見出し画像

"聴覚の世界"の物語

 (昨日の「"物語"と死生観」からのつづき)

昨年の夏にやったひとり語り & 朗読のイベントについては、振り返って書くのをずっとためらっていたが、2週間ほど前にここで「声が照らし出したルーツ」と題して少し書いた(ようやく少しだけ書けた)。

ぼくにとって"物語体験"の、覚えている限りの原点は、母が毎晩、読み聞かせてくれた『兎の眼』(灰谷健次郎の小説)で、その日もその『兎の眼』から少し朗読した。

関西が舞台で、登場人物たちの多くは関西弁で喋ってるんですね(関西のどこだったっけ)。母が、その関西弁をどんなふうに読んだのか興味あるところだけれど、そこを鹿児島弁に翻訳して読んだとかそういうことはあまり考えられなくて、おそらく"標準語風"に読んだのだろう。

つまりぼくの場合、文学作品への目覚めというか、産湯は『兎の眼』で、しかも"音"で読んだ(聴いた)のだった。

後に、"音"に深い関心を寄せることになる人だから、なるほど、となるだろう(自分で言ってる)。

ところで、昨年はもうひとつ、6月に「『アフリカ』をよむ会」というイベント(というか集会?)もやった。そのとき参加してくれたひとりが(その日やった「直観讀みブックマーカー」のために)イサク・ディネセン『アフリカの日々』を持ってきていて、その本の話を聞いていたら読みたくなった。その後、たまたま夏に文庫化されたのでそれを買って、ずっと読んでいる。

この本の中には、文字を読まない(読めない、あるいは読む習慣のない)人たちもたくさん出てくる。

こんな記述があった。

あの時代にくらべて流行はかわり、物語に耳をかたむける技術はヨーロッパでは失われた。文字を読めないアフリカ人たちは今もこの技術を身につけている。「ある男が野原を歩いておりました。歩いていると、そこでもう一人の男に出会いました」という具合に物語をはじめれば、語り手はもう完全にアフリカ人をつかむことができ、彼らの思いは野原にいる二人の男たちの歩く道を想像し、そこを共に歩くのだ。

この後、「だが白人は、たとえ耳をかたむけなければと思っていても、物語を聴くことはできない」「演説でさえ印刷されたかたちで読みたがる」「眼を通じて印象を受けることに慣れきってしまった」などと書かれる。

"印刷されたもの"と聞いて、ぼくは音楽における楽譜を思い浮かべる。

楽譜を捨てることはもうできないが、あの"聴覚の世界"に、ぼくも再び入ってゆき、それに触れて、実際に手で触ってみようと思う。

音には、触れる、と思う。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房の日めくりカレンダー」、1日めくって、今日は1月21日、「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに毎日置いてあります。ぜひご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?