目に見えないから、信じることが出来ない?
子供の頃に
常に私の中にこんな疑問がありました。
なぜ、神様は、目で見えることが出来ないのだろう?
私たち人間は、この二つの状況の時に、
目に見えない“天“の存在を思い出します。
自分の力では、物事が如何しようもなく、
上手く行かずに苦しんでいる時。
もしくは、
全てが順調で満たされている、最も幸せな時の、
どちらか、であると。
スピリチュアリティーとは、
目に見えない精神性のことを指し、
この目に見える世界のことを物質世界と言います。
この二つは、
全く違う両極端のような世界で
どちらかを歩むべきだと思われがちなのですが、
本当は、
この二つは重なって、同時に起こっている。
それが、私たちが住む世界です。
ただ、私たちの人生は、
どちらを軸として生きているのかによって
全く違う世界となります。
例えば、
もしも、今ここに、
私たちの目の前に神様が現れたら、
どうなるのだろう?と考えたことがあります。
あなたは、どう感じるでしょう?
あぁ、神様だ!!と、受け入れられるでしょうか?
見た瞬間は、驚いたとしても、
後から、見えたこと、そんな自分を疑うかもしれない。気が狂ったのか、おかしくなったのかと思うかもしれない。
もしくは、あれは、神様だったのか?
もしくは、違う生命体?もしくは、何か悪いもの?
と如何様にも“疑う”ことが、出来る。
何を伝えたいのかというと、
“姿があった”としても、目で知覚できたとしても、
それが起こったとしても、
私たちは、疑うことができるということ。
それでは、“信じる”とは?
それは、理由もなく、形もなく、条件もない、
それでも、そこから見出そうとすること、
自らの見ようとする力の事。
それが、本当の意味で信じるということ。
で、あるのならば、形は必要ないのですよね。
そして、私たちは感じることができる。
感覚という真実に繋がる感覚を持っている。
感じている、という事実がある。
そのあなたの感覚を、
しっかりと認識し、在るというものを見れば、
私たちはいつでも繋がっているのだということを
思い出せる。
感じることが出来ます。
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