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216.詩人きむさんの紡ぐ静謐な言葉たちは時を超えて響く

小学六年生の文集のことを、今でもたまに思い出します。

修学旅行、運動会、校外学習、そして卒業式など、学校行事の全てに「最後の」が付く一年間。

滋賀県栗東市立葉山小学校の出身です。

小学生の頃は、本当に自由に過ごさせていただいていました。
何をやってもそこそこできる自分がいて、仲の良い友達や幼馴染と毎日のように騒がしく、目一杯楽しく生きていたように思います。

小学生の思い出は、結構残っています。

またいくつか書いていければと思いますが、今回はその中でも小学六年生の頃の話、担任の幸田先生が好きだったという「きむ」という詩人の言葉です。

毎月、言葉を送ってくれる先生でした。

特に文集という一年間をまとめた冊子の表紙に書かれていた言葉は、今でも忘れられません。

才能なんて関係ない 天才なんていない

才能なんて関係ない
天才なんていない
何が好きで
何を信じて
何と向き合うか
心で感じて生きよう
何か一つと
向き合えたら
あなたの人生に
すごく大きなものを
手に出来るから

きむ

きむ作品

小学生ながら、心に残った詩でした。

今見ると、さらにステキな言葉に思えます。

当時の才能は、勉強ができること、足が速いこと、野球がうまいこと、ぐらいです。
それぐらいの範囲の世界しか知りませんでした。

今となっては、もはや才能なんじゃないかと思うほどとんでもない人たちとたくさん出会います。

ただ、天才は努力の天才だということもあります。

解釈は人それぞれだと思いますが。

確かに、人生を思いっきり謳歌するには、才能や天才という言葉で諦めるにはもったいなさすぎるような気はします。

心で感じて生きよう

これもまた、一つの生き方のように思います。

いつまでも動かず我慢と忍耐の人生なのか。
それとも、危険や恐怖を孕んでも飛び出す挑戦の人生なのか。

正解不正解はありませんから、結局はどちらに心が動いたかで、人は決めていくのかもしれません。

何が好きで、何を信じて、何と向き合うか。

その言葉に凝縮されているようにも思います。

好きなことはそれぞれ。
だけど、スキルやテクニック、何かのビジネスモデルよりは、目の前で挑戦している友人を信じたいなと思いました。

挑戦を通じてぶつかる壁は、自分の中のこれだけはというプライドのようなものが多く、周りの環境やよくわからない声よりは、その自分自身の変化に向き合おうと思いました。

負荷を感じることも数多くあります。
情けない自分と対峙しまくります。
どうにもならないことに押し潰されそうになることもあります。

ただ、その先は、今の延長線上よりは理想に近い状態のように思っています。

だから走れるのです。

だから生きられるのです。

まだ若いと思っていますが、今のところこの世に未練しかありません。

まだ何も成し遂げていません。
まだ何も変化しきっていません。

心で感じて生きること。
自分自身をぶち壊して変えていくことに向き合うこと。
そして、人を信じること。

日々実践し続けます。

17年も前の言葉に、今も思いを馳せられる。

これからも、大切な言葉と共に。

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