もしも、自閉症が治療できるとしても
例えば、たった一粒の薬剤によって。
例えば、人工内耳のように、体内にテクノロジーを埋め込むことによって。
自閉症が治療できる世界になったとしても、私は断じてそれを受け入れることはないでしょう。
ふと、疑問に思うことがある。
もし、自分の中から自閉症が消えてしまったら、私は私と言えるのかどうか。
私の人生は、とても順当に行ったとは言えない人生だった。それはきっと、自閉症を持っていたせいだと、今では自覚している。
苦しかった。怖かった。辛かった。痛かった。
私の脳にとって、この世界はまさに狂気だ。
どのような歯車で、どのような原理で、どのような機構で、人間達が動いているのか、まるで理解できないからです。
他者によって、行動の基盤を築いていくこの世界は、私からしたら、理解とは銀河程遠い場所にある。
私はアンドロイドなのか。異星人なのか。はたまた遥か先に住まう何かなのか。自分は人間ではない何か。そう思うことで、狂気から自分の心を守っていたのだ。
私の人生は、いつだって正体不明の疎外感と共にあった。
でもそんな正体不明の生命体である私に、名前がついた。
どうやら私は、ジヘイショウという症例に該当するらしい。
ジヘイショウという言葉は、私に居場所を与えてくれた。
この世界では、その言葉はどうやらマイナスイメージを植え付けるものらしいけれど、私にとって、その言葉は孤独から這い出でる救済だったのだ。
正体不明の疎外感のみと戦ってきた人生だった。
その名前を与えてもらえなかったら、私は自分自身と出会わないまま、苦しみもがき、今も苦しんでいただろう。
今では、そんな苦しみを感じてきた自分だからこそ、できる事があるんじゃないかと、そう方向転換出来るようになったんだ。
自分の人生を知ろうとする機会を、ジヘイショウという名前は与えてくれた。
治療は、人を救う行為。
本当にそうだろうか。
自閉症は私の一部だ。この世界を生きる術だ。
誰にも奪わせはしないと、心に決めている。
だから、そんな治療が開発されたとしても。
私は。
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