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情報で、命さえも操れる時代へ

「風の時代」と言われるものに突入してから、早10ヶ月が経ちました。

お金や物質に重きが置かれていた「地の時代」から、情報やコミュニケーションといった、目に見えないものに価値が移り変わると言われている時代。

なるほどたしかに。。。この急激な時代の変化は、「風の時代」なんてワードを知らない人にとっても、誰の目にも明らかで。

まるでこの時を狙って発生したかのようなパンデミックは、もう気づいている人にとっては、“パンデミック”というよりは、“インフォデミック”の要素が強く。

発信者の意図のみがクローズアップされた画策された情報と、体よく捏造された数字ばかりが飛び交って、それは地の時代にも、当然のようにずっと行われてきたことではあったけれど、従来その目的はほぼが「お金」であったと思います。要は、「ビジネス」のためのそれだったということ。

それが今は確実に、フェーズが変わりつつあり。

時代の移り変わりを象徴するかのように、それを画策する目的が、「お金」からもっと上位の、あるいは不可視な、別なものに切り替わっている。それは、お金よりももっとずっと、私たちにとって大切なものであることは間違いなく。

更に闇が深いのは、大多数が何の疑いもなく、大切なそれをいとも簡単に、差し出してしまうということで。

ワクチンの安全性よりも先に、実証されてしまったのです。

情報のみで、命すらも、操れてしまうということが。

そして意外と、それは簡単だったということも。

盲目を選んだ民たちは、与える情報次第で、何でも喜んで差し出すだろう。

そんな実験結果に、ほくそ笑んでいる誰かがいるのだろうか。それとも、そんな人はいないだろうか。

もしかしたらこれは、集団の無知と無意識の複雑な相互作用が創り出した、巨大な影なのかもしれないということも、想像できます。

少なくとも多くの人は、日々与えられる膨大な情報をうまく処理できず、事実を観て現実を推し量ろうと努力するよりも先に、なんとなくのイメージに安易に扇動され、インスタントなものばかりを選択してしまう。

逆に言えば、情報を制する者が、これからの時代を牛耳っていくことはもう明白で。

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大切なことは、情報の量とか質とか、そんな表面的な話ではなく、ものを言うのは、自身に内蔵する処理能力と、本質を見抜く直観力であったり、洞察力だと理解すること。

それは、どれだけの知識を持っているか ということよりも、その人の生き様と経験値に比例するものだと、私は感じています。

「生き様」とは、日々、何を大切にしながら生きているか ということ。いつも、何を基準に選択しているのか、ものごとの本質を、見失っていないかどうか、ということ。

「経験値」とは、何を成し遂げたとか社会的にどんなキャリアがあるとか、そういう話ではなく。仕事であっても日常生活であっても、自身の日々の経験の中から、どれだけの学びや気づきを拾い上げ、それを消化できているかということ。

そしてもっと言うと、思考を網の目状に働かせられることも必要ですが、それはまた、別の投稿で書くとします。

自身が本来内蔵しているはずの羅針盤を、目醒めさせながら生きる。それは、「本能」と言える部分なのかもしれません。


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