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「人を育てること」について大事なこと

こんにちは、りょーさんです。

とらさんの就活がなかなか進まないことを聞いて、とても残念だなーって思っています。
仲間のことを書くのもなんですが、「なんで残念か?」を書いてみます。その「なんで?」がとても大事な気がするからです。


教員養成はとっても尊い仕事だけど、、、


教員という仕事は尊い仕事です。子どもたちの幸せのためにも社会の維持のためにもとんでもなく大事なお仕事です。

ってことは、教員を養成する仕事ってものすごく尊いものです。

それは単に、勉強の教え方やその知識をレクチャーすることではないし、学級の回し方(学級経営)をレクチャーすることでもない。
これらは教員として大事なスキルですが、それは教員になるための道具(専門知識・方法論)です。

方法論や専門性は「道具」です。道具は使う人によっていかようにもなります。

 のび太くんはドラえもんの道具を間違って使い繰り返し痛い目に遭います。自分が痛い目に遭うのは構わないのですが、その「道具」によって子どもたちや周りの人たちが不幸になることもあります。

 その道具で、魔王と戦い仲間を助け、平和を取り戻すこともできるし、仲間の足を引っ張ることもできるのです。

 もうちょっとわかりやすい事例を言うと、勉強を教える技術を使って、学習を詰め込み、子どもの好奇心を奪い、疲弊させ、勉強嫌いを育てることだってできるわけです。
運動を教える技術を使って、子どもたちを比較や競争の中に置き、苦手意識を埋め込んで、スポーツ嫌いを生み出すこともできます。

時に人はこの道具の奴隷になります。
(道具=スキル・専門知識・経験などなど目に見えやすく活用しやすいものです)


物事の本質を探究しながら人と関わる人が必要


とらさんは、教員養成の大学の先生として、教鞭をとってきました。
そして、上記のことをよく理解し学生たちと向き合える先生です。学生たちが置かれてきた背景に寄り添いながら、教員になろうとする彼らを育ててきた。
道具も大事だけど、もっと大事なものもあるよねってことを、伝えようとしてきた(たぶん)。そして、これは言葉だけで伝えることはできません。
背中を見せたり、声を聴いたり、一緒に悩んだり、人々の体験の質に働きかけないとできないことです。その地道な取り組みの先に人は徐々に「そういうことか!」と実感を持って納得することができる。

これは「物事の本質を探求する」という姿勢を持ちながら「人を育てる、あるいは人とともにある」ってことをすることだと思います。

大抵は「道具」を伝えておしまいですから、そういう人、絶対、必要だと思うんだよなー。

そんなことを思いながら、とらさんがいずれまた教員を育てる現場で活躍することを願い、この文章をおしまいにします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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