ハードボイルド読書パンダ

ニンゲンと付き合うと苦労するぜ。 暗闇と孤独の中に置いてけぼりにされたような時、松明と…

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ニンゲンと付き合うと苦労するぜ。 暗闇と孤独の中に置いてけぼりにされたような時、松明となって周囲を照らしてくれる書物を紹介していくつもりだ。

最近の記事

[詩]2023年10月~2024年3月

    • [私小説]天使はいずこへ 3.

       受験勉強をまったくせず、哲学書ばかりを読む浪人期間を1年経て、C大学に入ってから2年も経つと、かつてあれほど恋焦がれたOへの情熱を見出せなくなっている自分に彼は気付いた。卒業式の後にOから手書きの連絡先を受け取ってはいたのに、自ら電話をかけることもしなかった。学校の行事でOとクラスメイトの二人が歌う聖歌のピアノ伴奏をした時の写真とそのメモは大事にとっていたものの、なぜ連絡を取ろうとしなかったのかは彼自身にも分からなかった。二度の告白を受け取ってもらえなかった相手がそのような

      • [私小説]天使はいずこへ 2.

         高校生の頃、彼は常に白紙の遺書をブレザーの胸ポケットにしたためていた。それは内向的な若者にありがちなポーズにすぎなかったかもしれないが、少なくとも、彼は友人たちに遺書の存在を仄めかしたりするような真似はしなかった。それどころか、ウッカリと胸ポケットから落としてしまったときには、誰かに目撃されることを恐れる犯罪者にでもなったかのように、友人たちの好奇の目に晒されまいと、這いつくばるようにして拾いあげたことがある。呻き声をあげまいと歯ぎしりしている以上、自分が苦悩している事実を

        • [私小説]天使はいずこへ 1.

           それ以上遡ることができない最も古い記憶がある。プールサイドの側溝で水をパチャパチャと叩いているというものだ。それは2歳前後のことで、彼の創作ではなく、親に確認した上での記憶である。ポルトガルへ旅行した時のもの、ということだった。過去をそのまま追体験するかのように鮮明に想起しようとする自己観察癖のある彼にとっても、以降の記憶は途切れ途切れであり、最古の「性的な記憶」となると、もう少し歳月が経たねばならなかった。  4歳ぐらいの頃、当時ドイツのハンブルグに住んでいた彼の家に近

        [詩]2023年10月~2024年3月

        マガジン

        • 読書ノート
          5本
        • [私小説]天使はいずこへ
          3本

        記事

          [エッセイ]意志についての試論――どこにも行くところがない者のために 2.

          前回からの続きだ。 2.意志についての洞察 「意志の強さ/弱さ」「意志が強い/弱い」という表現が為される時、それはおおよそ次の3つの文脈に帰着させることができると思うぜ。 ストレスや苦痛への耐性がある 孤独を選択できる 義務を履行できる の3つだ。これらの文脈を具体的に見ていく前に、西田幾多郎の『善の研究』から意志についての洞察を拝借して、オレの問題意識を整理してみよう。 この西田幾多郎の《我々の欲求は我々に与えられた者であって、自由にこれを生ずることはできない

          [エッセイ]意志についての試論――どこにも行くところがない者のために 2.

          [エッセイ]意志についての試論――どこにも行くところがない者のために 1.

          1.シーシュポス神話的思考実験 カミュの『シーシュポスの神話』中に次のような一節がある。 意志について思考するにあたって「なぜこんな苦労をしなければならないのか?」という問いは重要であるとオレは考えるぜ。その取っ掛かりとして不条理な状況に置かれた動物についての思考実験から話を始めてみたい。 たった独りで生きてきた獣がいたとしよう。ヤツはこの世に産み落とされてから、誰に教えられたわけでもないのに、生きていくためにやる必要があることを本能的に実践してきた。ヤツにとって生きて

          [エッセイ]意志についての試論――どこにも行くところがない者のために 1.

          [読書]ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』高橋洋[訳]

          よう、オレだぜ。今回紹介するのはコイツだ。 本書の目次は以下の通り。 ジョナサン・ハイトは道徳の情動的・直観的な基盤、また党派間や文化間で道徳のとらえ方がどう異なるかを研究しているアメリカの社会心理学者だ。 本書は過去のリベラルな心理学者たちがガキの道徳心の発達過程をどのように捉えようとしていたかを概観することから始まるが、文化人類学のリサーチを追っていくことで、心理学者たちの企みはどうも偏ったものだったんじゃないか、ということがまず紹介される。 たとえば、異なる文化

          [読書]ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』高橋洋[訳]

          [読書]松村進吉『丹吉』

          よう、オレだぜ。今回紹介するのはコイツだ。 いやはや大変面白かったぜ。 本作は丹吉という化け狸が弁才天の神使として認められるための試練を受けることから話が始まっていく。丹吉は江戸時代に生まれ、助平心から何人もの女人と関係を持っていたが、男衆から逆恨みされることで袋叩きに合い、陰嚢の形をした石に封印されちまっていた。それが令和の時代にもなって《プチ弁天》の見栄のために神使見習いとして受肉を遂げることになる。 氏子である松浦とち子との精神的なつながりを通じて、丹吉は現代社会

          [読書]松村進吉『丹吉』

          [読書]カミュ『シーシュポスの神話』清水徹[訳]

          よう、オレだぜ。今回紹介するのはコイツだ。 『シーシュポスの神話』に収録されている「不条理な論証」と題打たれたカミュの評論は上の断言から始まるぜ。自殺について考えることが、自殺すべきかどうかを判断することだけが、哲学の仕事である、とカミュは言い切っている。 この断言に触れて「いったいなぜそんなことを問題にしたがるのか?」と首をかしげたくなるヤツもいるかもしれない。現在の自分には自殺したくなるような強い衝動は見当たらない、《人生が生きるに値するか否かを判断する》方がむしろ遊

          [読書]カミュ『シーシュポスの神話』清水徹[訳]

          [読書]シオラン『生誕の災厄』出口裕弘[訳]

          よう、オレだぜ。今回紹介するのはコイツだ。 尊敬を覚える書き手はそれなりにいるが、畏怖の念を抱いてしまう書き手となると案外少ないもんだ。ルーマニア生まれの作家であり、憂鬱と不眠の友であるシオランはオレにとって後者に当たるが、彼に抱くイメージは次のような感じだな。 ――もう4日も眠れていない物憂げな顔をしたニンゲンのオスが公園のベンチに腰かけている。毎日同じ時間に、ヤツの眼の前を、痩せっぽちで、いかにも知恵の足りなさそうな犬がニンゲンの年寄りを引き連れて通り過ぎる。犬は知恵

          [読書]シオラン『生誕の災厄』出口裕弘[訳]

          [読書]松戸清裕『ソ連史』

          よう、オレだぜ。今回紹介するのはコイツだ。 本書の目次は以下の通り。 オレは読書する際に線を引き、考察や疑問のコメントを添えながら抜き書きするタイプだが、抜き書きを決意する時のポイントがいくつかある。 ・その書籍の主張の核となっている箇所である ・自分の問題意識に新しい洞察を与える ・常識に依存した推論では導出できない知識を理論的に構成している ・単純にフレーズを気に入る あたりだな。基本的には再読を前提とした意味合いが強く、「あの本にあんなことが書かれていたな」と思

          [読書]松戸清裕『ソ連史』