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男でも女でもない、女のはなし


女の子として産まれてきた。


小さい頃は引っ込み思案で、いつもお母さんのスカートの裾にくるまって、へばりついているような子だった。

ディズニープリンセスが大好きで、可愛いドレスやアクセサリーが大好きだった。年長さんになるまで断固としてズボンを履かないスカート派だった。

おままごとやお裁縫が大好きで、外に出て元気に走り回るよりも、家の中で絵本を読むのが好きだった。家の中ではお姫様ごっこをしていた。

クリスマスプレゼントには、ベルのドレスや、可愛いバレエのレオタードを欲しがった。

小学校に行くようになれば、好きな男の子の話でこそこそと盛り上がった。中学は可愛い制服が着たいという、受験戦争の渦中にしては純粋過ぎる理由で志望校を絞った。



20年弱わたしを間近で育ててくれた両親は、きっとただの一度も、娘が娘でいることに疑問を持ったことがないだろうと思う。



でも、いつからか、周りの同級生が夢中になって読む少女漫画や、恋愛ドラマに、同じ温度や角度でのめり込めない自分がいた。

同じものを見ているはずなのに、俳優の誰それがイケメン、と盛り上がる傍らで、女優さんしか見ていなかったことに気がついた。

ドキドキするのは、いつだってイケメン俳優が飾るananの表紙ではなくて、うっとりするほど綺麗な体をしたモデルさんの水着広告だった。



いつしか恋をして、自分は女になるのだと思っていた。

でも、大人になって、胸をかきむしりたくなるような恋をした相手は、女の子だった。


自分のことが当たり前に、よくわからなくなった。

同性と付き合いたいと思った時に、「彼氏」の代わりになる女の子はほしくない、と思った。

出会った女の子とデートに行って、リードされたり、送ってあげるよ、と世の中の彼氏のテンプレみたいな対応をされると、もやもやした。

それは私にさせて、という気持ちが勝った。

女の子といる時の、独特の空気感の中で、そうした微妙な距離感の駆け引きは、時々わたしの心を疲れさせていた。


一方で、月のうちの何日間かは、この男の人に女として求められたい、という気持ちも芽生えた。

そんな自分が気持ち悪く感じて、頭がぐちゃぐちゃになった。

けれど、一緒にご飯に行った時に女の子扱いされるのは気分が良かったし、酔った自分を抱き寄せて頭をポンポンしてくれた先輩には、ウワーいつもこんな事してるんだろうな、と若干引きつつも、正直ちょっとときめいたりもした。




女として産まれたことに、後悔は少しもない。

今のわたしはどこから見ても女の格好をしていて、女性らしいファッションやメイクや振る舞いを心の底から楽しんでいる。めいいっぱいに、女性としての今世をエンジョイしたいと思う。


ただ、もしも生まれ変わってもう一度人生を送れると言われたら、男になりたい。

自分の周りの女の子達を、恋愛対象として見ていても違和感を感じずに済む世界。周りの女の子達も、そのことに違和感を感じない世界。

身近にいる、好きになった子に恋をして、告白したり、されたりして。たまには振られたりもして。ずっと大切にしたい女の子と、結婚して、周りにもおめでとうと祝われて。

この人との子供がほしい、と思ったら、自分と、大切な人の遺伝子を紡いだ子供だって、できるかもしれない。愛した女性との間に子供ができたら、どれだけ可愛くて愛おしいだろうか。


女の身体を持って、この世の中に生まれたわたしには、逆立ちしたってそういう生き方は出来ない。私の身体から出てくれるのは卵子ばかりで、それはもう変えようがない事実でしかない。



心の底からの純粋な気持ちで、ためらいもなく、好きになった女の子に「好き」と伝えられるのは、どれだけ素晴らしい世界だろう。

好きな人にためらいなく愛を伝えるチャンスがある、そんな豊かさのある世界は、どこにいけば出会えるんだろうか。

でも、理想を語って嘆いてばかりいても、女の身体を持って生まれた以上、それは変えようがないことだから。

女の子としての自分を精一杯に受け止めて、心の片隅に男の子をほんの少しだけ育てて。

一生懸命に、人生をつむいでゆくしかないのだと思う。


































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