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「好奇心」と「学び」 その中身について。

昔から好奇心が旺盛だと思っている。

小中あたりまではそれらを全て「やってもどうせできないから」と諦めていたこともあるけれど、渡井ひとはももう25歳、自分のお金で生活する身。
今の私には、大抵のことはなんでもできる。


そして始めたヨガ、ギター、その他たくさんの習い事…


どれも挫折した。

飽きたわけではないの、興味はあるの。
ただただ、「挫折した」が一番しっくりくるの。


最近ね、「学び」は固定概念のぶち壊しだと気づいたの。
私、社会人になってからしばらく副業と二足の草鞋で生活してる期間があったの。

お金のことを考える時って、基本的に「足りない分はどこかで補填したらいい」って考えで生きていたの。そもそも仕事してて金稼いでる意識がなかった。特に実家にいた時とか、お金って勝手に貰えるもので、好きなものもなんだかんだ買ってもらえるものだった。アルバイトしたお金は気づいたら無くなっちゃうものだった。

なんか、「自分が本業で稼いだお金の範囲内で計画立てて生きてく」ってのは私にとって本当に本当に苦痛なことだったの。家計簿とか3日やったらいい方だし。
もう、本当に、管理とか、苦手ーーーー!!欲しいものは欲しいし行きたいとこには行きたいのーーーー!!!

て感じ。



それも本当はどうにかしたくて、言ってみたら「好奇心が向いているもの」の一つだったのね、昔から簿記取ろうとしてみてまじで意味わからなすぎて本読むの無理〜!ってなってやめたりしてたし。



で、最近父と話してて、金との向き合いかたがおかしいよって話をすごいされたの。自分でお金計算してたら、「今の仕事で給料をあげることを考えなきゃなことが明確になる」って話を初っ端からされて、いや私別に本職で給料あげようなんて考えてないからー!!!って思って始めは反発していたんだけど…

聞いてるうちに、心がバッコーンってなる事件が起きたの。


私自分の給料が自分のやりたいことに対して低いってことをずっと認めたくなかったみたいなのね。だから他で補填しようとして、欲しいと思うものは手に入れて、行きたいところへはどこへでも行って、たっかいエステサロンの契約も、脱毛の契約も、サブスクのジム・スタジオ通いも、全部お金にものを言わせて実現してきたの。あとサロンでランチを食べたりアフタヌーンティーしたりとかね。


でもそれらが全部、自分が低所得者だってことから目を背けて、「社会的に見たら価値の低い仕事をして日銭をもらってる」みたいなことを見つめたくなかったことだと気づいたの。
リアルに自分の概念が崩れた。


そしたら自然と、確かに今の仕事でどうにかしようと考えるなら、ここで給料をあげるには自分の価値をあげていくしかなくない?とか、それにはデータどりが必要じゃない?とか、どんな意見を言って、どんな風に世間と関わって行った方がいいんだ?とか、数字に愛着が沸くとか、そういうことが沸き起こってきたの。


正直今もその渦中にいるんだけど、あの日のことがあってから学びに対する感覚が変わった。


「好奇心」って学びに対する興味関心だと思うの。(つまり私がギターやろうとかそろばんやろうとかコーヒー豆の知識つけようとか、そんなんが全部学びを求めて生まれた心だってこと)

学びを深めるためには自分の中にある「なぜこれを勉強するのか」に対しての「自分ができないと思ってる根本の固定概念や意地」をバッコーン!ってぶっ壊さなきゃいけなくて、それで素直になってスペースができた体と心で体感していくものが、自分の学びの体系を作り、習慣になり、実感が生まれて行くんだなと思ったの。

ヨガをするときもそう。
「体の緊張が心の緊張に作用する」とかよく言うけど、それだけじゃないの。


「心が体に作用する」って、私はよく先輩から言われてたけど、「え、それどう言うことなん?」って思ってたの。逆じゃない?って。


けど私の中に「できない」とか、「私の体こういう特性があるからこれはここをこうして軽減する必要がある」とかいう心があったら、体はそれに沿って動いて、そこに本当の「新しい脳神経が生まれて繋がった、体と私のハートがかよっている」って感覚は生まれないの。

そして、意識をどう持っているか、で練習の質は変わるの。

私はずっと疑問を持ってたの。
心が体に作用するって何?とか、潜在意識が生活を左右するって何?とか、マットの上で人生の波を体感するって何?とか。
それに対して疑問を持ち続けて、知りたい!!挑戦したい!!って気持ちがずっとずっとこの胸にあったから、今こうしてヨガを通して様々なことが体感できるし、体もそれに対して素直に、オープンに、反応してくれていってるなと思う。

多分これが「なんかかっこいいじゃんヨガって〜」とか、「ヨガしてるねん私〜」みたいな私の昔の意識のままやってたら、体はこんなにも変わらなかったし、脳が私の心を感じ取って神経を働かせて体が動く!みたいな繋がりを感じることってなかったと思うの。



好奇心は学びへの探究心であり、学びとは自分の固定概念を壊してできたスペースに深く浸透していくものなんだと感じる。 



これを思って1週間くらい、やっと文章にできるくらい言葉や考えが安定した笑




今日はここまで!




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