻き舌ができる人に憧れていたんです。(そんな理由!?)
あとは、発声練習のときにリップロールや呼吸法の練習もするのですが、タングロールもできると練習の幅が広がるので、そういう意味でも巻き舌ができるようになりたかったです。
修行の日々
巻き舌といったら「ルルルルルルル…」ですが、できるようになるための練習として、頭に「ハヒフヘホ」を付けるとやりやすいと以前知り合いに聞きました。
「ハルルルルルルrrr…」のように!
だから私は、家にいる時は(最近ところ構わずw)、ひたすら「ハルルルrrr!」「ハルルルルrrr!」と巻き舌を繰り出しまくっていました。
それで夫によくからかわれ、恥ずかしくてイラッとする(笑)気持ちもありましたが、やめることはしませんでした。笑
会話中にラ行の多い単語が出てきたら、ふざけてラ行を全部巻き舌にして声にだして遊んだり笑
(狙ったところで巻き舌にするのは、舌をリラックスさせたり息の量を調整する必要があるため、1音1音ゆっくりになります笑)
そして、たまたま長く「ハルルルルルルルrr!」とできたときは、「今上手くなかった!?」とすぐさま確認!報告!
一年頑張った結果
そんなことを毎日のように繰り返していたところ、初めは0.5秒、1秒をたまにできるかどうか…だったのが、気づけば3秒、4秒と長くできるようになっていました!
多分、ここまで来るのに一年くらいかかったと思います笑
でも、無理して"練習"していたわけではなく、ふざけながら楽しんでやっていたことなので、全然苦はなかったです!
自分でも「長くできるようになったー!」と嬉しいのはもちろんですが、こんなしょうもないちっちゃな成長(?)を一緒に喜んでくれる夫のおかげで、ますます嬉しくなりました!
(「努力の賜物だね」と言ってくれました🤣笑)
ちょっと”優しく”なった
いきなりですが、最近こんな会話がありました。
私自身は、そこまで優しくなった自覚がないので「ちょっと」をつけておきます。笑
心に余裕ができた理由として思い当たることとしては、バイトを始めて家に閉じこもる生活を変わったこと、心理カウンセリングに通い始めて自分の話を聞いてもらうようになったこと、の二つが考えられます。
対人関係でストレスを感じることはもちろんありますが、その反面、人との触れ合い、外の景色を見て新鮮な空気を吸うこと、買い物を楽しむことなどで癒されたりすっきりすることもかなり多いのです。
「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」
私は昔から、「他人に何かしてもらう」ということに罪悪感を感じやすい性格でした。
「ありがとう」「助かりました」よりも「ごめんね」「すみません」という言葉の方が先に出ていました。
そして、申し訳なさから不安や焦りを感じ、そんなことをさせてしまった自分は嫌われる、相手を嫌な気持ちにさせているはずだ、と思いこんで勝手に落ち込んでいました。
ただ、それが最近少しずつ変わっていきました。急激な変化ではなく、何度も似たような場面を繰り返すことで学習していった、という感じです。
たとえば、私が何もする気が起きなくて一日中ダラダラと寝て過ごしていた日、仕事から帰ってきた夫がエプロンをつけて、たまっていた洗い物を片づけ、ご飯支度までしてくれたとき。
ただでさえ、一日無駄にしてしまった自分の不甲斐なさに腹が立っている私は、私よりよっぽど疲れているはずの夫にそこまでやらせてしまった自分に余計に腹が立ちます。
そしてこういうとき、とっさに「ごめんね」と言ってしまいます。
こうした後悔と猛省を頭の中で繰り返し、気づいたらその矛先が自分以外にも向いて、イライラに変わり、ピリピリした緊張感を醸し出すんです。ただ一人で自分を責めるだけならまだかわいいと思うのですが、攻撃的に変わっていくところがタチが悪いんですよね。
私が「ごめんね」というたびに、夫は「ありがとうでしょ」と笑顔で正してくれました。
一回や二回ではなく、まるで動物にしつけをするように(?)、根気強く毎回です。それが繰り返されることで私も、「ごめんね」と口走った瞬間に「あっ」と気づいて「ありがとう!」と、夫に指摘される前に言い直せるようになりました。
そのうち、夫以外の人に対してもだんだんできるようになってきました。
それでもやっぱり、申し訳なさを感じる場面では、
と、お礼を言うよりまず謝るべきではないかと、今でも少し躊躇してしまうことはあるのですが…💦
少なくとも夫という人間に関しては、そんな風に思う人じゃないということが、2年以上一緒に暮らしてきてわかっています。だから、厚意でやってくれたことに関しては「ありがとう」と、安心して言えるようになりました。
「ありがとう」の主役は相手
何かしてもらって「ごめんね」と言うのは、つまり「自分を許してほしい」という気持ちの表れなんですよね。
「相手のしてくれたこと」よりも「自分の至らなさ」に焦点を当てているため、前者の印象が少しぼやけてしまうため、実は失礼なことなのかもしれないと思いました。
それに対して、「ありがとう」と口にするときには「相手のしてくれたこと」を主役にしています。
だからこそ、相手が自分に何をしてくれたのか、どうしてそれをしてくれたのかを第一に考えられるし、それで素直に喜ぶ方が、相手にとっては嬉しいことなんですよね。
あ、たぶんこれもキャッチボールみたいなものですね。
自分がハッピー(愛情・善意)なボールを投げたのに、相手から返ってきたのがブルー(罪悪感・不安)に姿を変えたボールだったら、「えっ・・・」となってしまいます…!(;'∀')<ボク、ソンナボール、ナゲテナイヨ…!?
(たとえがすごく難しい…笑)
これが、ハッピー(感謝・喜び)なボールで返ってくれば、おたがい楽しくキャッチボールができますねヾ(*´∀`*)ノ💛ヾ(*´∀`*)ノ
あたたかいものをもらったなら、あたたかいものとして受け取って大丈夫。
「本当は冷たいんじゃないか」「ニセモノなんじゃないか」とか、疑わなくても大丈夫。相手があなたにとって信頼できる人ならば、その人からもらったものも信じて大丈夫なのですよ。にぱー☆
”違い”を受け入れ許せるように
私は、自分のことも他人のことも許せない人間でした。
自分にできることは他の人にもできて当たり前、みたいに思っているところがありました。逆に、「それをしないのはそれをサボっているからだ」と、心の中で相手を非難していました。
けれど夫と暮らし始めて、
キャパシティーは人によって違う
自分にできても相手にはできないことがある
それを無理強いしてはいけない
ということを学びました。
それらを認め、受け入れられるようになったのは、夫と私が真逆のタイプだったおかげなんです。
たとえば、私はどちらかというと体力がある方でしたが、夫は体がそこまで強くなく疲れやすいタイプでした。
今でこそ、会社員を辞めて家で過ごす時間が圧倒的に増え、出かけるときにも夫の運転する車に乗り、自転車に乗ったり歩くことが減って体力は落ちた私ですが…
少し前までは、仕事終わりや休みの日、「疲れた」「頭が痛い」と横になっている夫を見てイライラを募らせていました。
そして、
と、トゲのある言葉でイライラを夫にぶつけていました。私ならこうする、私ならこうはしないのにと、夫を自分と比べていたんですね。
これはよくないことですが、おそらく私は「試し行動」を繰り返していたんですね。潜在的な「見捨てられる不安」から、自分がどこまでやって許されるのか許されないのかを試していたのかもしれません。
そのたびに夫を深く傷つけました。けれど、夫は同じようにきつい言葉を返すことはせず、私を何度も許してくれました。
夫に許されることにより、私は反省する機会を与えられました。
人の心はとても脆いもので、一度ついた傷はなかなか癒えません。だからこそ、「どこまで許せるか」で人を測ろうとしてはいけないんだと思いました。
自分の心を守ろうすればするほど、人は周りに牙をむきます。私もずっとそうでした。でも傷ついた顔を見て、自分以外の人の「弱さ」を知りました。夫は私と同じくらい、あるいは私よりも弱いのかもしれない、と。
「大事にしないと」「傷つけてはいけない」と、他人に対してはじめて心から思えた気がします。
独りよがりな”無理”をやめた
また、私自身も体力が落ち、色々なことに対して自信を失ったことにより、夫の気持ちや心の痛みを想像できるようになっていったのだとも思います。
どうしようもなく疲れて何時間も眠ってしまったり、SNSも見られないほど心に余裕がなくなったり・・・
自分がそんな状態になったことではじめて「こういうことだったんだ」と、わかるようになっていきました。
そして、今までならイライラをぶつけていた場面に遭遇しても、喉まで出かかった言葉を「それは言ってはいけない」と飲み込むことができるようになりました。
また、今までなら「してあげている」と思ってやっていたことも、「したいからする」に変わっていきました。
余裕がないのに無理をすると、
と、腹が立ってしまいやすいんですよね。
だから「イライラするくらいなら、最初からできることだけやる」と決めました。
だって、相手からすれば「頼んでもいないのにやってくれて、それで機嫌を悪くされるなんて」と理不尽な気持ちになって当然ですもんね(;'∀')笑
特に料理に関しては、「これくらいならできるかな~」とラクなレシピをストックしたり、本っ当にやる気が出ないときでも用意できるような「レトルト食品」を買っておいたり、無理せずできる工夫をしています。
自分が無理してやってないからこそ、相手が反応もいい意味で気にならなくなるのです(*'▽')~♪
【結論】私が夫に似てきた
「俺に似てきたんだね」と夫に言われました。笑
人の助けを受け入れ、きちんと感謝すること
無理をせず、相手にも無理を強いないこと
違いを受け入れて、許せる優しさを持つこと
そういう「人として大事なこと」を、普通は子どもの頃に家庭で教わるんだろうけど…私は、夫と接する中で教えてもらいました。
自分を守ることに必死で、敵対心をむき出しにして、怒りの矛先を外に向けてばかりいた自分。そんな尖りまくりだった私の角が、少しずつ丸くなってきたように思います。
「優しくなったね」と言われて嬉しかったです。
「優しいね」と言われたことは何度もありますが、それはただ、自分の本心を隠していい人ぶっていただけだったから。無理を重ねていただけだったから…言われて嬉しい反面、複雑な気持ちもありました。
でも今は、自分がしてもらって嬉しかったことを、少しずつ、他人にできるようになれたから、そんな自分を褒めてもらえることが素直に嬉しいのです。
見守られる・聞いてもらえることで
まだまだ話したいことがいっぱいで、下書き記事が溜まっていく日々です。
と、一人で歩いているときにふと思います。そして、なんだかそんな自分がおかしくなって、フッと軽く吹き出したり・・・(不審者一歩手前w)
聞いて(読んで)くれる人がいる、自分に興味を持ってくれる人がいるんだって思ったとたん、もっと話したい、もっと聞いてほしい、という欲が出てきてしまったみたいです。
でも昔は、
というように、自分の殻に閉じこもり、手を差し伸べようとしてくれる人がいても耳を傾けようとしませんでした。
だから、そこから一歩外に出られたことだけでも、少し成長できたのかな?とも、自分では思ったりします。(どうだろう…聞いて聞いて!ってだけだと逆に子供っぽいかもしれませんよね💦)
あとは、人から優しさをもらってばかりにならないように、どうやったら自分も人にお返しできるのかどうか、考えていかなきゃですね🍀
。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°+ °。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
また次回の記事でお会いしましょう!(*´▽`*)ノ
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