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答えがないセカイを歩み続ける

ExWのトラです。
前回はリョーサン、ありがとう。
なかなか難しいセカイにはいってしまいました・・・あっはっは。


今回のテーマ
・ケアという視点からよく話をしていました
・答えのないセカイが教育

・ケアという視点からよく話をしていました


・・・学生さんって自分が「ケアされて」いたことに、あんまり自覚がないんです。というよりほぼ、ない。
ケアは提供するひとのはなしで、看護師さん、介護士さん、とかのはなし。
医者は診断を下す人間でケア提供者ではない、という意見もあったりして。
ほんと、
「提供する側」の想像が圧倒的でおどろかされたなー

しかし
授業を展開していくと、
「あ、そういえば受けてたのか・・・」
と気づく。
そして、
こちらも気づかされる。
「ケアの不可視化」状態に・・・

ぜんぜんみえてこないのは、仕方ないよなー…。
今の社会が効率優先、生産性高いか低いか、スピーディーすぎて…
、、、赤ちゃん、高齢者、障害を有する方、病気のひと、メンタルヘルスがやられちまったひと、身体が動きづらい状態に陥ったひと、、、、
効率優先のこの時代から取り残されちゃうと、まじめにきつい。
そしてどんどん遅れをとったら、キツイ・・・
そんな世の中なので、、、
ケアはみえてこないのは当然だよなーと。
改めて実感。

・ケアと自分は無縁
・ケアはする人、は思い浮かぶ
・できれば関わりたくないケア
・ケアが入り込んでくる、という想像がまったくない

学生の授業時の最初のコメント

ただ、
だんだんわかってくる。
性教育を展開したり、人権教育を行ったり、健康教育を施していくと・・・
「あれ?あれ?あれれれれ????」と
気づいてくる。


こういう視点が、教育の中でとっても大事・・・なんだけどなー(#^^#)


・答えのないセカイが教育


 普段「不」可視化されている部分に光をあてると・・・。
そこを調査し続けていった先に、また新たな光がさす、、、。

そこから視点をひろげてさらに学生自身で調査へふみきったり、
学びをふかめたりして、想像力を深めていくと、、、

出会えなかった視点に出会い、自分の幅を広げることができる。
感動すら覚える子もいる
そこから創造力の発展さえ、みにつくのだから。

でもこれ、正解はない。答えは多様であっていい。
一つだけの答えはないのだ。


・・・本来、教育って・・・

もっとゆっくり、でいいはず。

・・・様々な気付きの力、
一つのことを深めていく力(最近でいう探究心?)、
そこから得た学びを表現表出する力、
ゆっくり育めばいい。本来は。


ここには当然個人差はあるけど、一定の回数、ターンを超えたら、相当かしこくなっていく。どんな人間でも。

それを目の前で実践してきたので・・・
ほんと、大事。

リョーサンが前回つたえてくれたけど、
「知識」「専門的スキル」は、おっしゃってくれたとおりで。
ただの道具


そこを、どう使うか、伝えるか、「伝わるように」工夫するか??

だからこそ、いろーーーーーーーんな視座を持ち続けて学び続けていくことが、教える側にももとめられるんだけどなー・・・

ヒトは一人で生きていけない、なんて言葉だけ伝えたところで・・・


そんなの伝わらない、、、、、、、

「ケア」はあなた、そのもの、
「ケア」の学びは、他者の弱さを感じられること。
ここを知ると、はじめて「
ああ、一人じゃ絶対いきてけねーな」
って気づく。

そういう視点を持たないまんまで・・・
教育を展開したらいかんさ・・・


だめだわさー。苦笑
だから、
もう少し。
他者の弱さを感じるとることができる人間を
ちゃーんと育てる教育、していかないと・・・

現場にでて3年以内に離職する若いせんせー、
メンタルヘルス障害で休職しちゃうせんせー、
激増しているんだなー・・・

まさに、ここ、では?

自分だってケアされる側にまわることがある
自分だって誰かに頼ったり時に寄りかかったりすることがある
自分だってスピードが落ちる時がある

ここ、、、
答えのない、そして「ケアという視点」を欠落させない教育こそが、
未来の逞しい先生をつくるはずだけどなー・・・


とりとめない文章ですんません。
この辺で終わりにします、
御一読頂き、ありがとうございます!_(._.)_

トラ






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