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うつ病になったことを親に言えていない話

こんにちは、HARUKIと申します。

タイトルにもある通り、僕はうつになったことを親に伝えることができていません。

その理由について、ここ10年間くらいを振り返りながらお伝えしていきたいと思います。

※6600字を超える超大作となってしまいました。予めご了承ください。

父親には理解されないから


うつを伝えていない理由は単純明快。

父親に話しても、全て甘えだと言われるからです。

「◯◯ができないのは、お前が甘えているからだ。」

僕が過去に犯した失敗は、全てこの一言で片付けられました。

言っておきますが、僕は常に自分に厳しくやってきたつもりです。

うつになって、これ以上無理をしたら壊れることを身を持って知ったので、父親の言うことは今後一切信用しません。

そして、僕は父親のことが大嫌いです。

父親とのバトル 〜中学編〜


元々幼い頃からイチイチ発言が恐かったのでビクビクしながら接していたような記憶はあります。

でも、本格的に嫌いになったのは中学に入った頃からです。

小学生の頃までは、親が勉強の成績についてとやかく言ってくることはなかったのですが、中学に入ってからいきなり口出しが多くなりました。

今までとは対応が180度変わったような感覚です。

定期テストは全教科80点超えで、5教科400点行けなければクズみたいな扱いをされました。

結局中学3年間で5教科400点を超えたのは2度だけ。

それ以外は毎回無駄に長い説教をされていました。時間で言うと、2時間くらいだったような気がします。

もう毎日が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

こう考えると、多分人生で初めてのうつ経験は中2くらいだったのかと思います。

なんとかやり返そうと思い、僕は中3のタイミングで父の母校よりも高い偏差値の高校に行こうと思うようになりました。

・父の高校の偏差値→58
・中3になりたての自分の偏差値→50
・志望していた高校の偏差値→62

家から近くて父の母校よりも偏差値が高い高校となると、偏差値62の高校だけが選択肢として残っていました。

圧倒的に不利な状況でしたが、結果的に偏差値は61までは到達しました。

記憶では、B判定。

これで挑戦してみた結果、見事に落ちました。

滑り止めの偏差値55の高校に行くことになり、僕は泣きました。

「このクソジジイ、いつか絶対ぶっ飛ばす。」

そう誓って、僕の中学時代は幕を閉じることとなりました。

父親とのバトル 〜高校1〜2年編〜

高校に入学したタイミングで受けた実力試験の結果は、430人中169位。

この結果を受け止めながら、4月からの3ヶ月間は受験勉強並みに勉強しまくりました。

第一回定期テスト→430人中11位

158人をごぼう抜きできたのです!!

人生初の成功体験と言っても過言ではないですね。同時に、父親に打ち勝ったという瞬間でもありました。

ここから2年間は上位をキープし、何かを言われることは無くなりました。

父親とのバトル 〜高校3年編〜

時は高校3年。
僕はある一つのミスを犯していました。

それは、高1で理系を選択していたことでした。

元々僕は、心理学の勉強がしたいと思っていたのですが、受験科目的にはどうやら文系が中心ということに高2で気づきました。

文転を考えましたが、母校のルール的には文転が禁止されていました。

理系のいらない科目の授業を受けながら、国立文系大学の勉強をするという悪循環が生まれる展開となりました。

精一杯頑張りましたが、大学受験となると相当厳しい世界でした。

成績は一気に下降し、5教科8科目で偏差値35。
最後の定期テストの結果は、理系128人中84位。

志望大学は全滅し、滑り止め大学は全てFランだったので、受験拒否して親には相談せずに浪人を決行。

案の定、父とは修羅場になり、

「1年だけだぞ💢」

と言われ、無事浪人生活へ。

父親とのバトル 〜浪人編〜

予備校で講義を受けている時間は無駄だと感じていたので、参考書で学習して個別で講師に質問していくスタイルの武田塾に入塾。

このタイミングで本格的に文転を決行。

・東北大学
・筑波大学
・宮城教育大学
・東北学院大学

の心理学に関する学部を当時は志望していました。

1年間1日8〜10時間の勉強を続けて伸ばした偏差値は16。

偏差値:35→51

東北大学、筑波大学、宮城教育大学は国立大学なので、現実的に無理でした。

せめて、東北学院大学の教養学部人間化学科なら行けるだろうと舐めていたのが運の尽きでした。

そこも落ち、なんとまたもや志望校全滅。

仙台のサンモール一番町のマックにフラリと言ってハンバーガーを注文し、人に見られない端っこのカウンター席で一人泣き崩れました。

家に帰ると再び1年前と同じ修羅場になり、

「1年だけだと言ったよな?💢」
「ダメだったら働けよ」

と言われた記憶があります。

最後の望みとして、後期で受験できる大学全てに志願書を送りました。

鬱っぽくなりながら勉強し、後期で最初に受験したのは、東北学院大学の経済学部。

正直自信は全く無かったのですが、いきなり無事合格。

残りはチンカスみたいな大学だったので、放棄。

合格した僕は、五橋キャンパスからお世話になった武田塾泉中央校までの約13キロを何故か3時間くらいかけて歩き、合格を知らせに行きました。

両親も安堵し、僕は疲れからか、その日の夜にゲロを吐きましたとさ。

2016年3月4日の出来事でした。

父親とのバトル 〜燃え尽き症候群編〜

大学に入ったは良いものの、これまで勉強しかしてこなかった僕に、春は訪れませんでした。

受験勉強に悔いがあったため、入学当初は仮面浪人をしていました。

しかし、大学も意外に忙しく、仮面浪人は6月くらいで辞めざるを得なくなりました。

次に、東北大学に編入しようかと考えて、編入試験の過去問を買いましたが、難しすぎて頭が溶けそうだったので断念。

「なんか学歴ばっか追い求めてる自分ってバカバカしいな」と思い始めたのがこの頃でした。

・嫌な実家から出るためには金が必要。
・綺麗な女を抱くためには金が必要。
・サボって生きるのには金が必要。
・結局人生金なんだよ。

20歳の大学2年になる頃には、そういうねじ曲がった考え方になっていました。金ズラー!!(銭ゲバ)

父親とのバトル 〜詐欺られる編〜


先ほどのねじ曲がった考えの結果、

「そうだ、社長になろう!」

と思い立ちました。

色々と調べているうちに、

・FX
・転売
・アフィリエイト

などの2017年当時の僕には耳馴染みの無い単語が出てきました。

大体のサイトは、自身の情報商材を売りつけるための情報ばかりで、いまいちノウハウの全体像が見えてこなかったことを今でも覚えています。

それで、僕はトレンドアフィリエイトという手法を教えている、とある元東大生だった人にコンサル費18万を支払って、ノウハウを購入しました。

昔50万で売られていたノウハウを少し古臭くなったので18万で売られたのですが、ノウハウ自体はそこそこ役に立ちました。

ただ、アフィリエイトは記事を毎日書き続けないと検索上位には上がっていきません。

当然のごとく、僕はモチベーションが続きませんでした。そもそも芸能人のトレンドネタとか一切興味ありませんでしたし。

そんなタイミングで、facebookにとある個人事業主を名乗る男から、

「お会いしてみませんか?」

という連絡がきました。

今思えば大変怪しいのですが、僕は会うことにしました。

待ち合わせ場所は、仙台の上島珈琲店。

実際会ってみると、スーツを着た普通の24歳の男という感じでした。

その男と少し話していると、とある男に話しかけられて僕はビビった。

それは、高1の時に同じクラスにいた頭の悪い野球バカの友達だったのである。。。

話によるとその友達は、月収7桁を稼いでいるらしい。

僕と同じ大学に内部推薦で努力せずに入ったクソだったのだが、既に大学は退学していて稼いでいるらしい。

こんなやつでも稼げているという事実に悔しさを覚え、僕はそいつらの話にまんまと騙されてしまった。

提案されたのはD9という高利回りの投資案件でした。
世間的には、HYIP(High Yield Investment Program)と呼ばれています。

僕はD9に20万を支払いましたが、その1ヶ月後にD9は飛びました。
色々と言いくるめられ、次にビットシャワーに10万支払ってしまいました。

更には、2daysというセミナーに2万を支払い、湯田陽太という大物詐欺師のセミナーを埼玉に見に行ったりもしました。

会場の雰囲気は異様で、借金するのは悪いことではない。
俺はクレカを何枚も切って借金まみれなんだぜウヘヘみたいな奴らばかりでした。

ちなみに、大元の湯田陽太氏は2021年に特商法違反で逮捕されましたとさ。

投資案件というのは実際は嘘で、投資したお金は運用されずにそのまま自分よりも上位の会員に流れていく、ポンジスキームと呼ばれる詐欺であることに後ほど気づきました。

ここは危ないということで、色んな人に会いながら話を聞いているうちに、個人で家庭教師をやっているという男に出会いました。

そいつは、とある健康商材を扱っているネットワークビジネスの会員でした。

割と高学歴な人間だったため、そいつの口車にも上手く乗せられ、僕はフォーエバーの会員となってしまいました。

とある健康商材のビジネス内容に関しては最初からやる気はなく、いち早く抜け出そうと考えていました。

ただ、そこで教えられた、

時間、お金、健康、精神、人間関係、美・若々しさ

の6つが満たされれば幸せになれるという考え方に、不覚にも心打たれてしまいました。

金だけじゃないんだよな。この点については素直にそう思いました。

ですが、そのためには、まずあなたが健康になることから始めましょうという考え方は、商材を売るための単なるポジショントークだなと思っていました。

結局半年ほど抜け出せなくなってしまい、30〜40万くらい溶かしました。

その後、僕を勧誘した個人家庭教師の男は自身のYouTubeチャンネルにて、2021年4月に早期胃癌になったことを告白。ざまーみやがれ。

そして、最後に僕を騙したのは、当時仙台大学に通っていた同い年の男でした。

その男とは、健康商材マルチ内の裏切り会員を通じて知り合いました。

その男は、国分町のキャッチNo.1だった実力派で、軽快な営業トークで僕に中身の無い情報商材を30万で売りつけてきました。

最後の最後にこの男に賭けてみましたが、この男のコンサルが過去一で質が悪かったです。

もうダメだなと思い、その男からはすぐに逃げました。

そいつも、違法マルチをしたとして、特商法違反で2021年10月頃に逮捕されました。

ことごとく色んなマルチや情報商材に手を出した結果、僕は160万円の借金を抱えた多重債務者となっていました。

2017年12月。ついに貯金残高161円で160万の借金を抱えて再起不能になりました。

正月明けの2018年1月。僕は任意整理をしてブラックリストの仲間入りを果たしました。20歳での出来事でした。

父親とのバトル 〜バイトガチる編〜


再起不能になった僕は、取り敢えずバイトを頑張ることにしました。

正直人生で一番辛かったのはこの頃かな。

詐欺られていた期間はほとんど大学に行けておらず、大学2年の時に取得できた単位数は前期の16単位だけ。

ギリギリ大学3年には進級できていたので、無理をしない程度に大学に再び通うことにしました。

ゴルフ練習場で受付のバイトをしていたのですが、そこにはお金持ちがよく遊びにきます。

ある日、そのゴルフ練習場の2階に突然卓球台が設置されました。

僕は元卓球部だったので、バイト終わりにスタッフさんの子供と卓球を楽しんでいました。

そこにとある金持ちが僕に、

「君、卓球うまいね。今度教えてよ!」

と言われたので、LINEを教えて週一で卓球を教えました。

そこで気に入られ、僕は借金160万の事実をその人に打ち明けました。

「じゃあうちのラブホテルでバイトしよう!」
「時給1000円で雇うからさ!」

そうなり、ゴルフ練習場をやめてラブホ清掃員になりました。

清掃員として身体を動かしたことや、月に8〜10万くらいを稼げたことで心に余裕ができ、なんだか復活できるような気がしていました。

父親とのバトル 〜留年編〜

そんな生活をしていて、大学4年に進級した頃には残り単位数44単位。

就活、月8〜10万円分のバイトをしながらこれを耐え抜くのは至難の業でした。

就活では、適当な会社に内定をもらって、授業とバイトを死ぬ気で頑張りました。

その結果、悔しくも卒業がかかった試験で2単位足りずに留年をしました。

父に直接留年をしたことを伝えるのは嫌だったため、今度は父方の祖父を家に招いて報告しました。

そのタイミングで、借金がある事実も告白しました。

父からは、

「お前、狂ってるぞ。。。」

と言われました。

「僕をここまで狂わせたのはあんたなんだけどな」

と僕は思いましたけどね。

そんなわけで、金融機関にしている借金は父の手で完済されました。

就職も、適当なところではなく真っ当な場所を選べということで、もう一度することになりました。

当時manablogのマナブさんという方に影響を受けていたので、Web制作エンジニアを目指そうと思ってWeb制作の勉強を始めました。

9月の卒業だったので、そこまでに決めないと最初に決めた適当な会社に行く羽目になる感じでした。

最終的には、9月のギリギリのタイミングでエンジニア企業に1社内定を頂くことができました。

父親とのバトル 〜うつ病社会人編〜


2021年4月。エンジニアに新卒で就職。

したのは良いが、研修がいきなりスパルタでした。。。

文系卒の自分には到底理解が追いつかない内容ばかり。

主にプログラミングを扱ってシステムを作るという研修だったのですが、自力で作成するのはほぼ不可能でした。

講師陣というのがいて質問できる状態だったのですが、数少ない講師陣の中に人間的にクソな奴がいました。T氏としましょう。

週4でオンラインだったのですが、そこで質問できるのは、T氏がほとんど。
あまりにも嫌だったので、僕は講師陣に頼ることができませんでした。

制作物が完成さえすれば良かったので、僕はMENTAというサービスでエンジニアの人にお金を支払ってZoomで作ってもらいました。

当たり前ですが、反則技です。

3ヶ月の研修で3つの制作がありましたが、その全てを2万円支払って外注しました。

MENTAで僕の制作を手伝ってくれたお兄さん、ありがとう!

研修の制作最終日にそれはバレ、研修センターの人にこっぴどく怒られました。

そもそも無茶苦茶な研修をする方が悪いのです。

周りの人たちは大学である程度プログラミングを経験していたからできていたものの、完全初学者が在宅で学ぶには難しすぎる研修でしたね。

このタイミングで既に結構重いうつ状態でした。

毎日激しい動悸に耐えながら研修センターには行ってました。

時には耐えられず、研修センター内で友達の前で泣き出すということもありました。

その元凶は全てT氏。

〜詐欺られる編〜で痛い目に遭った3人のように、T氏にも何かしらの制裁が降りかかれば良いのになと思っています。

この後の話は長くなるので、『僕がライバーになるまでの過程の話』に書いてある内容をご覧ください↓↓
https://note.com/haruki_0931/n/n539fc1254238

ここまで振り返ってみた今の率直な気持ち

「疲れるな、僕の人生って。」

もう40年くらい生きた気分ですわ。本当に。
まだ24歳なんですけどね😂

父親との冷戦は絶えず続いている状況です。
父(アメリカ) VS 僕(ロシア)

そして、実家はまるで北朝鮮です。
僕は早く脱北がしたいです。

取り敢えず今の目標は、生活保護でも良いので家から出ることですね。

一説によると、ひろゆきの教えを忠実に実行すると生活保護は取れるらしいので、まずは実行していくことですかね。

もうね、新たなことに挑戦するのに制約が多すぎるんです。

メンタルの悪化は実家暮らしと断言しても良いくらいです。正直。

取り敢えず、絶対にうつ病であることは親には言いません。

親に悩みを打ち明けること=死

を意味しています。

楽するために全力で生きる。

これが今後の人生のコンセプトです。

Pocochaというライブ配信アプリで活動しています。
良かったら遊びに来てくださいね
↓↓
https://www.pococha.com/ja-jp/app/users/92837d36-07f2-45e2-9ab1-b7fb2c164218

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