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骨董屋のお爺さん

大学の卒業と同時にこれまで4年間住んでいた大学寮を出て、
私は初めての一人暮らしを始めた。

当時のアパートは駅から10分ほど。
小さな商店街を抜けた先の静かな住宅街にあった。

毎日通る商店街の突き当りの方には、
高齢のお爺さんが一人で営む露店の骨董屋があった。
仕事終わりに商店街にあるコンビニで100円のチョコレートを買ったあと、店の目の前で裸電球一つで営業していたその骨董屋は
何か不思議な魅力を放っていて、私はある日その店に吸い込まれるようにして立ち寄った。

露店だと思っていたそのお店は、よく見るとお店の中から品物が溢れて
はみ出ているだけだった。
それは随分長い間そのような状態だったのだろうと思う。

所狭しとものが詰め込まれて、何か一つを取り出したところで崩れ落ちることさえなさそうなほどだった。

お爺さんは日没からやって来て、店の前に小さな長机を出し、そこにいくつかの骨董品らしき器やお皿などを並べ、深夜ごろまで簡易の椅子に座って店番をするのが日課のようだった。

白い顎髭を蓄えたおじいさんは、毎回きちんとプレスされたベージュのスラックスを履き、ニットベストという綺麗な身なりで、店の薄汚れた佇まいとは随分と不釣り合いだった。

私はおそるおそる「こんばんは」と声をかけ、並べてあった品物を少し手に取ってみた。
私にはその価値の程はさっぱりわからない。
でも、その日私はふと目に止まった陶器のお椀を二つ持ち帰ることにした。確か1000円するかしないかくらいの値段だった。
お爺さんはあまり目を合わせない、少し寡黙な人で、静かにお金を受け取ったら。背を向けて黙々と品物を並べていた。

しかし、それから引っ越すまでの間、私は仕事帰りに毎日のようにお爺さんの骨董屋へ立ち寄った。

だんだんお爺さんは、私が怪しいものではないことがわかると、
回を重ねるごとにぽつりぽつりと話をしてくれるようになった。

ある時お爺さんは息子さん夫婦の家に住んでいて、毎日息子さんのお嫁さんが洋服を整えてくれると話してくれた。
この店のことも、お爺さんの仕事としてというよりも余生の「楽しみ」として家族は見守っている様子だった。

お爺さんは店を閉めるとバスに乗って帰り、息子家族の待つ家へ帰る。
きっときちんと寝床は整えられ、朝になれば美味しいご飯が用意されているのだろう。そしてまた日没とともにお爺さんはこの商店街へやってくる。

おじいさんがいつになく饒舌の日は、店の前のコンビニでワンカップ大関を買い、ちびちび飲みながら店番をしていた。

私が立ち寄ると嬉しそうに近寄って来てはポンポン、と私の腕を叩いたり、さすったりしておしゃべりの相手に誘われた。

お爺さんのお店の前を通る人たちは、私を不思議そうな目でよく見ていたが、私は通えば通うほど、おじいさんの人柄が好きになっていった。

当時私は人生でも稀に見る山場を迎えていた。毎日、仕事で携わる全てが初めてのことで、何をやっても反省ばかりで、期待に応えようと思えば思うほど空回りしていた。

でも、周りの人たちのおかげで肩書だけが膨れ上がり、友人たちや家族は喜んでくれた。

私は彼らが喜んでくれるのが嬉しかったし、私もようやく夢への扉が開いたことに浮かれていたけれど、同時に私自身が何かそれ以上に「大事なもの」を置いてけぼりにしている気がしていた。

でもそれがなんなのかを考える心の余裕も、物理的な暇もあの時の私にはなかった。

そんな時に出会ったのが、このお爺さんだった。

お爺さんとのなんでもない会話は、私を誰でもない私に戻してくれた。

このお爺さんは私が何をしているかも知らないし、私に何かを求めることもなければ、私に何かを期待しているわけでもなかった。

そして私もまたおじいさんに何かを期待するわけでもなく、何を求めるわけでもなかった。

ただ、なんでもない日常がそこに流れていて、
お爺さんは売り上げを期待する気持ちなんて毛頭なく、朝日が昇って沈んでいくように、毎日店を出して、しまい、それを繰り返していた。
(でも何気に並べる品物は変わっていた)

それが私をとても安心させてくれたのだのだと思う。

「誰かの役にたつ何者かにならなければ」
「何かの結果を出さなければ」
「現実に見合う自分に早く成長しなければ」

と当時四六時中自分を追い込んでいた私にとって、おじいさんとの何気ない10〜15分ほどの会話は唯一私が何かになろうとしなくていい時間だった。

それは当時の私の心のライフライン=命綱だったのかもしれない。

初めての出会いから1年半ほど経った頃、私は他の街に引っ越すことになった。

引っ越してからもその街に立ち寄る時はお爺さんのお店に顔を出していたが、引越ししてから2年ほど経った頃、店からはみ出していた露店部分の荷物が綺麗さっぱり無くなっており、その翌年くらいに久々に立ち寄ったら、駅前の再開発でもうお店自体が無くなっていた。

16年前に90歳近かったお爺さん。
おそらくもうお爺さんもこの世にはおられないと思う。

けれど、私はいまだにあのお爺さんの真っ白に蓄えられた顎鬚と、目を細めて笑う姿、そして綺麗にプレスされたスラックスを思い出すと、ぼんやりと暗がりで灯る灯りのような柔らかな気持ちになる。

小さな商店街の片隅で、私を受け止めてくれたあの小さな出会いが、弱りきった私を支えてくれていたときのことを、これからも忘れたくないと強く思う。

あの時、初めて迎えた人生の山場で私が知らぬ間に置いてきぼりにしていたのは、「自分にとっての幸せ」だったのだ。

それを見失いかけていた私が、周りからの評価や名声では埋められない、私にとっての「幸せ」と、あの商店街の片隅でかろうじでつながり続けていられたからこそ、私は今ここにいる。

引っ越す前に最後の挨拶に行った時、私はお爺さんと握手をした。
「ありがとうございました」と握ったお爺さんの手の柔らかな感触を今でも覚えている。

あの感触と共に、私は今日も自分にとっての「幸せ」をそっと確認し、手のひらの中に包み込む。

山口春奈



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