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[詩]2023年10月~2024年3月

  悲しみ

どれだけ堅く戸締りをしても忍び入る暗闇に
水差しの女の青く透けた憂いが
爛れていく

硝子に蝕まれた喉元から飛び去る火酒の翼
月桂樹の嫋やかな手が
燭の揺らぎを苛立たしげに摘み取った

禅杖が夜更けの琥珀を打つ
受難に煌めく刻限
金泥のスタッカートは天蓋に果て

  深夜のハイウェイ

氷ばかりを食べて生きている
なぜ草を食まぬのかと問われたところで
オレには到底食えたものではない
凍えているというのに
氷しか食えるものがないのだ

目的地のこともよく知らぬまま
冷たく冴え渡った思考に突き動かされて
深夜のハイウェイを独りで歩いていくしかない

  重すぎる夜

火薬を擦れば引火しそうな
女の残り香にむせ返る

地平線の彼方から
星が墜落する音が聞こえてくるたびに
血は冷たくなっていく

星を拾うまで
歩き続けなければならない
とオレは背中の死体に語った

オレたちには――
持ち歩くには重すぎる夜だった

  月面を散歩すれば

街灯に浮かれる虫たちはお調子者
ジャズを踊って、ジャズを踊って!

はしゃぎ過ぎたもんだから疲れちまった
夜風に当たろうと
人差し指と中指で足を模し
月の表面を散歩した

  黄昏

夕暮れがオレの傍らを通り過ぎる
これから殺人でも犯すかのような面持ちで

背中を撃たれた幼い幽霊
青ざめた僧が打ち鳴らす憂鬱の鐘
暗渠に埋葬される冷たい足音
睫毛の影の下に踏みとどまって思考する獣たち

  少年時代

水平線から這い出してきた
黄金のカタツムリの触角が
地下室への入り口を探している
誰も探しに来てくれない
かくれんぼしている子供たちのために

僕の頭はふくれっ面の金魚鉢だった
水を綺麗にしてあげようと
石鹸を突っ込んでみたら
お魚さんたちはみんな
どこかへ亡命しちまった

  どこかへ消えた子供たち

バラバラに切断されていく
夜の背中を追って
月明かりを食べる
銀紙細工の蝶々を追いかけて

砂漠で眠る駱駝の夢より遠いところへと
子供たちは消えていった

  神様なんて信じちゃいないが

神様なんて信じちゃいないが
君とオレがどれほど卑しいヤツでも
二度と互いの声を聞けなくなるならば
永遠だけがオレたちの夜に煌めくのならば
神様なんて信じちゃいないが

  深い深い青の中で

誰にも掘り返すことのできない
肉の沼で難破した箱舟
大量に打ち捨てられたメッセージボトル

古典的な神の筆先からは
憂鬱と眠りのインクばかりが垂れる
死んだ造形物たちへの接吻は
せめて優しくと言わんばかりに

錨を持たぬが故に
今にも漂流してしまいそうな光が
オレたちの瞳を探している
深い深い青の中で砕けるままに

  未来派

先刻、愛の灯火が苦しげに息を引き取った
賛同者たちが大声で讃えようと
叫んだ拍子に巻き起った吐息に吹き消されるという
なんとも間抜けた不手際が原因で

きっと太古の昔より燃え続ける法典が
狂犬のように吠えたてて
オレたちの心臓を告発するだろう

そしたら軌道から飛び出してしまった
衛星のような動きで
銀河鉄道を爆破しに行こう

  僕らは星屑の中で自転車にまたがって

透明な林檎に見惚れている内に
観覧車が一周すると
辺りはすっかり暗くなっていた
僕らは星屑の中で自転車にまたがって

  最後の言葉

鼻血が垂れた原稿用紙
緋色の馬蹄
万年筆の先端が秋の死を透過する

吹き散らせ、バラードよ!
不可視の荒れ地を覆い隠す花びらを

冬の光が静かに運ばれてくる水際で
男は最後の言葉を待っている

  愛の始まり

暗礁に乗り上げた瞳
女の瞼が優しさの重みに耐えられなくなるたびに
涙が零れ落ちる
透明な難破船のように

それからまた
私の部屋の閉じていたはずの扉から
火をつけられたエリカの花束が投げ込まれた

ああ、私の心臓、肉の杯は
すでに花の香りでいっぱいに充たされていた

  永遠が発火する夜

初恋に敗れた薔薇の眠りに
侵入するようにして
静けさが煙草の先で燃え尽きる

心臓を爆破するための導火線
無機物に回帰していく者たちの郷愁

  Ybに

痩せた手に浮き上がる黄泉の暗い河
指先から心臓をめがけて嵐が滑り込む
水と風の破滅的な囁きが
君の中の廃屋に染み渡る

嵐の妄執的な異端審問に打ちのめされ
失語症に陥った森で暮らす君は
すべての星の亡骸がやがて穏やかに落ちてくる
嵐の後のあの薄明を
森の奥に咲く花の上に
静かに、静かに注いでいる

  克己主義の星

幾つもの睫毛が
透明な異邦人を突き殺す
誰何すらせず
無関心に凍りついた冬の針葉樹

ああ、暗い自我の曠野に打ち捨てられた
オレたちには松明が必要だ

戦禍に独り耐えてきた古木に火を放つ
克己主義の星よ!

  さよならも告げずに

優しい日々は過ぎ去った
さよならも告げずに
だが歩き続けなければならない
父と母の背中に追いすがろうと
金糸で編まれた靴のつま先が
擦り切れていく

  凍えるしかなくとも

藍色の影にずぶ濡れとなった部屋で
歯をガチガチと鳴らしながら
身を寄せ合うしかなかった
馬は既に絶望に凍りつき
僕の体はいよいよ冷たくなる

ああ、薪を買うためのお金はすべて
貴女へ送る恋文のために使ってしまいました

  遠いところで死んだ男

遠いところで死んだ男がいた
誰も知らない遠いところで
その男は死に際に誰のことも思い出さなかった
誰も彼のことを思い出さなかった
涙で渇きを癒すモンシロチョウたちも
彼のもとには寄りつかなかった

男の胸中で黒い嵐が吹き荒んだのだろうか
そうして海の底に沈むガレー船のように
暗く押し黙ったまま
誰かの死を盗み出したのだろうか

  何もかもが疲れて見える時

疲れた者たちの前でのみ輝くテーマパーク
それは誰かが暮らすことを想定していない
遥か昔に死んだ観光地だった

埃や塵ばかりが貼りついて
糊の部分がすっかり乾ききったセロハンテーブのような
ニンゲンたちの絆

煙草から追い剥ぎたちが一斉に溢れ出す
オレの夜にはもう何も残されていない

  瀕死の薔薇

「愛、愛!」
気の狂った男はそう叫ぶと
銀色に輝く追想で
暗黒の井戸を埋め立てる

指先から滑り落ちた
瀕死の薔薇に止めを刺すために
記憶の炎を窒息させるために

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