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不登校と約束ごと


こんにちは!りょーさんです。
僕が住んでいる札幌は昨日雪が降りました。
北海道は、秋が終わり、冬に突入しつつあります。
北海道の冬は厳しい、僕は秋のほうが好きだから、ちょっと寂しい気持ちもありつつ、いずれやってくる春を楽しみに、冬も楽しもう!って思っています。
みなさま、寒くなってきて、体調も気持ちも崩れやすい時期ですが、まずは「自分を大事に」お過ごしください。

さて、今回は、「不登校と約束ごと」と題して、大人が約束を守ろう!ってお話をしたいと思います。


●「ケース会議」=「大人同士の約束ごと」だとして

前回、発達凸凹の子供たちや不登校の子どもたちを大人たちが支えるためのケース会議というものについてご紹介しました。
大人同士が子供を支えるチームとなるために丁寧に合意形成(=約束ごと)をすることは大事です。
そこで大事なのは、トップダウン的な子供支援ではなく、「子供を中心に置く」ということが第一となります。
これ忘れがちです。
支える大人は「やってあげる」って気持ちになりがち、そこから子供との合意なしに何かを善意で押し付けるってことのリスクにも慎重にいるべきです。
(こういう上から目線支援を「パターナリズム(温情主義)」と言います。この国では、このパターナリズムが蔓延していて、それが教育や医療・福祉現場の病になっていると思うのですが、それの話はまたいずれ)

今回は、大人同士の約束ごと、ではなく、不登校の子供との約束ごと、について書いてみたいと思います。


●「子供との約束」=「子供に守らせる約束」????


「子供との約束ごと」と聞くと、「子供に守らせる約束」を想定するかもしれません。
そうではないのです。
「子供も大人も守るべき約束」を丁寧に合意していくことであり、それを大人が積極的に守る」ってことです。

不登校の支援だけではないのですが、学校に行っていなくて気持ちがしんどくなっている子供たちに対して、関係性、生活や活動、学び等において約束をしてくことは大事です。
それは、大人の願望を押し付けるってことではなく、子供が見通しを持って安心して日々を過ごせるために必要なことなのです。

よくある事例を見てみます。


●大人が約束を破るよくある事例

以下、とてもよくある事例です。

学校に行っていない子供が、ある日「給食だけ学校に行ってみよう」ってなることがあります。
担任の先生も「給食だけでもおいでよ!」って言ってくれて。
親も先生も、長らくの不登校、家だけの生活からの打開に向けての期待が高まります。

この言葉を発するだけで、子供は勇気を振り絞っているわけです。
しばらく会っていないクラスメイト、しばらく会っていない担任、しばらく経験していない人の集団、しばらく経験していないクラスや学校の雰囲気、、、わからないことだらけ。
何が起こるかわからない中に参加することの不安。多くの方々が経験したことがあるはずです。
子供は、そこにさまざまな自分なりの見通しを立てたり、不安を振り解いて、あるいは背負って、「行ってみようかな」と言うわけです。
そうであれば、できるだけいつも通り、できるだけ前と同じように振る舞いたいし、みんなにもそうしてほしい。

そして、もっと大きな勇気を振り絞ってクラス内に入るのです

みんなもいつも通り受け入れる。楽しそうに給食を食べる。
大人(担任)は思う。

「大丈夫そう!これはチャンス!!」

先生はここで提案します。「せっかく給食食べれたから5時間目出てみない?君の好きな体育だから」みたいな感じで。
その提案に、子供はうなずきます。

こうして合意形成がなされ、子供は5時間目まで授業に参加し、しかもいつも通り楽しそうで、先生もクラスメイトも安堵します。

「明日もおいで!」
この提案に、子供はうなずきます。

先生は、合意形成がなされたと思います。何かが解決されていくのではないかと期待します。

でも次の日からまた、クラスにその子はいない、、、。


●善意の提案、なぜそれがダメなのか?

ほんとこれに似た事例、よくあるんです。
学校の先生がって言うより、大人全般がこれをしています。
何が問題か。

単純です。約束を反故にしたことです。
そしてニセモノの合意形成、もっというと権力関係にある大人と子供が暴力的な形で合意形成を作り出していることです。

子供は「給食だけ行ってみようかな」って言っていたのです。
勇気を奮える最大値が給食時間限定の参加ってことです。
たとえ、大人が給食だけという選択に不満があったとしても、この結論は、その子しかわからない不安との戦いの結果であり成果なんです。
その約束と見通しのもと勇気を奮って学校に行った。そこでなんとか「いつも通り、みんなと同じ」に過ごせた。

そこに先生からの「5時間目出ていかない?」っていう提案。これは「約束を反故にされた」と思っても仕方ないことです。
さらにそこに子供が「うん」と答えざるを得ないような権力関係があるとしたら、この場合は暴力的な強制ともなり得るものです。提案のように見える強制。ニセモノの合意形成です。

これを双方の立場から見るとどうでしょう。
大人からすると「自分は約束を守った上で提案して合意形成した」です。
子供からすると「大人は約束を破った上に強制してきた」
です。
なんてことでしょう! 善意の押し付けって怖い。


●約束するのは大事、でもより守るべきは大人

「約束を守ろう」って家庭や学校等で語られがちな価値観であり、それはそれで一定必要だと思うけど、だからこそ、大人たちは、自分が約束を破る主体になりうるってことに敏感であるべきです。

不登校になると、大人は不安・心配です。「このままじゃダメだ」って気持ちが先行します。子供の未来がどーなってしまうのか…ぜひ前回のゆこさんの記事をご覧ください。


だから、大人は不用意な「足し算」をしたがるのです。
「給食に参加できたから5時間目にも参加して見ない?」は、あきらかに不用意な足し算です。子供が決めた範囲を超えてプラスアルファを提案(=要求)してしまっている。

本来ならば、そうではなくて、子供が決めた範囲を安心して取り組めるようにする、それが大人の役割であり、守り続けるべきことなのです。

次回、この「足し算」について、もうちょっと書いて見たいと思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございました!


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