志田光司(三浦春馬)の温かさは公園そのもの 映画『東京公園』私的考察
映画『東京公園』の中で、志田光司(三浦春馬さん)のバイト先のバーのパーティーの最中、酔客の一人が「宇宙人から東京はどんなところかと訊かれたら、何と答える?」と光司に尋ねる場面での言葉である。
私はこの場面で、酔客が例えた「巨大な公園」こそがあのパーティーの場だと感じた。憩い、集い、誰かと誰かが出会う。
その真ん中にいるのは、バーのマスターとかつてのパートナー、アケミさん。
二人は公園の中心にいる人物。いや、この映画においては公園そのものと言ってもいいだろう。公園にはみんなが憩い、騒ぎ、誰かと誰かが出会う。そして、公園はなんとも言えない温かさで、訪れる人を包み込む。
それは、光司も同じだ。彼が撮る写真は、公園に集う家族の柔らかな笑顔であふれている。彼の持つ温かさが、写真となって被写体を包み込んでいる。
きっと、ヒロ(光司の友人。染谷将太さん)が幽霊となった後も光司のそばを離れられない理由は、光司が「公園」だからだ。ここにいれば、何とかなるって思える。そんな気にさせてくれるからじゃないだろうか。
映画『東京公園』をもう一度観た。最初に観た時のレビューはこちら。
まっすぐに見つめる、ということ
光司は、子どものころに亡くなった写真家の母の影響で、写真を始めたのだろう。部屋には母の写真が貼られていて、母の写真集がある。
光司の母がまっすぐに見つめていたものは、何だったのだろうか。写真集が作中に登場していたので、おそらく描写はあったのだろうが、覚えていない。
光司が被写体としてまっすぐに見つめるのが、「家族」であるというのはとても興味深い。憧れからなのか、共感からなのか、はたまた光司自身の内面を投影しているのか。光司の撮った写真を見る限り、私は「光司自身の内面を投影している」説を取りたい。
写真を撮るとき、光司はカメラのファインダーを通じて、被写体をまっすぐに見つめる。光司がシャッターを切る瞬間、それまでファインダー越しに光司に見えていた、被写体の温かさが写真に画像として残る。
ものをまっすぐに見つめる、人とまっすぐに向き合うということは、写真家の場合、カメラのファインダーを通してやることなのかもしれない。そんな風に感じた。それは、光司の場合自身と対話することでもあるのだろう。
光司は、3人の女性とまっすぐに向き合わざるを得なくなる。1人は、ひょんなことから知り合った歯科医・初島の妻。1人は、血のつながらない姉・美咲。そしてもう1人は、幼馴染の富永である。
光司の向き合う女性1:初島の妻
妻の浮気を疑う初島から依頼を受けて、光司は初島の妻と子供を尾行し、公園で写真を撮る。デジカメだから液晶画面で被写体を見つめるわけだけど、そこに写っていたのは、可愛い娘を愛する母親以外の何ものでもなかった。
そもそも、なぜ初島は浮気を疑い始めたのだろうか。
妻が毎日、遠くの公園に出かけるから? そのことを友人に告げたら、小さい子連れで遠くの公園へ行くなんておかしい、とでも言われたから?
おそらく、そんなところなのだろうと思う。初島は妻とまっすぐに向き合うことなく、他人の言う半ば嫉妬めいた言葉に影響されてしまっているのだ。
だが、光司が向けたデジカメの液晶画面に写るのは、ごく普通の幸せそうで楽しそうな母と娘だ。どこの公園であっても、それは変わらない。
結局、初島の妻がなぜ都内の公園をアンモナイト状に移動していたのかは、何となくは示されるものの、「ずいぶん面倒くさいことをするのだな」という印象がぬぐえなかった。妻として「出会った頃と気持ちは変わっていない」「私とちゃんと向き合って」と言いたいのかな?とは思う。
夫婦とは、2人にしか分からないこともたくさんあるだろうから、そこはどっちでも良い。
しかし、母とよく似た女性である初島の妻をまっすぐ見つめ続けた、光司のほうには影響がもろに出た。そもそも、富永(榮倉奈々さん)によれば、カメラで写真を撮るという行為そのものが、光司の母への思慕を示しているらしい。レンズ=目とすると、母とよく似た女性の写真を撮るというのは「過去に目にしていた母の姿を、瞼を閉じて頭に焼き付ける」という行為に他ならないのではないか、と富永は指摘している。
ちなみに、その際に引き合いに出したのは以下の映画である。
初島の妻を通じて、光司自身も知らず知らずのうちに、母と向き合っていたのだ。プロの写真家として活動していた母ほどの才能が、自分にあるのか?と思い始めるのである。
初島が光司にかけた言葉で、光司の不安は少しやわらぐ。光司は初島にカメラを渡して、「奥さんを見てあげてください」と告げる。初島の抱いていた不安は、カメラを通じてまっすぐに妻を見つめることで、やわらぐ。
光司の向き合う女性2:美咲
光司の父と美咲の母は、いつ頃再婚したのだろうか。光司が小学生くらいだから、おそらくきょうだいとして過ごした月日は10年ほどだろう。
一緒に過ごすうち、いつ頃から恋愛感情が互いに生まれたのかは分からない。光司は最初からだったようにも思える。美咲はいつからだろうか。はっきりとは明かされない。
とにかく、言うなれば、長い間きちんとお互い向き合ってこなかった2人なのである。
たった一度だけ、マスターや富永からの言葉を受けて、姉との関係にケジメをつけに行く場面がある。その場面で、光司は今までにないほど暴力的かつ荒々しく、美咲にカメラを向ける。
光司の、「まっすぐ向き合うから、姉さんのありったけの気持ちを見せてよ」と言わんばかりの熱量。応える美咲。
だけど、そこにはアケミさんがマスターに感じたような、「幸せの匂い」がしなかったのだと思う。2人はまっすぐ向き合った結果、バーのマスターとアケミさんのような関係にはなれないと、悟ったのだろう。
美咲は、仕事を辞めて両親の暮らす伊豆大島でゆっくり過ごすという決断を下す。
光司の向き合う女性3:富永
富永は、光司の幼馴染で、友人ヒロ(幽霊:染谷将太さん)の元カノである。
ヒロが亡くなった悲しみから抜け出せない富永は、表面上はいつも明るく振舞っているものの、なぜかゾンビ映画を大量に観て「いつヒロに会っても大丈夫」と訳の分からない準備をする。
ヒロが元カノである自分には見えず、光司にしか見えないのも納得がいかないらしい。仕方ないじゃないか。光司は「公園」なんだから。あまりの悲しみように、そう声をかけてあげたくなる。
富永は、気楽にふらりと光司のもとにやってきては、肉まんとケーキという変な取り合わせを、一緒に「うまい!」と食べながらワインで乾杯したり、鍋に入ったおでんをコタツで一緒につついたりする。恋人とは呼べないけれど、お互い気張って会う必要のない仲だ。
淡々とした日常を、一緒に積み重ねられる相手、と言ってもいいだろう。
そして、少し変な方向にセンシティブで、体力もある富永は周りをよく見ている。光司のマザコンを指摘し、美咲の思いを見抜く。光司の背中を押す。
富永は、光司がこの『東京公園』という作品中で、唯一カメラなしで向き合う相手である。カメラを通じて光司と富永に向き合っているのは、ヒロだ。
ヒロが向けたカメラに写る富永と光司は、まるで恋人同士のようだった。少なくとも、本人たちが意識していなくても「これじゃまるで、私とあんたの愛のメモリーじゃん」状態だったのである。
恋人を失って、1人で生きていくんだ!と気を張っている富永が光司を頼ってくるのも、無理はない。このとき光司がカメラなしでも富永と向き合えたのは、初島の妻や美咲とカメラを通じて向き合ってきたからこそだろう。
2人が今後、どのような関係となっていくのかはわからない。だけどこの二人なら、バーのマスターとアケミさんのような、「公園」を作り上げていけるんじゃないか。そんな気がしてならない。
終わりに 三浦春馬という役者の凄さ
映画の公開は2011年。撮影が前年だとすると、三浦春馬さんは20歳。
20歳の若者がこの役を?
はっきり言って、凄い。いや、ちょっとびっくりするぐらい凄い。
なぜかといったら、この『東京公園』、最後までなにも起こらないのである。
ハリウッド映画だったら、豪華客船が沈んだり、急に恐竜の時代にタイムスリップしたり、殺人犯と入れ替わったり、まあ、何かが起こる。なぜか。何かが起こらないと、分かりやすく話が展開していかないからである。
突飛な設定は何もない。光司の家族はステップファミリーだし、ヒロという幽霊が出てくるけれど、それは物語を劇的に展開させるようなものではない。
淡々とした日常。公園には明るく降り注ぐ陽の光。写真を撮りに行く光司。それでいて主人公・光司の内面には確実になにかが起こっている。
そして、ここが肝心なのだけれど、光司は絶妙に鈍いのである。
富永から指摘されてやっと自覚する、初島から言われて理解する。自分の気持ちにも、他人の気持ちにも「いい具合に鈍い」のだ。鈍いのだが、とてもやさしい。
光司=「公園」なのだ。光司が気を配って面倒を見てあげるわけではないが、ただそこに存在しているだけで、周りに人が集まり、集まった人を温かく包み込んでくれる。「まあ、何とかなるだろう」と思わせてくれる。
それが、公園であり、光司なのである。なかなかに難しい役だ。
てっきり三浦春馬さんは、この映画で何か賞を取っているのかと思っていた。が、調べたら以下の記載があっただけだった。
あ、そう・・・まあ、半ば予想はしていたけれど。
光司の持つあたたかさ、鈍さ(もちろんお芝居)。分かりやすくは示せないけれど、細やかに表現した光司自身の変化。どれも、20歳そこそこの若者が簡単に成立させられるお芝居ではない。しかも、向き合う女優さん全員を輝かせながら、である。
誰が何と言おうと、『東京公園』は三浦春馬さんの出演作のなかで、私がトップクラスに好きな作品である。ほかにも魅力的な作品はたくさんあるけれど、『東京公園』の光司は、私にとって、陽だまりのようなあたたかさと癒しをくれる存在なのだ。