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着の身気ままにニュージーランド vol.1

2024年2月、28歳留学生活が始まりました。ニュージーランドで出会ったフレンドリーで個性豊かな人々と、さわやかな海と豊かな緑に囲まれる毎日。その断片をエッセイとしてお届けします。

夏空のオークランド

ニュージーランドに入国してから1週間がたった。この数日、いろんな方から「ちゃんと食べてる?」「眠れてる?」とありがたく心配の連絡をいただいた。ありがたいことに、ごはんはモリモリ食べているし、毎日昼寝をしているにもかかわらず、夜もちゃんと寝ている(寝すぎかも)。

1週間前、夏色の空が広がるオークランド空港に到着した私は、ゲートを出てから送迎ドライバーの車に乗り、大体40分後にはホストファミリーの家に着いた。玄関の外から窓越しにホストマザーと目が合い、ドアが開いた。ハイ、といってまぶしいくらいの笑顔で出迎えてくれた。この方がホストマザー、シェリーンさんだ。

荷物を置いてすぐに、家の中を案内してもらう。玄関入ってすぐ左がL字型のキッチン。サイズはそう大きくなく、日本の各家庭の台所と同じくらい。食洗器とオーブンがビルトインなのが、若干異なるところ。

彼女は「キッチンと冷蔵庫にあるものは何でも、食べていいわよ。冷蔵庫にはパン、ミルク、フルーツが大体いつもあるし、コーヒーや紅茶もある。自由に取って」と言ってくれた。

空間は玄関から奥に細長く、キッチンからダイニング、リビングと続く。リビングの窓の外にはウッドデッキがある。室内の右側に階段があり、のぼってすぐが私の部屋。黒いカーペットに真っ白の壁、深い青色のベッド、大きな東向きの窓。
部屋の隣はバスルーム。といってもバスタブのないシャワールームとトイレ、洗面台が1つの空間にある。バスルームのそのまた隣は、シェリーンの友人、ミシェルさんの部屋だという。この時は留守で、ミシェルに会ったのはその2日後だった。

「もし疲れていなかったら、近くのスーパーまで案内するわ。歩いて10分くらいのところにあるから」とシェリーン。「行きたい、けど、先にシャワー浴びてもいい?」と聞くと、「もちろん。ロングフライトで疲れているでしょうから、ちょっと休んでからでいいわ」と。お言葉に甘え、シャワーを浴びて歯を磨き、涼しい服に着替えてからベッドに寝転がる。窓の外に広がる青空は、夏の色をしているし、窓から入ってきた風は私の頬をやさしく包んだ。

目をつむって、ここに着くまでの行程を振り返る。それはあまりにも長く、同時にスリリングで刺激的な移動だった。

出国ばたばた劇場

オークランドに着く前日、朝8時に成田空港に到着した。多くの人が行き交うロビーで私は、持っていくはずのスーツケースを人目もはばからず開けっぴろげ、荷物を出しては詰めていた。航空会社の重量規定は20㎏だった。出発前、事前に自宅で体重計ではかったし大丈夫、むしろ少ないくらいだろうと思って、試しにロビーの秤に載せたら、表示された数字は「24.5㎏」だった。

早めに空港に着いておいてよかった。大慌てで荷物を詰め替える。でも、ちまちまものを出してたんじゃ5㎏近く減らすのに時間が足りない。それで、このスーツケースの中に登山用のリュックを入れていたのを思い出して、リュックを手荷物扱いにすることにした。できる限り多くのものをこの中に入れて、泣く泣く、持ってきたレトルト白米を手放すことにし(見送りに来てくれた友人に預けた)、何とか20㎏に収めることができた。2つのスーツケースを持ってきていたが、1つは硬質のトランクで、もう1つはジッパータイプのもの。それはもうたくさんのものを詰めたものだから、ジッパーが破裂しないかとても心配だった。

そんなことをしていたものだから、航空会社(今回使ったのは中国東方航空)のチェックインロビーで、一人だけ汗びっしょりだった。あたりを見渡すと涼しい顔してブランド物のバッグを持っている中国人ばかり。対照的に私は、膨れ上がったスーツケース2つに、加えて、なぜか一人でリュック2個(元々持っていたものに、登山リュックが追加)とショルダーバッグを持ち、分厚いダウンの中にフリースを着込み、おまけにかさばるブランケットをリュックの紐に巻き付けていた。

チェックイン後、私が「きんちゃん」と呼ぶ友人(沖縄系神奈川人のアフロ)と落ち合った。ありがたいことに、見送りに来てくれたのだ。だが、チェックインしたとはいえ、これで一安心ではない。重大タスク2つーーー、水道代の支払いと、携帯キャリアの切り替えが残っていた。この時、9時20分、飛行機の搭乗開始は10時30分だから、9時50分には出国ゲートをくぐらなければならない。

せっかく来てくれたきんちゃんに荷物を預けロビーで待っていてもらい、まず私は水道代の支払いのためにセブンイレブンまで走った。土産物屋、和食料理店など、日本を出る人が日本時間を堪能するような店が並ぶ中、私は肩で息をしながらセブンイレブンを探した。背中を汗が伝うのがわかる。フロアの奥のほうにセブンイレブンを見つけ、きんちゃんに心ばかりの詫びとしてお菓子をいくつか買い、水道代の支払いを無事に済ませた。頭のてっぺんからつま先までびっちょりだ。

ロビーに戻ってきんちゃんに再会したとき、9時35分。きんちゃんと10分ばかり話し(まじごめん)、私は出国ゲートをくぐった。

友人きんちゃんは、実は旅マスターで、カーナビを全く見ずに東京から山形まで一人で運転してしまうような旅男だ。大学からの友人で、学部も全く違うのに彼の陽気なキャラクターゆえに仲良くなった。空港や搭乗に関しても詳しいので、きんちゃんに来てもらって安心したし、無事に水道代も払えた、まじありがとう。彼女と仲良くね!

きんちゃんに手を振りゲートをくぐった後、さっそく手荷物検査に入る。リュック2個、ショルダーバッグ、ダウンジャケット、フリースをすべてスキャンに通した。一人で4つもトレーを使ったのは初めてだった。
スキャン後、さっそく呼び止められて「PC入っているでしょ」と男の人に言われた。そういえば入れていた。もう、2つあるうちの、重たいリュックの、その一番奥に入れていたから、そんなのすっかり忘れていた。いろんなものをいったん出してから取り出してPCだけ渡し、もう一度スキャンに通され、返された。なんとか無事に手荷物検査を通過した。

そのあとは出国審査。大学の卒業旅行でニューヨークに行ったときは、職員が旅行者一人ひとりのパスポートを顔をみて、スタンプを押していたのでえらい時間がかかっていたが、今はもうデジタル時代。パスポートとチケットを機械にさっと読ませ、カメラに顔を向けて顔認証させればすぐに通過できた。顔パスってやつ(たぶん違う)。
でも出国スタンプが欲しかったので、このあと職員が座っているところに行って「スタンプ押してください」といったらさっと押してくれた。ちょっとうれしかった。

そのあとはもう、免税店とかが並んでいる中を進み、携帯キャリアを切り替えをオンラインで済ませた。なんとか間に合った。いろんなことがギリギリすぎる、けどたぶん、この癖は一生治らない。

動く歩道に乗り、長い廊下を進む。中国語が行き交う搭乗口の前についた。売店があったので、そういえば朝ごはんを食べるのを忘れていたのを思い出し、おにぎりと水、それからまだ見ぬホストファミリーへのお土産に「抹茶餅」的なお菓子を買いリュックに詰めて、搭乗を待つ人々の列に並んだ。すでにくたくたに疲れていた。

飛行機に乗り、窓際の席に着く。荷物を上の収納に入れるとき、リュックから入っていた本やらいろんなものが落ちてきてしまいちょっと大変だった。周りにいた乗客が拾ってくれて、ありがたかった。こういう時は「謝謝」というのだろうか、と思いながらも、とっさに「Sorry」といって場を乗り切った。

まずは上海までいって、そこから乗り継ぎを経てニュージーランドに向かう。実は何時間のるのか、正直よくわかってない。わかっているのは、上海にいって数時間待つことと、そのあと10時間くらい飛行機にのって現地時間の午前中にニュージーランドに着くこと、くらい。すべてが、ざっくりしすぎている。

もう、こんなに適当でよく海外に行けているなと思った。本当に身の周りのたくさんの人が、たくさん気にかけてくれて、いろんな手助けをしてくれたから、私は今飛行機に乗れているんだと実感した。引っ越しも一人ではまったく間に合わなかったし、持っていく荷物や備えも、いろんな方がたくさん手配してくれて、私はただ、荷物を詰めただけに近いようなもの。いつも本当たくさんお世話になっている方々が、たくさん梯子をかけてくれた。みなさん本当にありがとう。

そのころ飛行機は地上を離れ、西の方角へ飛んだ。空は快晴。日差しが翼を照り付け、反射した光が視界にまぶしく入ってくる。眼下は東京湾。左の方向に、地元横須賀がミニチュア模型のように見えた。次故郷に帰るときは、どんな街になっているだろうか。駅前のプライムはきっとなくなっていて、次なる施設ができているだろうか。そして搭乗前、1月に退職した職場の皆さんから連絡があり「地上から手を振るね」と言ってくださっていた。心の中で東京へと手を振り返した。

機体は伊豆半島を越え、名古屋の上空を通過し、四国と思われる大きな島の上を通った。それから(あの地形からおそらく)国東半島が見え、九州のちいさな島々を通り過ぎ、東シナ海へと渡った。しばらくして、海の色が変わったのがわかった。薄い赤潮のような海の色。実際に赤潮なのか、もともとの海の色なのかはわからない。そして、養殖の生け簀のようなものも見え始めた。港が近い。

アジアの風吹く上海

成田を離れて4時間ほど、飛行機は上海浦東(プドン)空港に到着した。ここではスーツケースをピックアップする必要はないので、手荷物(といってもリュック2個をはじめとしたいろいろ)を身にまとい、国際線乗り継ぎのゲートへと向かう。ロビーのあらゆるところに監視カメラがあるのがわかる。どこまで見られているんだろうか。

ゲートへ向かう途中、私の前を歩いていた白人のカップルが職員に呼び止められ、ここで入国登録をしなさいと言われていた。「私たちはする必要がないわ、乗り換えだもの」白人の女の人がそう言って、職員が「してください」と返す。「どうしてする必要があるの、空港から出ないのに」「でもしてください」と何度か言葉を交わして、結局登録をせずにゲートへ向かっていった。私はたぶん中国人だと思われたのか、何も言われなかったのでさっきのカップルと同じようにゲートに向かった。

手荷物検査をくぐる。本日2回目の検査だ。ここではちゃんとPCを出してスキャンに通した、が、めちゃめちゃ引っかかった。モバイルバッテリー、ボールペン、コンパクトはさみが中に入っているはずだから出しなさい、と。

確かにモバイルバッテリーが入っているのをすっかり忘れていたし、はさみは機内に持ち込み禁止だったはず。これは完全に私が悪いのだけど、なぜ成田では止められなかったのだろうか。中国の検査、なかなかに厳しい。

はさみは捨てられてしまうかと思ったけど、若い女性の職員に「大丈夫、カバンにしまって」と言われた。それから、リュックのポッケにどこかで引いた思い出のおみくじが入っていたらしく、荷物を取り出すときにぽろっと落ちてしまっていた。それを見た職員がさっと拾って、大切そうにそれを手に取り「これ、あなたのじゃない?」と渡してくれた。ぱっと見ただの紙切れなのに、隣の国の文化が「わかる」からそう扱ってくれたのだと思うと、ちょっと心が温かくなった。

ここではあらゆる職員が容赦なく中国語で話しかけてくるので、「Sorry?」といって自分が中国語話者ではないことを何度もアピールした。同じ東アジア人の国籍や使用言語は見た目では判断できないだろうし、自分が逆の立場でも同じシチュエーションになるだろうから、仕方がない。私が知っている中国語は、『らんま1/2』に登場するシャンプーのセリフくらいだ。 

搭乗ゲートへと入った。での出発まで3時間半あるのでカフェみたいなところに行き、昼ご飯に「牛肉ときのこのラーメン」と「金柑のフレッシュジュース」を頼んだ。本当は小籠包を食べたかったけど、「売り切れ」とやる気のなさそうな店員に言われた。ここのカフェの店員は基本的にやる気がなさそうだった。わかるよ、労働だもんね。

しばらく待って出てきたそれらは、私の好きな味だった。ラーメンは八角のきいたスープと、数種類のキノコが香っておいしかった。金柑ジュースは甘すぎず、ちょっとだけ独特の渋みがあって、ちょっと思い出の味。

腹を満たしてしまって、ほかにやることがない。暇だ。仕方ないから、搭乗ゲートのフロアをひたすらに散歩する。カートに荷物と上着を載せて、ひたすらに見て回る。フロアのいたることに、ウォーターサーバーがある。お湯と、常温の水の2種類。多くの人がコンビニでカップ麺を買い、ここでお湯を注いでいた。私もありがたく、持ってきた水筒に水を汲んだ。隣にいた中国人ぽい女性が、お湯を出すときはこうするのよ、とチャイルドロック解除の方法を教えてくれた。ありがとう。

土産物屋、ベトナム料理屋、コーヒーショップなどもある中、バラエティ豊かな自販機もある。水、中国茶、コーヒーなどのほか、パン、菓子、台湾カステラなども売っていた。自販機本体の右あたりに、小さな画面とお金の投入口、カード決済の読み取り機がついていた。全部、中国語表記だった。
近くにいた欧米系の見た目の老夫婦が、自販機の使い方教えてと私に言ってきた。私中国人じゃないからわからないよ、と言っても聞いてもらえない。東欧系っぽい言語を夫婦が交わし、買いたいものをボタンで押した。それから、どうやって会計画面に行くのかしらというから、たぶんそれっぽい漢字が表示されているボタンを押したら、あっていた。
私は中国語がわからない、とはいえ、簡体字も漢字の一種だから多くの日本人と同じようになんとなくはわかる。けれど、さっきの老夫婦にはきっと見当もつかないだろう。私がアルファベットと漢字やカタカナひらがな以外の文字を理解できないのと同じように、全く異なる文化の文字は、それを理解できない人々にとって何も意味をなさない文字列にしか、なることができない。

16:30に搭乗開始とのことだったので、16:00頃ぼーっとしてベンチに座っていたら「中国東方航空〇〇〇便をご利用の皆様、当機は気流の影響で出発に遅れが生じております。新しい出発の時刻がわかりましたらお知らせします。それまで搭乗口にてお待ちください」とアナウンスが入った。飛行機の遅延に巻き込まれるのは初めてだった。

近くのベンチからかすかなため息が聞こえる。低くなった西日が、搭乗ゲートのベンチを照らす。搭乗ゲートには終始アンニュイな雰囲気が漂っていた。斜めに影を落とす太陽の光が、お茶の入ったペットボトルを照らし、ただ時間だけがゆるやかに過ぎた。眠そうに仕事をする店員と、実際に寝ているベンチの人々、広大な敷地に延々と続く滑走路。午後が、溶けていく。

トイレにいったり、自販機で台湾カステラを買って食べたりしてやりすごしていたら、ふと見ると、西の空が真っ赤に染まっていた。窓の向こう、滑走路を挟んで向こう側の水平線に、まるで線香花火みたいな夕日がゆらゆらと揺れながらぽってりと溶けていく。あたりを熱く染めながら、ゆっくりと、でも着実に。そして、燃える球の最後の一片が、地面の向こうに吸い込まれるように消えた。空の低い位置で赤く染まる太陽は、美しいなと思った。

「お待たせいたしました。中国東方航空オークランド行き、間もなく搭乗を開始します。乗客の皆様、搭乗ゲートへお並びください」
19:00頃、ようやくアナウンスが流れ、2時間遅れでせわしなく飛行機へ乗り込んだ。機体は、夜を切り裂くように南東の方角へと飛び立った。

つづく

~写真ギャラリー~

上海にて、西に沈む夕日
上海浦東空港
オークランド到着後、散歩途中
散歩②

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