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ローマンの置き土産、シーボルトの贈り物【イタドリ考日記・春 】


3月27日 土曜日 5℃ 晴れのち曇り

イタドリコロニーに分け入る


朝八時半。今週末も再びサンドヘッド海岸へ。地元のおいしいパン屋さんが毎週金曜日にサンドヘッドの小さな商店「マッケンジー」にパンと焼き菓子をデリバリーするので、アップルパイがまだあることを祈りながら立ち寄ってみる。
海岸に座って、フラスクに入れてきたコーヒーといっしょに、無事手に入れることができたアップルパイで朝食。まだ肌寒い。
持ってきたテラコッタとプラスチックの植木鉢両方を海水で洗い、イタドリの茂みに、枯れ枝を搔き分けながら入る。先週立てたイタドリの軟化栽培実験の仮説を立証すべく、2つの植木鉢を設置した。2週後に様子を見に来ることにしよう。

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ローマンの置き土産、シーボルトの贈り物。


イタドリのコロニーの近くの植生を観察してみる。
アイビー、シカモア、セイヨウトネリコ、ブラックベリー、そしてグランドエルダーが密集したエリア。

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グランドエルダー ( Aegopodium podagraria ) はローマ帝国の英国統治時代(43 CE~410 CE)にヨーロッパ大陸から英国へ、ポットハーブ(スープやシチュー用のハーブ)として、そして痛風に効く薬用ハーブとして持ち込まれたといわれている。

今では帰化植物として、林の端っこのやや日陰のあたり、陽の当たる原っぱ、農地のわき、誰かの庭、私の働いている植物園の植栽の間などなど、いたるところでグランドエルダーが集まって生えているところを目にする。

多年草で、セリ科に属するグランドエルダーの白くて細いうどんのような根茎と根は、地中深くにまで張り巡る。それを手で掘って根こそぎ取り除くことは至難の業、ましてや広がってしまったエリアでそれに挑むことは至極無謀な企てと言える。
途中で切れてしまえば、その切れ端からまた新たに生えてきて、きりがないゆえに 'Devil's Guts'(悪魔の性根)という、言い得て妙なあだ名まであるのだとか。

Pernicious 致命的な
Nuisance やっかいもの
Voracious がつがつ貪欲な
Virulent 悪意に満ちた
Thug ならず者

散々な名詞、形容詞でそのふるまいを揶揄されるこのグラウンドエルダー。
味のほうは、同じセリ科の三つ葉に似ているが、香りはだいぶ控えめだ。三つ葉の代用として和食にも便利なハーブで、もちろんいろいろなバリエーションの洋食にも重宝する。
親子丼に入れたり、ベーコンとにんにくといっしょにオイルベースのパスタにするととてもおいしい。

イタドリもまた、人の手によって長距離を移動した植物だ。
医師、そして植物学者として日本に滞在していたシーボルトはたくさんの日本の植物をヨーロッパに紹介した功績者だが、イタドリのヨーロッパでの広範囲に及ぶ広がりも、それにまつわる所々のいざこざも、おおもとはシーボルトが持ち込んだイタドリから始まったのだ。
シーボルトのイタドリは1850年にイギリスの王立キュー植物園へと株分けされるのだが、イギリスの地に降りたイタドリは、簡単に増やすことができることから、商業ナーサリーにとってお金になるかっこうの植物として好まれ、園芸植物として売られるようになり、ヴィクトリア時代にはエキゾチックな植物として人気を博すことになる。
ウイリアム・モリスとともにアーツアンドクラフツ運動の推進者として活動した、画家で園芸家のガートルード・ジェイキルのデザインしたガーデンのいくつかにも、イタドリが園芸植物として使われた記録が残っている。
そしてイタドリが園芸植物としてあちこちのガーデンに植えられ浸透していくとともに、人々はだんだんとにイタドリの脅威的繁殖力に気づきはじめ、後に恐れおののくことになるのだ。
このイタドリの波乱な歴史についてはまた詳しくふれることにしよう。

疎まれ者の天ぷら


サンドヘッド海岸で、石の間から顔を出している赤い新芽を収穫。

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グランドエルダーの若葉(右)とブラックベリーの芽(左)も摘み取った。

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どれもガーデニングやエコシステムの文脈では疎まれている植物たち。
サンドヘッド海岸の早春の山菜を天ぷらで味わってみた。

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左上から時計まわりに、イタドリ、ブラックベリー、グラウンドエルダー/玉ネギ/ニンジンのかき揚げ。
ブラックベリーの新芽がナッツのような香りがあって思いのほかおいしかった。

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