勝手に憂えて泣いている
①某漁港へ、遠洋マグロ漁船を見にいく
7月某日、水揚げ待ちの遠洋マグロ漁船が停泊しているというので、わたしは同僚と二人、見学にやってきた。水揚げを待つ数日、船主さんがちょうど時間があるので、色々と話を聞かせてくれるとのことだった。一応漁業業界で働いているので、いい機会だと思い、金曜夜、東京発の新幹線に乗り込んだ。
見学させてもらうマグロ漁船は、初航海を終えたばかりの新船だ。初航海を終えたといっても、日本を一度出港すると1年は帰ってこないので、約1年前に竣工したことになる。アイルランド沖やハワイ沖でマグロを漁獲する。その間の物資は洋上補給船により供給されることも多く、船員さんが陸に上がるのは半年以上ぶりとのことだ。
タラップを登り、船に入る。25名程度の乗組員がここで生活し、操業に臨む。この船は延縄(はえなわ)船といい、延縄漁とは、1本の幹縄から分岐した枝縄の先に餌をつけ、幹縄を海に流して(垂らして)マグロを誘い、かかったマグロを銛などで引き揚げる漁法だ。
漁獲されたマグロは、船に装備しているマイナス60度の冷凍庫で急速に冷凍され、水揚げの時を待つ。
漁は3〜4日に一度、縄を海へ流すのに5〜6時間、流した縄を大型のリールで巻き取り、かかったマグロを引き揚げるのにかかる時間はなんと10時間だ。海から引き上げた幹縄から枝縄を外す作業、使用した縄を巻いてしまう作業、そしてマグロを引き揚げる作業など、持ち場をローテーションするものの、その10時間は、基本的には甲板から離れられないという。
過酷な仕事だ。マグロが私たちの口に入るまでに、こういう大変な過程があることを、恥ずかしながら実感としてよく分かっていなかった。
危険な海、揺れる船での作業、事故で怪我をする人や亡くなる人もいるという。25名の乗組員のうち司令塔6名程度が日本人で、あとはインドネシア人だ。指示は日本語で、インドネシア人のリーダーだけが日本語を理解でき、その他のインドネシア人に内容を伝える。
偉くなれば個室が与えられるが、3人分の寝床がひしめく相部屋は、わたしが住む6畳の部屋よりも狭い。
船主さんは、船の中を見せながら、丁寧に説明してくれる。ここで断っておくが、船主とは、船の持ち主であり、必ずしも船員ではない。船員を雇い、マグロを漁獲しているいわばオーナーだ。
船のことやマグロ漁のことを話してくれるその横顔は、誇らしげだった。ここまで会社を守ってくるのに、たくさんの苦労があったのだろう。漁獲規制が世界的に厳しくなり、全盛期より遥かに業界が縮小した中でも新船を作り、先代からの事業を守ってきた船主さんに、尊敬の念を覚えると同時に、わたしの心中は複雑だった。
いくらたくさんお金がもらえても、こんなに大変な仕事があっていいの?
身の危険や命には変えられないんじゃないの?
②この人たちのおかげで、当たり前に育ってきた
この船主とは、わたしの父だ。かつてマグロ漁師だった祖父が会社を作り、長男だった父が会社を継いだ。父が会社を継いだ頃には、乗組員を雇う現在の形態であったため、父は船乗りだったわけではない。今は地元の同業者と合併して株式会社となったが、わたしが地元を出る前、父は経営者だった。
わたしの地元にはマグロ漁業をやっている家はいくつかあって、特別お金持ちというわけではなかったけれど、それなりに恵まれていたと思う。
父が漁船を動かして、乗組員さんたちがマグロを獲ってくれて、そういうおかげで、当たり前に育ってきた。
小さい頃、地元の港に入る度に何も分からず探検していた船の中を、大人になって漁業業界に入った今、改めて見て回ると、その仕事の大変さに衝撃を受けた。
感謝しようとかそんなんじゃない。「してもらってきた」というより「させてきた」のでないか、という疑問が浮かんで、もやもやしたまま、漁港を後にした。
わたしも漁業業界で働いていると言っても基本的にはデスクワークで、出張はあるけど、残業もないし、休みもカレンダー通りだし、怪我をすることや命を落とすことなんてそうそうない。同じ業界なのに、これは格差なのではないか。現場に近いほど割りを食ってる人がいるんじゃないか。
父は悪くない。船員さんも悪くない。みんな一生懸命やってきたんだ。だけど、これでいいの?
③勝手に憂えて泣いている
「それはエゴなんじゃないの。現場の仕事より、自分の仕事の方がいいってどこか思ってるんじゃないの。」
久々に会ったその同僚と話して、正直面食らった。
「船員さんたちはそんなこと思ってないと思うよ。魚が獲れた時の達成感とかってあると思うし、誇りを持ってやってるんじゃないかな。船員さんたち、いい顔してたと思うんだけどなあ」
好きでやっている、か。天秤にかけているのは、お金じゃないのか。
確かに、父の会社にも、新たにマグロ漁船に乗りたいという高卒の子が入った。父は、鹿児島から北陸にある水産高校まで面接に行ったらしい。
「たぶん漁師でもたくさんある中からマグロ漁船を選んだんだし、お父さんの会社を、自分で選んでるんだよ」
そうか。ちゃんと好きでやっているのか。インドネシアの船員さんたちも、きっとそうであってほしい。
わたしはプライベートと仕事の狭間がないくらい働くのなんて絶対嫌なんだけど、漁業に限らず、そうじゃない人もいるもんなあ。あくまで自分が好きでそこまで働いている人が。
人の仕事を決めつけて、勝手にかわいそうだと心配して、失礼なことだったのかもしれない。
(でもやっぱり何ヶ月も家族に会えないのは寂しいんじゃないかって思うし、時折国に帰ってゆっくり休んでほしいって思う)
こういうとき、自分が悲観的すぎてほとほと困る。杞憂だ。勝手に憂えて泣いている。
しかし好きだという気持ちにつけ込んで危ない仕事があっていいかというとそうではなくて、いくら誇りを持ってやっている仕事でも、機械に手伝ってもらえるところは積極的にそうしていけばいいし、そういうことを近くにいすぎて気づかない人たちの代わりに、私たちのようなほどほどの距離にいる人間が教えてあげられればいい(機械は人の仕事を奪うか?ということはまた考えねばならない…)。
ということでいったん自分の中で折り合いがついた。
ちょっと悲観が過ぎるけど、この違和感を覚えておきたいし、自分が感じたことを、ひとつひとつ消化していきたい。
自分だって一生懸命自分のできる仕事をやって、それで廻り回って日本の漁業のためになればいいと思ってるけど、まだ自信がないから、漁業の最前線で頑張っている人たちと自分を比べて、なんだかズルしてるような気持ちになってしまう。
廻り回って自分への自信のなさに繋がることがよくある。わたしも自分や誰かを、信じ切れたらいいのに。
父はたぶん、この仕事を誇りに思っているし、乗組員さんや社員さんと誠実に接している。そんな父のことや、そんな漁業が根差している地元のことを、わたしも誇りに思ってきた。
やっぱり育ててもらった恩があるし、働かせてもらっている恩があるので、この業界で役に立つ人になりたい。
先日ちょうどSHIROBAKOを見終えたが、あれはほんとにいいアニメ。いい仕事ってなんだろう、働く意味ってなんだろう。
自分なりの軸を見つけられるかなー。てげてげ見つけていけたらな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?