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才能の在り処

「才能」
物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。


私は、みんな1つ以上何かの才能を持っていると思う。
だから、「私には何の才能もないから…。」「これといった取り柄もないし…。」と言っている人を少し不思議に思っていた。

最近読んだ本に、私の言いたいことが書かれていて驚いた。

「あたしたちが何の才能を持ってるかなんて、やってみるまでわからないじゃん。たとえば、あたしに数学の才能があるとしても、それ以上にカンフーの才能があるかもしれない。瞭司はやったことがないだけで、もしかしたらサーフィンの天才かもしれない」

岩井圭也「永遠についての証明」角川文庫(2022年)

これは、みんなが才能を持っている前提で書かれている。しかも1つ以上。
「○○の天才」「○○の才能がある」の○○は、たくさん種類があって大小さまざまなのだと思う。

友人の才能

例えば、友人のあんずちゃん(仮)は、その人が何を言われたら嬉しいのか、何を言われたら嫌なのかを感覚的に理解できる力を持っている。
彼女が末っ子だからというのもあるかもしれないが、気を遣うそぶりを全く見せず、無意識でやっている。
私は、これは立派な才能だと思う。

また、彼女には抜群の運動センスがある。走るのも球技も、特に努力しなくてもできてしまう。
でも、彼女は運動が嫌いなのだ。
20分歩くのも嫌で、運動はなるべくしたくない。そんな人だ。

運動が好きでもセンスが無い私は、やはりそれを、もったいないと思ってしまう。
でも、才能があることを好きになるかは本人次第だし、その才能を伸ばすかも本人の自由である。

気付いた才能

かくいう私にも、才能がある。
「努力の才能」だ。
これは周りの人に言われて気付いたもので、私にとっては当たり前だった。

言われてみれば、塾では「頑張り屋さんで賞」をもらったし、卒業アルバムに書いてもらったどの先生からのメッセージにも、「努力」の文字が入っている。両親や友人からも努力の面で褒められることが多い。

努力が苦ではなく、むしろ楽しい。
人よりもちょっと努力できる、頑張り続けることができる。
これも立派な才能なのだと気付いた。

才能の在り処

大学生になってたくさんの人と関わるようになって、より一層思う。
やっぱり、みんな1つ以上何か才能を持っていて、
その才能に気付くか気付かないか。
それを好きになるかならないか。
それを伸ばすか伸ばさないか。
の違いだと思う。

好きなことに才能があったらラッキーだけど、そううまくはいかない。
いろんなことにチャレンジして才能を見つけるもよし、見つけた1つの才能を磨いていくもよし、あえて才能もセンスも無いようなことに挑戦するもよし。

才能って感覚に近いもので、それが才能だと自分では気付いていない人も多い。
私にも、まだ気付いてない才能があるのかも!と思うと、わくわくする。
そう思うと、やったことないことでも挑戦しやすくなる。

どこに潜んでいるか分からない。偶然出会えるかもしれないし、一生出会えないままかもしれない。
才能っておもしろい。人生のスパイスみたい。


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