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色が織りなす優しさに氣づいた日

「感覚過敏と混乱、時に不機嫌」は常にワンセットだった。今でこそ上手につきあえるようになったけれど、根っこの部分は健在である。

そのひとつに「視覚」がある。

鮮やかな色や眩しい光、瞬く間に流れる映像がとても苦手で、苦痛とさえ感じることがある。周りには氣づかれない程度に混乱していることもあるから、この世界で触れる色や光については自分への優しさが必要になる。



私には「黄色」という色がそれに値するのだが、今日は「黄色」にまつわるお話をしたい。



ご近所さんの外壁の色は「アンティーク調の薄いからし色」なのだが、とっても素敵だなあといつも見惚れていた。そこである日、アトリエの白い壁を一面のみ、それにしようと思い立ったのだ。

ところが、重ね塗りをしたら「ビビッドなからし色」になってしまったんである。‥もはや黄色だよね。

また塗り替えるとしたら氣合いと根性がいる。どうやったって黄色と対峙することになるのだから。そんなのは勘弁してほしい。もう全てがどうでも良くなってしまう黄色の威力ってなんなのだろ。
そういうことに頑張れない私は、投げやりなのか諦めなのか、黄色と生活することにした。‥極端 笑

それからというもの、扉を開ければ目に飛び込んでくる黄色に馴染むことは一向に無かったが、「馴染めない自分」には馴染み始めていた。
それにしたって、回避出来ないこんな精神状態はよろしくない。自分への優しさって何だったの?

そう。安寧な生活を取り戻すべく他の色を探すしか道は拓けない。それほどにASDの特性である「過敏な視覚」が与える影響は大きかった。

そんな私の目の前に救世主が現れる。

それは心置き無く眠れるような、自分の中心に還ってきたような安心感を抱く「ミッドナイトブルー」という「真夜中の色」だった。
私はそれを求めずにはいられなくて、早速「ポチリ!」するのだ、勿論。

数日後、待ちに待った真夜中色のペンキが到着したと同時に、兼ねてからオーダーしていたアロマの作業用テーブルも到着。ここを塗り替えた暁には、是非是非この壁面に添えて置きたいと思っていたから、このタイミングに感動しながら刷毛を握りしめた。

黄色に打ちのめされそうになりながらも染まりゆく真夜中色に希望を抱いて、普段は頑張らない私がよく頑張った。つまりは相当無理をしたのだが、次第に心の穏やかさを取り戻す。大袈裟に聞こえるかもしれないが、ようやく救われたのだ私。



今にして思う。当初の予定通り薄いからし色の壁色だとしたら、私はいつしか緊張感漂わせて生活していただろう。
何故って黄色とは類似色であるから。

もしかすると、薄い色というのを理由に我慢した時間はもっと長かったかもしれない。
だとしたら、思いっきりビビッドな黄色に塗り上げたことは大正解だった。

少しでも早く真夜中色に出会えたのだから。