月見パイ
知らなかったわけじゃない。
駅を出て、階段を下る。
とにかく、あの階段を早く駆け下りるのが習慣だった。
急いでるときはもちろん、さして急いでないときも。
のんびりマイペースな私は、そんなところばかり生き急いでいた。
予備校までの道のりのなかに、そのチェーン店はあった。
店の前に掲げた大きなフライヤーは、その時期限定の商品を宣伝している。
「月見」
紺地に映える鮮やかな黄色を横目で盗み見るようにして、
けれど歩調は緩めず
店の前を通り過ぎた。
目的地は別にある。
遊びに来ているわけではないのだ。
そんな思いがあっただろうか。
その時はたいして興味も引かれなかった。
予備校の空きコマだったか、授業終わりだったか定かではないが、
私にとっての「月見」を特別にしたできごとがあった。
自習室ではない勉強場所を探して、友人と誘い合ってそのマクドナルドに向かったのだ。
今と同じくらいの季節。
どことなく秋めく、もの悲しさを忍ばせた風のなかだったろうか。
どこに行っても都会なものばかりだから、あの頃は毎日が新鮮だった。
気がする。
油そばを食べたのも初めて。辛いラーメンの専門店に行ったのも初めて。
あの一年のおかげで、1人でラーメン屋に入れる耐性がついてしまった。
友達と夜10時のサイゼリヤ。
そういえば、男女グループで出かけたのも初めてかも知れない。
実家から離れて寝泊まりしたのも初めて。
友達のうちに何泊もしたのも初めてだった。
昼下がりの都会を闊歩していたあの頃を、今は懐かしく思い出す。
あの頃、私は与えられた自由を味わっていた。
青春、だったのかもしれない。
だって、青春は1人では作れないような気がする。
あの頃、私は人といるのが話すのが、とても楽しかったのだ。
マックフルーリーも、月見パイも、ひとりだったらきっと食べていなかった。
多分、今まで1回も食べずにここまで来ただろう。
だって別にあんこは好きでもないし。
あのとき友人とマクドナルドに行ったから。
都会の生活に憧れを抱いていたから。
私が注文を決められない優柔不断な性格だから。
他の人が頼む物が、なんだか良さそうに見えてしまう性格だから。
今でも月見パイが、どこかで私のなかの特別になった。
流されるのも悪くないよ。
流されて初めて知ることが、素敵なものの場合もあるから。
あのパイがやたらおいしかったきがするのは、なぜだろう。
思い出には、過去には重さがないからかな。
だけどきっと、あの思い出には味がついた。
あの青春を、いつか思い出さなくなったとしても、
あのとき食べたあんこの甘さだけは、ずっと覚えているのかも知れない。
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